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日蓮大聖人・池田大作

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“シルクロード”と文化交流の意義  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 一九八一年の貴国訪問の折、私は貴国の各方面の方々と懇談させていただく機会がありました。そこで強調されていたのは、ブルガリアの文化のユニークさということでした。シルクロードが通っていたブルガリアには、多彩な文化が混じりあっており、その混合性がブルガリア文化の特徴になっていると言われていました。
 日本もまた多くの文化が混合し、重なっている混合文化の国です。日本では、統一的な国家が形成される以前から、中国、朝鮮半島などから文化が流入しています。たとえば稲作や鉄器使用の技術は、紀元前から中国大陸より伝わっていますし、紀元後でも統一政権の誕生前には、中国王朝の「冊封体制」に入る地方政権の首長も現れました。
 要するに日本は、初めから中国や朝鮮半島とともに東アジア文化圏にあったのです。
 そして、近代になってからは欧米からの文化流入が本格化しました。日本はアジアと欧米の多彩な文化を取り入れ、日本独自の文化を形成してきたのです。多種多彩な文化の流入は、日本の文化を豊かにすることに大きく貢献しました。
 異なる文化が出あうことにより、新たな文化が生まれていく一つの典型を日本の歴史は示していると思います。
2  ジュロヴァ ブルガリアの読者のために、その典型的な例を少し示していただければ、分かりやすいと思われますが……。
 池田 あまりにも多すぎるので一つ挙げるのはたいへんですが、あえて取り上げるとすれば、「漢字かな混じり文」という独特の日本語表記法などは端的な例と言えるでしょう。
 漢字は中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わりました。中国で誕生したこの文字は、一つ一つの文字が固有の意味を持つ表意文字です。ところが、日本人は表意文字として漢字を用いながら、並行して、自分たちの言語の発音を示す表音文字としても漢字を活用するようになりました。これは漢字本来の用法としては例外的な使用法です。そして、表音文字として用いるようになった漢字の一部を取り出し、あるいは極端に簡略な形につくり変えて、「かな」と呼ばれる表音文字をつくり出したのです。
 千年以上にわたって、日本語の表記は、漢字と漢字から生まれた「かな」が混合しているという日本独自の形で行われています。
 ジュロヴァ 日本人は、漢字という中国文化の成果を取り入れながら、その使用方法については独自の判断を持っていたのですね。他の文化を受け入れつつ、それをもとに独自の文化を築いていくところに日本人のたくましさを感じます。
3  池田 文化交流による文化の創造については、貴国の歴史も日本におとらず見事な実例を残しています。この点について博士のご見解をうかがいたいと思います。
 ジュロヴァ おっしゃるとおり、ブルガリアの文化も貴国と同様に、多様な文化が混合した重層的な文化です。ブルガリアの文化はヨーロッパの十字路で生き残り、日本の文化はアジア大陸の周辺で生き残りました。島国である日本は外国から侵略を受けることは比較的に少なかったのですが、それは日本にとって非常に好都合でした。つまり日本は、外国からの侵略におびやかされることなく、自国の伝統を維持することができたのです。
 一方、ブルガリアはバルカン半島に位置しているため、ヨーロッパとユーラシア大陸の草原地帯を結ぶ「橋」の役割を果たしました。さまざまな民族の移住を通して、多様な文化が融合し、ブルガリアに多彩な文化をもたらしたのです。
 池田 日本の場合、今日では東アジアと欧米の文化が混合していると見ることができますが、ブルガリアの文化について、博士はどのようにとらえておられますか。
 ジュロヴァ ブルガリアの文化はきわめて重層的ですが、だいたいにおいて二つの文化から成り立っています。一つは、私たちの文化の原型、すなわちセム族の民族文化圏と容易に共存したインド・ヨーロッパ文化であり、もう一つはバルカン半島の住民の文化です。これらに加えて、ビザンチン文化も流入しました。
 著名な女流詩人エリザベート・バクリャーナは、ブルガリアを「東洋と西洋の分水嶺」「戦争と大災害の舞台」と名づけ、ブルガリア人の血を「スラブ系的な自己省察という白い原子と、素朴なタタール族の赤い原子との結合」であると表現しました。アジア出身のタタール族を素朴だと述べることが適切かどうかは分かりませんが、この女流詩人はブルガリア国家が建設され、生き延びてきた地域で、諸国民や諸文化が混じりあってきたことを正しく指摘しています。
 ブルガリアの文化が重層的であるために、フォークロアの神話を研究するさいは言うにおよばず、美術のただ一つのモチーフを調べるさいにも、時には、クレタ島のクノッソスのミノス王の迷宮にまで遡ってしまうことがあるほどです。そのために、途方にくれてしまうことさえあります。
 池田 日本が、島国であるという地理的条件のために、貴国に比べて外敵の侵略を受けることが少なかったのは、そのとおりでしょう。たび重なる侵略と戦乱の試練に耐えて、多彩な文化を取り入れながら独自の文化的伝統を築いてきた貴国の生命力には、深い敬意をはらいたいと思います。
 文化と文化の出あいは、第三の新しい文化を生みだします。文化交流による創造の例が、貴国と日本の歴史に見いだせると思うのです。

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