Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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音楽と民俗
「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)
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池田
貴国の文学にふれていて、しばしば気がつくことは、民謡の持つ独特の力強さ、明るさです。それは、たとえば、オスマン・トルコの支配に抵抗した義賊であるハイドゥクの長、ストヤンをうたった歌に端的に表れています。イヴァン・ヴァーゾフの『軛の下で』には、こう記されていますね。
「ルージャよ、主祭の嫁御さんよ、 おれは命など惜しくない。
この世を去るのも悲しくない。
大の男は泣かぬもの。
ルージャよ、一つだけ頼みがある。
おれの下着を洗濯し、 おれの髪を梳いてくれ。
男一匹処刑の時は、
下着はまっ白、髪なびかせて、
いさぎよい死にざま見せたいものよ。
それがおれの心意気……」(松永緑彌訳、恒文社)
ジュロヴァ
イヴァン・ヴァーゾフは、ブルガリアを代表する作家です。『軛の下で』は、オスマン・トルコの圧政に抵抗したブルガリア民族の誇りを示す名作です。
一九八一年のご訪問の時にも、ソフィア大学での講演でその意義を語られていましたが、本当に、ブルガリアとその精神に深く精通していらっしゃいます。感服いたします。
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池田
恐縮です。ブルガリアの民衆は、抑圧下にあってもなお、このような歌を口ずさみ、みずからの勇気と覚悟を奮い立たせていたのですね。
ジュロヴァ
それらのなかでは、つねに超自然的な力を帯びた高貴な英雄が、悪の力を克服することになっています。とくに広まっているのは、ブルガリアがオスマン帝国の支配に下る前の最後のブルガリア皇帝、イヴァン・シシマンについての歌です。また、ストラヒー、マヌーシュ、チャフダール、インデュエなどの伝説的反乱をうたった歌もあります。
池田
不屈の闘志が綿々と伝えられていったのですね。
ジュロヴァ
また、民衆は、食卓や饗宴の間などにうたわれる歌を、非常に多くつくりだしてきました。それらの歌は、ふつうはゆっくりとしたメロディーを持つレチタティーヴォ(叙唱)です。
池田
日本の追分節やモンゴルのオルチンドーに似ていると指摘される、ゆったりとした、のびやかな曲ですね。
ジュロヴァ
民衆は、こうしたタイプの歌を「本物の民謡」と呼びます。それらの歌のほとんどが、おそれを知らない民衆の英雄たちやハイドゥクたちをうたったものだからです。
池田
ロシアの文豪ツルゲーネフは『その前夜』で、ブルガリアの亡命大学生インサーロフに、「ブルガリアの民謡はすてきですよ!セルビアに負けないくらいです」(米川正夫訳、『ロシア文学全集』3所収、修道社)と語らせています。インサーロフは自国の民謡を翻訳して、誇らし気にロシアの友人に聴かせるのです。
声は命です。民謡は、民衆の生活のなかから生まれ、民衆に歌い継がれていくものです。それゆえ、“民衆の魂”をありありと映しだしている、と言っていいでしょう。
ジュロヴァ
そうです。歌は、民衆の魂を鏡のように映しだします。ブルガリアでもっとも著名な画家であり教師である、イリヤ・ベショコフは、次のように述べています。
「民謡から耳と顔をそむけることができるのは、恩知らずの薄情な人間だけである。民謡は、民衆の音楽感覚を完全に表現するだけでなく、民衆の道徳的統合と栄光を表現するからだ」と。
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池田
貴国では、民謡は、民族全体のアイデンティティーを支える重要な役割も果たしてきました。このことは、クリミア戦争後、民族復興運動が高まっていた一八六一年に、民族の一体性を示すための努力として、ミラディノフ兄弟がブルガリア各地の民謡を収集し出版した事実からもうかがえます。
ジュロヴァ
よくご存じですね。彼らは六百六十五曲もの歌を収集しています。まさしく私たちの民謡は、民衆の運命に深く根を下ろしています。ブルガリア民謡に楽しいものも悲しいものもあるのは、こうした理由からです。私たちブルガリア人は、バルカン半島で“もっとも悲しい歌”と“もっとも速い「ホロ」”(ホロは輪舞と呼ばれ、集団で行う舞踊の一種で、テンポの速い独特なリズムを持つ)を持っている、と言われています。
近代ブルガリア文学におけるもっとも傑出した作家の一人であるペンチョ・スラヴェイコフは、次のように書いています。
「一般に、ブルガリア民謡は明確な特性を持たない。
ブルガリア民謡が共通して持つのは、苦しみの息づかいだけである。運命の侮辱行為によって苦悩する、病んだ魂の息づかいだけなのである」と。
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