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日蓮大聖人・池田大作

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日本における儒教・道教とキリスト教  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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1  ジュロヴァ これまで日本における仏教の受容の仕方についてうかがってきましたが、次に、日本人が他の諸宗教をどのように受容してきたかをうかがいたいと思います。
 池田 個々の宗教の問題に入る前に、日本人の外来の宗教の受容の態度について、述べておきたいと思います。
 アメリカの宗教学者ロバート・ベラーは、『日本近代化と宗教倫理』の中で、日本は外来の宗教を受容しながら、自分たちの生活に合った独自の「日本宗教」に変質させたと指摘しました。その代表として彼が挙げたのは、江戸時代の「心学」という民間に広まった実践哲学です。
 「天より生民を降すなれば、万民はことごとく天の子なり。故に人は一箇の小天地なり。小天地ゆへ本私欲なきもの也。このゆへに我物は我物、人の物は人の物。貸たる物はうけとり、借たる物は返し。毛すじほども私なくありべかゝりにするは正直なる所也。此正直行はるれば、世間一同に和合し、四海の中皆兄弟のごとし」(『倹約斉家論』柴田実編、『石田梅岩全集』上所収、清文堂出版)
 「道とは自由自在の出来るといふ名ぢゃ。無理すると、自由自在は出来ぬ、無理のない本心にしたがへば、自由自在で安楽にござります、これを道と申しまする」(柴田鳩翁『続々鳩翁道話』冨山房)
 「心学」の第一人者たちの言葉です。ここに出てくる「正直」「道」という言葉は、日本人が好んで使う言葉でした。日本人は人間の本性を「正直」と表現しております。それを「道」とも言ったのです。また、その本質において天(宇宙、神)と人は同じであり、自分を見つめて正直に生きていくならば、それは天の道に通じていくと考えられてきました。
 「いい製品をつくって、それを適正な利益をとって販売し、集金を厳格にやろう。そういうことをその通りやればいいわけである」――これは、世界的にも有名なある大企業の創立者が言った言葉ですが、先ほどの江戸時代の「心学者」の言葉と、本質的に驚くほど似ています。
2  ジュロヴァ 正直に生きるということですね。
 池田 ベラーは、強固な支配体制の維持のために「日本宗教」が果たした役割の大きさを指摘しました。この強固な支配体制が、近代産業社会の興隆に不可欠な要素となったのは、言うまでもありません。自分の生活をきちんと守り、あたえられた自分の仕事をきちんとこなす――それが「道」であり「正直」な生き方なのです。
 これは、本章の「日本における仏教の受容」の項で述べた「共同体」を維持するための「日常道徳」です。つまり、日本に入った時、すべての宗教は「共同体維持のための日常道徳」へと変質させようとする強烈な圧力をかけられる、と言うのです。
3  ジュロヴァ よく分かりました。それでは、具体的な例として、キリスト教についておうかがいしたいと思います。
 キリスト教は、日本には十六世紀に伝えられました。一五四三年に、ポルトガルの船が嵐によって種子島の浜に乗り上げ、その後、一五四九年に、フランシスコ・ザビエルを指導者とする最初のイエズス会の宣教師たちが到着しました。
 最初は、この新たな宗教は、この世の外の世界における救済を約束する仏教徒の一派と考えられました。他の世界、阿弥陀の浄土への生まれ変わりを説く阿弥陀信仰の新たな変形と考えられたのです。西欧文明がもたらした情報や新たな発見と同じく、他国との貿易関係の拡大も魅力的なものであることが分かりました。
 池田 それで、支配階層の人々も、初めは、キリスト教を大いに認めたのです。

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