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日蓮大聖人・池田大作

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第三章 対立から共生へ――豊饒の時代の…  

「21世紀への選択」マジッド・テヘラニアン(池田大作全集第108巻)

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1  イスラム世界の指導者との対話を
 テヘラニアン かつて私は、イランのイマムサデク大学でも、博士号を取得しようとする学生たちの授業を受けもっていました。将来、イランの未来を担いゆく青年たちです。これは私の念願ですが、ぜひ池田SGI会長にイランを訪問していただき、若い人たちに会長のお話を聞かせていただきたい。そのことが、青年たちの考え方を幅広いものにし、未来にとってプラスになることでしょう。
 池田 ご厚情に感謝します。お言葉を重く受けとめます。
 テヘラニアン 会長がイスラム世界を訪問されることは、イスラム世界と非イスラム世界の融和にとって、非常に大きな意味をもつことになるでしょう。会長のような、偉大な功績があり、世界からの尊敬を集めている方が、イスラム世界のリーダーと対話されることは、たいへんに重要な意義をもつものと思います。
 イランでは最近、民主化の動きが徐々に進んでいます。ハタミ大統領が訪米し、国連総会で演説するという画期的な動きもありました。(一九九八年九月)
 池田 二十一世紀への大きな流れを実感させる動きであり、私も注目しています。
2  人間の内なる力は何事をも可能にする
 テヘラニアン ところで、日蓮仏法とイスラムにはいくつかの共通点があると思います。たとえば、どちらも、歴史というものを重要なものとして受けとめる点です。ヒンドゥー教やキリスト教のなかには、歴史をそれほど重要なものとは考えない宗派があります。また、現世よりも死後の天国を重視する宗教もあります。しかし、イスラムと日蓮仏法は、現実のこの世界に重きを置きます。この点、仏教について、池田会長から多くを学びたいと思います。そのなかで、イスラムと仏教の類似点、相違点もおのずと明らかになってくるでしょう。もちろん相違点が見られたとしても、私たちの意図としては、それを否定的に考えるものではありません。
 池田 そうです。「相違」は「多様」に通じます。共通性を基盤として、ともに協力していく。また相違性に着目し、それぞれの役割を尊重し、おたがいの長所を学びながら危機にある現代世界に対し、いかなる貢献ができるか模索せねばなりません。『法華経』に「三草二木」の譬えがあります。仏の説く真理がすべての生命を育みゆくことを、雨と植物との譬えを使って述べたものです。雨は多様な草木を育てます。
 同様に仏の教えも、多彩な人生、多様な文化を保証するのです。多様性こそ生命の証です。
 テヘラニアン そのとおりです。画一性は死の象徴です。まず仏教の創始者であるゴータマブッダの生涯と、その思想の歴史における意義について、うかがいたいと思います。
 池田 ゴータマブッダは日本においては、釈迦族の尊者という意味で「釈尊」と言い習わされています。その伝統にのっとって、私も「釈尊」という尊称を使わせていただきます。詩聖タゴールは、釈尊について次のように語っています。「インドにおける釈尊は人間を偉大なるものとなさった。カーストというものをお認めにならなかったし、犠牲という儀礼から人間を解放なさったし、神を人間の目標から取外してしまわれた。釈尊は人間自身の中にある力を明らかになさり、恩恵とか幸福といったものを天から求めようとせず、人間の内部から引き出そうとなさった。かくのごとく尊敬の念をもって、信愛の心をもって、人間の内にある知慧、力、熱意といったものを釈尊は大いに讃美なさり、人間とは惨めな、運命に左右される、つまらぬ存在ではないということを宣言なさった」(「仏陀」奈良毅訳、『タゴール著作集』7所収、第三文明社)
 テヘラニアン 偉大なる詩人の直感は、宗教の本質を鮮やかに示してくれますね。ブッダは、呪術的宗教から人類を解放し、幸福を“気まぐれな運命”の手から人間のもとに取り戻そうとしたということですね。
 池田 そうです。人間は決して運命の荒海に漂う、無力でみじめな存在ではない。人間の内なる力は何事をも可能にする――釈尊のこの獅子吼は、人類の偉大な「精神の独立宣言」と言ってよいでしょう。
3  「苦の認識」から「苦の原因の探究」へ
 テヘラニアン 会長は前に、釈迦族の王子であったブッダが、若き日にすべてを捨てて出家したと言われました。スーフィズム(イスラム神秘主義)でも、王位と財産を捨てて霊的啓示を求めたイブラヒムアダム王に関する伝説があります。この話はブッダの人生と軌を一にするようにも思えます。その出家の理由について、お聞きしたいと思います。ブッダはなぜ、青春と裕福のまっただなかで、すべてを捨てたのでしょうか。
 池田 釈尊の出家の動機については、おそらく次の経典の一節(『アングッタラニカーヤ』)が、その消息をかなり正確に伝えるものでしょう。「わたくしはこのように裕福で、このようにきわめて優しく柔軟であったけれども、次のような思いが起こった、――愚かな凡夫は、自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している――自分のことを看過して」 「愚かな凡夫は自分が病むものであって、また病いを免れないのに、他人が病んでいるのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している――自分のことを看過して」 「愚かな凡夫は、自分が死ぬものであって、また死を免れないのに、他人が死んだのを見ると、考え込んで、
 悩み、恥じ、嫌悪している――自分のことを看過して」(『中村元選集〔決定版〕』11〈ゴータマブッダ1〉春秋社) こう考えて、心から「若さの驕り」「健康であることの驕り」「生きていることの驕り」が消え失せてしまったというのです。
 テヘラニアン ブッダの出家の動機は、すべての人間存在の根本に存在する「苦」を直視したということでしょうか。たしかに、悲劇的な運命にさいなまれる人だけが「苦」を受けているのではない。「苦」は人間の存在そのものに根ざしています。
 池田 そのとおりです。「苦」が「驕り」と表現されているところが注目されます。今、博士がおっしゃったように、悲劇の渦中だけに「苦」があるのではないのです。他者を老人、病人などと差別的な目で見てしまう驕った心が、さまざまな「苦」を生みだしているのです。そして重要なことは、釈尊はそのような「苦」から逃れたいと望んで出家したのではないということです。というのは、「苦の認識」は「苦の原因の探究」へと続いていくのです。つまり、釈尊の出家は、苦からの「救済」――言い方を換えれば「逃亡」ではなく、「苦」をもたらしている「因」を突きとめ、それを滅ぼすためだったと言えるでしょう。だから仏典では、釈尊を「勝者」とも言うのです。決して「隠者」ではありません。仏は戦う人であり、勝ち続ける人です。
 テヘラニアン ブッダにおいて、出家とはどういう意義があったのでしょうか。
 池田 釈尊は死を前にしたとき、『ディーガニカーヤ』の中で、こう語っています。「わたくしは二十九歳で善を求めて出家した」(同前)
 「求めて」という表現は注目されるべきでしょう。ここには厭世的な雰囲気はありません。「若者」と「老いたる人」、「健康な人」と「病ある人」、「生者」と「死者」を分断する「驕り」――この意識の奥底にひそむ「自他の区別へのこだわり」という「深層のエゴイズム」こそが、「苦」を生みだす元凶であることを釈尊は喝破し、その苦との戦いの勝利をめざして「出陣」したのです。

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