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日蓮大聖人・池田大作

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仏教における美術の役割  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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1  ジュロヴァ 中世のビザンチンおよびブルガリアでは、美術は神秘さを表すとともに、典礼そのものでありました。すなわち、美術は、見える形で表現された神の言葉(ロゴス)だったのです。日本の仏教史においても、美術が同様の役割を担った時期はあったでしょうか。
 池田 キリスト教と同様、仏教も、彫刻、絵画、音楽、建築など、豊かな芸術を生みだす母体となってきました。
 仏教が、インドから中央アジア、中国、朝鮮を経て日本へ、また、インド洋から東南アジアへと展開するにつれ、仏教美術も各地の文化をとり入れ、多彩な様相を示すようになります。
 宗教美術は、宗教的なメッセージを、“象徴”を通して伝える役割を有しています。仏教においても、絵画や尊像、彫刻は、さまざまな象徴性に満ちたものがつくられてきました。
 釈尊の肖像が造型化されるまで、釈尊の存在は、樹木や台座、塔などで表現されていました。礼拝の対象としての仏像は、紀元一世紀ごろにつくられ始めます。
 そこでは、印(手や指の形、結び方)や持ち物、乗り物などが象徴的表現として用いられるようになります。
 皆が理解を共有できるような“象徴”の秩序が存在し、それに基づいて図像がつくられていたのです。この点は、キリスト教のイコノロジーと同様と言えます。
 しかし、たんに図式にのっとっているのみでは、人々に対し宗教的な心情を訴える力を持つことはできません。すぐれた宗教芸術には、つくる側の信仰の昇華、情熱、そして創造力の飛翔が不可欠となるにちがいありません。
 仏教美術は、インドでは、クシャン朝時代、グプタ朝時代に盛期を迎えます。そうした時代を背景に、二世紀ごろに成立していたとされる『法華経』は、じつに芸術性にあふれています。
 そこには、彫刻があり、絵画があり、詩があり、舞踏があり、音楽があり、じつに劇的な世界です。
 一例を挙げれば、如来寿量品という章には、安穏なる世界の姿が、「天人が満ち、庭園の林も堂閣も宝をもって飾られ、花咲き果実たわわに、空には天鼓なり、美しい花が雨のごとく降り注ぐ」と説かれています。
 まさに、人間の営みのさまざまな次元、“宗教的、倫理的、平等的次元”をすべて包摂した形での、創造的生命のダイナミックな躍動があります。この『法華経』は、豊かな文化を育みました。その類まれなる結晶を、私たちは、「シルクロードの宝石」とも言うべき敦煌に見ることができます。
 莫高窟をはじめとする千仏洞には、千年にわたる仏像、壁画、経典やさまざまな文献が残されています。
 壁画には、『法華経』をはじめ諸経典の豊穣なイメージの世界がいかんなく表現されています。先ほどの寿量品の一節もすばらしい飛天の壁画となっています。民衆芸術家たちの情熱の作品であるからこそ、時空を超えた魂の共鳴をもたらすのでしょうか。まさに、仏教美術史の奇跡とも言うべき場所です。
 私は、以前、この敦煌を生涯をかけて守りぬいてこられた、敦煌研究院名誉院長の常書鴻氏と対談集を編みました。私は、その時に述べられた氏の言葉に強く感銘いたしました。
 すなわち、「私は芸術的創造は民衆に奉仕するものでなければならないと思っています。ゆえに自己の考え方、理想を芸術のなかに表現し、民衆に捧げ、民衆のために貢献していくことが大切だと思います」(『敦煌の光彩』、本全集第17巻収録)と。まさに、敦煌の美術は、民衆による民衆のための美術であったのです。
 『法華経』は、日本でもあつい信仰を集めます。
 すでに述べたように、仏教が日本に渡来するのは、六世紀のことでした。
 日本は、アジアの東端、シルクロードの終着点ですから、「アジア文明の博物館」と言われています。それだけに、世界の各地域の文化が、仏像はじめ日本の仏教美術に影響をあたえています。
 『法華経』に基づく仏像、絵画、造塔は、七世紀に始まります。九世紀からは、写経もさかんになります。後の世に出現すると信じられていた「弥勒菩薩」の時代のために、書写された経典を埋納経として埋めることも流行しました。
 これは、仏教では、釈尊の次に弥勒菩薩が仏としてこの世界に出現するとの考え方が示されているからです。さまざまな紋様をほどこした金文字の経典、優美な蒔絵の経箱なども伝えられています。
 平安、鎌倉時代の日記や、物語、和歌などの文学にも『法華経』の思想の影響が色こく見られます。
 このように仏教においても、芸術は、人間の精神を育む力を発揮してきました。
2  ジュロヴァ キリスト教と同じく、仏教も豊かな芸術、文化を育んだのですね。
 池田 そのとおりです。残念ながら、現代世界においては、「芸術の力」はいちじるしく衰弱しております。芸術が人間の精神性の発露であるとすれば、「芸術の力」の衰弱は「人間の精神の力」の衰弱を意味します。
 ヴァルター・ベンヤミンが示したように、古来、芸術は宗教と結びつき、その唯一性の「オーラ」(ギリシャ語、ラテン語で「アウラ」光彩という意味。人が偉大な宗教や芸術と出あう瞬間に感じる荘厳さ)を放ってきました。
 しかし、写真、映画、テレビなど、複製技術の時代には、芸術作品が人の心をその根底からゆり動かす力は、たんに人の興味や好奇心をさそう力に、はるかに凌駕されるようになります。今や、芸術は、根本的な魂の力を失い、その「オーラ」を消失していっているのでしょうか。ベンヤミン自身は、この芸術の量産化、大衆化を、社会の進歩として一部肯定していました。確かに芸術が大衆のものとなったことは歓迎すべきことです。しかし反面、このことによって、芸術が芸術であることの根拠が失われることになりかねません。
 芸術は、人間同士を結ぶ力であり、また、人間をより高い存在へと導きゆく力でありました。芸術が、その本来の力を取り戻すことは可能なのでしょうか。
 それはたんに、芸術家のみがなし得る作業ではありません。宗教と芸術とは、本来、緊密な関係にあると私は考えております。それはともに、生命の創造的展開にほかなりません。したがって芸術の復興も、宗教的なるものを根底にして初めてなされるのではないでしょうか。
 ただ、早急に「宗教のための芸術」を求めることには無理があります。手段化した芸術は、芸術としての価値を発揮することはできません。
 偉大なる宗教は必ず、偉大なる芸術を育む精神の土壌となります。また、偉大なる芸術は、宗教性を鼓舞し続けることでしょう。
 「芸術のための芸術」、また「宗教のための宗教」をこえ、「人間のための芸術」「人間のための宗教」の同盟こそが、人間精神を高めゆく新たな「芸術と宗教」の世紀を開きゆくと思うのです。

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