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日蓮大聖人・池田大作

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「獅子」の意味するもの  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 一九八一年五月、貴国を訪問したさい、ジフコフ議長より、獅子をかたどった盾を記念の品としていただきました。この盾は、ブルガリアの東部で発掘された十一、十二世紀の盾を模刻したものでした。
 訪問の折のソフィア大学での講演で、私は、古代インドのアショーカ王が、釈尊が初めて法を説いたサールナートの地に、最上部に四頭の獅子をかたどった柱を建てたことにふれて、次のように申し上げました。
 「私は、全民衆の幸福を願って立った釈尊の第一声が、獅子のイメージで象られていることに、非常な興味を覚えるのであります。あたかも百獣の王の雄叫びのように釈尊の説法は、あらゆる雑音を圧し、人々の心を根底から揺るがす力強い音声の響きを持っていたに違いない」
 まさに、こうした理由から、アショーカ王は、釈尊が初めて法を説いた地に建てた柱頭を飾るために、獅子を選んだのです。
 アショーカ王は、釈尊の教えにのっとって賢明に統治した王として、多くの人々から称賛されています。ウェルズは『世界文化史大系』の中で、「世界史の年表に幾千幾万と群がる国王達、陛下達、殿下達、猊下達の中に阿育王の名前のみが殆ど唯一つ、星の如く聖らかに輝いて居る。西はヴォルガ河畔から東は日本に到る迄、阿育王の名は今尚尊敬せられ」(北川三郎訳、世界文化史刊行会)と絶賛しました。
 また、このウェルズの言葉を受けて、かつてのインド首相ネルーが『父が子に語る世界歴史』で、「ことにインド人にとっては、インド史におけるこの時代を思い起こすことは、格別のよろこびだ」(大山聰訳、みすず書房)と誇りと敬愛をこめて述べたように、まさに仏教の精神を体して、大帝国に善政をしいた歴史に残る名君です。
 帝国拡大のために戦争と征服に明け暮れ、カリンガ征服のさいには大量の虐殺を行ったとされるアショーカ王に、改心をもたらし、権力の魔性から目覚めさせたのは、釈尊が残した教えでありました。
 ジュロヴァ よく知られた事実ですね。
2  池田 アショーカ王は、国中に石碑や柱の記念碑を残しました。それらには、“唯一の真の征服とは、自我の克服であり、ダルマ(法・真理)による人間の心の征服である”という王の決意が表れています。
 ジュロヴァ 有名な「法の勝利」ですね。
 池田 そうです。まさに深い闇に閉ざされた人間の心の奥底に達し、埋もれた人間の善性を呼び起こす仏教の力を、みずから強く体験した人にして言い得る言葉でありましょう。
 私は、アショーカ王が、獅子をもって釈尊の説法の象徴としたのも、あたかも百獣の王である獅子の雄叫びを聞いて四周の動物たちが戦慄し四散していくように、釈尊の教えが人間の心に巣くう欲望、狂気、邪見、小心等を晴らしていく、その力強さをみずからが体験したからだと思います。
 ジュロヴァ 仏教の伝統では、獅子のシンボルは深い精神的な意義を持っています。獅子が示すものは、自己に対する勝利、世俗的熱情の克服、地上の悪と権力への欲望の根絶です。これは外部から強いられた法ではなく、人間の内に存在する普遍的な法の統御を表しています。
 獅子は、このように、みずからの成長と完成のためのつきせぬ力を獲得しながら孤独に打ち勝ってきた、精神的に強靭な人間のシンボルと言えるでしょう。
 池田 獅子のイメージを用いたのは、アショーカ王だけではありませんでした。釈尊滅後の仏教徒たちが結集した経典にも、釈尊を「獅子王」にたとえ、釈尊の説法を「獅子吼」と呼んでいる個所が数多く出てまいります。
 勇猛果敢で威力があること、百獣を圧する威厳に満ちていること、孤独をおそれぬ悠然たるふるまい、強敵をおそれぬこと、弱い獲物であってもあなどらず慎重であり、かつ全力を出しきって向かうこと、その威力をだれに頼ることもなくみずからの内から奮い出していること等――さまざまな獅子の姿、ふるまいに託して、釈尊のイメージが釈尊をしたう後世の仏教徒たちに伝えられていったのです。
 真理を覚った釈尊が、邪見、偏見のうずまく社会に躍り出て、敢然と真理を説ききっていく姿は、まさに、「獅子王」の名を冠するにふさわしい勇姿だったにちがいありません。
 そして、いかに苦悩深き人々であろうと、またいかに才気あふれる知恵者であろうと、出会う人ごとに、その人の生命の本質を瞬時にして看破し、ある時は、たくみな譬喩と説話を駆使して、ある時は、生命につきささるような鋭い一言で、またある時は、沈黙をもって、その人の胸奥をゆり動かし魂を呼び覚ましていく、その説法は、「獅子吼」のごとき力強さを持っていたのでありましょう。
 ジュロヴァ よく理解できます。
3  池田 私は、この「獅子」に象徴される釈尊の姿やふるまいの根本にあるものは、何と言っても「法を惜しむ」精神である、と思っています。
 ある経典には、獅子がいかなる獲物と戦う時にも慎重を期し全力をつくしていくように、釈尊がいかなる人にも丁寧に意をつくして法を説き納得させていくのは、法を重んじ法を敬うゆえである、と説かれております。
 また、仏典の中でも最高の崇敬を受けている経典、『法華経』では、諸々の菩薩たちが釈尊の前で、釈尊滅後の悪世の中において、いかなる迫害にあっても仏教を広めていくことを誓う場面があります。(勧持品第十三)
 その時、菩薩たちは、「獅子吼を作して」誓言を発したと『法華経』には書かれておりますが、なぜ本来は仏の説法にあたえられるべき「獅子吼」が、菩薩の言葉にあたえられたかと言うと、私は、その誓言の中に「我れは身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」(法華経四二〇㌻)という精神があったがゆえに、菩薩たちの誓言が「獅子吼」と呼ばれたのだと思います。
 ジュロヴァ 仏教では、獅子の雄叫びは、到達しがたい悠然たる姿のシンボルなのでしょう。その雄叫びのなかにこそ、生命の「善き法」を身にそなえた獅子の強さと能力が存在するのです。つまり、獅子がロゴス(言葉)の力、すなわち説教の力を発揮するのは、まさに獅子吼の瞬間なのですね。
 ここでおたずねしたいのですが、東洋では、一般に、獅子のイメージはどのようにとらえられていたのでしょうか。

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