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日蓮大聖人・池田大作

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“バルナ文明”  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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1  池田 ブルガリアといえば、世界最古とされる黄金文明が栄えたことで有名ですね。一九七二年、黒海西北の保養都市バルナ近郊で発見された遺跡からは、古代の彩文土器、貝細工、骨細工などとともに、金製品、銅製品が数多く発見されました。
 テレビでも、遺跡発掘の模様や出土品を紹介していましたが、多様にして高度な芸術性を有する土器、金属工業の発達を物語る銅器などを拝見しました。
 ジュロヴァ 当時、先生が早々と「バルナの黄金の秘宝」をご覧になったのは、幸運なことでした。その時は私はまだ見ていなかったのです。
 池田 そうでしたか。なかでも五千年以上の時を経て、なお変わらぬ光沢をたたえた金製品は、細やかな装飾がほどこされ、今日つくられた作品と比べても、いささかも遜色を感じません。まことにすばらしい文明が誕生していたことに感動いたしました。
 ジュロヴァ 当時の職人の技能は完璧です。陶磁器の壷も見事なものです。金の練り粉で飾られた陶磁器の壷が二つありますが、同時代のヨーロッパではこのようなものは他には見られません。似たような壷が現れたのは千年以上も後のことです。
 池田 金製品は、紀元前四千年紀前半に遡る古いものとされますね。従来、石器時代と考えられていた同時期に、すでに金属器を使用する高度な文明が成立していたのは驚くべきことです。この事実は大きな学術的意義を持つものとされていますね。
 ジュロヴァ この発見は、二つの重大な問題を提示しました。第一は、この文明の特質と、世界の文化の発展におけるその位置づけについてです。第二は、当時、黄金が持っていた意義についてです。
 この二つの問題は、多くの謎を秘めています。
2  池田 まず、第一の特質と意義について、おうかがいしたいのですが。
 ジュロヴァ 従来、南東の地域(ギリシャ、クレタ、キプロスなど)を含めたヨーロッパは、古代文明世界においては、とても辺鄙な周辺地域と考えられていました。メソポタミア地域とナイル川流域が、古典的な文明地域と考えられていたのです。
 したがって、ヨーロッパ大陸の人々が、物質的、精神的発展において、中東の文明よりも千年から二千年おくれていたと決めつけられたのも当然でした。それにもかかわらず、ブルガリア――ギリシャとイタリアに次いで、第三に考古学的発見が多い国――で、一九七二年に金製品が発掘されたことが、人類文明の進歩をめぐる伝統的な見解をゆさぶることになりました。
 多数の金製品が出土した墓地遺跡もあった銅石器時代後期の共同体は、中東とエジプトの初期の王朝に先立つ、前トロイ王朝時代のものでした。この点から、紀元前五千年および四千年後半のものと考えられるのです。
 池田 なるほど。そういう点から、最古の黄金文明とされるのですね。
 ジュロヴァ 紀元前五千年から四千年の新石器時代は、バルナ文明に先立つものです。それは、バルナのような豊かな文明が出現するためには十分な基盤でした。
 バルナ文明の出土品は、デュランクラックの古代の村からだけでなく、内陸の地域――たとえばヴィリコ・タルノヴォの町の近くのホッティツァ村など――からのものもあるのです。
3  池田 バルナ文明は、それ以上に発展することなく、いつしか滅びてしまいましたが、その原因は何でしょうか。いくつか仮説があるようですね。その一つは異民族の攻略によって滅ぼされたとする説です。
 また一つは、天候の異変、つまり寒波等に襲われ、人々が滅亡もしくは移動していったということです。とくに、この移動説には、南下してクレタ・ミケーネ文明の華を咲かせたというロマンに富んだ説もあるようです。(クレタ文明は、エーゲ海最大の島クレタで紀元前三一〇〇年ごろから同一四〇〇年ごろまで栄えた。新石器文明から青銅器文明にわたる。ミケーネ文明は、紀元前一六〇〇年ごろから同一二〇〇年にわたって栄えた青銅器文明)
 ジュロヴァ 確かに豊富な墓石、象徴的な埋葬物、遺体がなく仮面を納めた「記念碑」と呼ばれる墓などのほかに、後のミケーネの墓に似たものも発見されています。
 しかし、滅亡の原因は、自然災害だったのでしょうか、国土を荒廃させる疫病だったのでしょうか。それはまさに、バルナにまつわるもっとも魅力的な謎なのです。

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