Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

『法華経』とブルガリア写本  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 昨秋(一九九八年十一月)、東洋哲学研究所では、『法華経』のサンスクリット語(梵語)原典写本などシルクロードの貴重な文献を紹介する、「法華経とシルクロード」展を開催しました。世界的な学術機関・ロシア科学アカデミー東洋学研究所(サンクトペテルブルク支部)のご協力を得て実現しました。
 同研究所が所蔵する写本・木版本コレクションのうち、ペトロフスキー本など、とりわけ貴重な四十七件が展示されました。ペトロフスキー本は、カシュガルで入手されたものなので、カシュガル本とも言います。『法華経』研究の重要な資料であり、訪れた多くの仏教学者のなかには“生きていてよかった”との感想を述べた人もおりました。
 ジュロヴァ それは、すばらしいですね。私は拝見できずに非常に残念です。
 帝政時代のロシアは、シルクロードの調査を世界に先駆けて実施しました。同研究所は、その伝統を受け継ぎ、数多くの文物を収集・所蔵し、大きな研究成果をあげています。所蔵文献は、質量ともに大英博物館、パリの国立図書館と並び称されるものです。
 池田 博士は写本研究においても、世界的に有名な方です。本当にご覧いただきたかった。私は数々の人類の知的遺産を目の当たりにして、深い感動をおぼえました。
 ジュロヴァ 書物は尊い宝です。人間の魂です。中世ブルガリア文学は、書物一般への賛辞をもって始まりました。スラブ文字を創案したキュリロスは、「一冊の書物も持たない人は、皆、裸である」と述べています。また『福音の宣言』には、「読み書きのできない魂は死んだ魂である」とあります。
2  池田 吉田兼好は『徒然草』で、書物を「見ぬ世の友」と位置づけています。この呼び名は、さまざまな書物の写本の断簡をつづって、書道の手本にした書の題にもなっています。「書かれたもの」は、時を超えて心を伝え、心をつなぐものであるからでしょう。
 また、中国の哲人は「知己を百年の後に待つ」として、先駆的な自身の思想が、たとえ同時代の人に受け入れられることがなくても、後世の人に自身の真価が認められることを信じて、書物を著しています。書物は、永遠とつながる扉であり、無数の友情を結ぶ絆です。今回の展示品のほとんどが国外初公開のものでした。まさに「見ぬ世の友」との出あいでした。
 ジュロヴァ 写本は貴重なものですし、また保存・管理がむずかしいものです。卓越した旧ソ連の学者、D・S・リハチョフは、「写本は人間のようなものだ。それらは、書写され読まれる必要があり、愛される必要がある」と書いています。写本が生き続けている理由はこれです。
3  池田 この展示会にご尽力くださった写本室主事のマルガリータ・I・ヴォロビヨヴァ博士からも、写本を愛する思いの深さ、守るための労苦の大きさをうかがいました。なかでも、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツから、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)が九百日に及ぶ猛攻を受けた折の労苦には、胸がしめつけられる思いでした。
 博士はこう述懐していました。
 「包囲されていた九百日の間、二人の男女が、わが研究所の写本類を守ることに全力をあげていました。地下室にあった文書が破損しないように、時々、箱を開けて風を通したりして懸命に保護しました。『法華経』の写本が現存するのは、二人のおかげなのです」と。
 温度、湿度の管理などたいへんな労苦です。ましてや激しく砲弾が飛ぶ戦火の下、どれほどの苦労があったことか。守り手の労苦は今も続いています。近年のロシア経済の混乱時には、所長や博士たちはご自身の給与が出なくても、写本を守るために出費をおしまなかったという話もうかがいました。
 ジュロヴァ それほどまでして守ってきた貴重な財産を出展するということは、深い信頼と理解があればこそです。先生とロシアの方々の長年の友情の賜物であると感じます。
 池田 冷戦のさなかの一九七四年、初訪ソの折に同研究所と友情を結んで以来の友好です。一粒まいた種が大きく枝葉を広げています。人間の心が無限に可能性を開きます。私は、数世紀の時を経て、戦乱や火災や弾圧など数々の苦難を乗り越えて、現代まで伝えてくれた方々の労苦を考えると、今もなお胸が熱くなります。
 私は、写本を前にして、こう語りました。「経典が喜んでいます。光っています。笑っています。経文は文字であるけれども『魂』です。宇宙の根源で『渦』を巻き、『波』うっている大生命力のリズムを写しとった表現です」――と。

1
1