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日蓮大聖人・池田大作

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3 ガン告知――医師と患者の絆  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

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1  人間としての尊厳性とガン告知
 池田 次に、患者がガンであることがわかった場合、医師が治療にあたるさいの重要なテーマとして、ガン告知の問題があると思います。
 最近、日本においても専門家グループからガン告知に前向きの意見が提出され、告知の時代へと向かっているようです。
 ガンによって生じる苦しみについて分析してみますと、次のように異なったものが認められます。
 一つは、身体的な痛みです。とくに進行ガンや末期ガンともなると激痛が持続し、そのため人間としての尊厳性まで喪失しかねません。
 第二には家族や職場、地位、財産などにかかわる社会生活や個人の生活の破綻に関する不安や恐れがあげられます。
 第三には死そのものに対する不安、恐怖であります。
 仏法でも、人間の「苦」を三つに分析しています
 が、痛みそのものは「苦苦」(身体的苦痛)にあたり、家族や社会生活の破綻に対する苦しみは「壊苦」(精神的、社会的苦悩)となります。また、死そのものへの恐れを「行苦」(実存的苦悩)と表現しています。ガン告知の是非論やあり方の焦点に、これらの苦の克服があると思われます。
 ところで、日本においては、ガン告知はなされないことがまだ多いようです。一方、欧米においては、ほとんどのケースで告知すると聞いております。一九七三年の「JAMA」(米国医師会誌)の調査において、すでに米国では九八パーセントの医師が告知するとの結果がリポートされておりました。このあたりに、日本と西欧の人々の死生観の違いが反映しているとも思われます。
 欧米で告知するケースが多い理由として、第一に、「インフォームド・コンセント(知らされた上での同意)」、すなわち患者の知る権利や自己決定権による医療の選択など、患者自身の権利や人権を遵守することがあるようです。
 第二に、「生命の質」に関する問題で、ただ延命するだけではなく、人間性を尊重したケアによって、残された人生を最高に充実させるために、告知が必要なときもあるとの考えがあります。
 一方、医療訴訟の多い米国などでは、法廷闘争のための証拠立証のために告知することもあると聞いております。
 日本では、ガンであることを知らせて、強いショックをあたえ、死期を早めるのではないか、それよりも、患者には知らせないままのほうが、安らかな死になるのではないかという配慮があります。それでも、最近は、告知の方向へと向かっていますが……。
 シマー 今のお話のなかに、すでに患者に対するガン告知について重要な点は網羅されているようです。また、ガン告知に関する議論にとって、仏法の視点は貴重であることを疑いえません。
 私の考えでは、患者は自分の健康状態についてあらゆる情報を知る権利があります。また、一般論として、「知らされた」患者のほうが、治療をよく受け入れることが臨床経験でわかっています。
 もちろん、患者に自分の健康状態を知りたくないと思う何らかの事情があって、自分のほうから質問するのをひかえることもあるでしょう。その場合は、その気持ちを尊重すべきでしょう。それが一時的で、やがては変わることもしばしばですから。
 しかし、個人的には、私がガン患者であったとしたら、知りたいと思います。
 池田 博士は科学者として、冷静かつ客観的にご自分の状態を考察しようとされています。実際、現代医療では、放射線をかけたり、抗ガン剤の副作用が出てきたりすると、ガンであることを隠しきれないことも多いですね。
 シマー 患者は、自分の健康状態について、周囲の人々が思っている以上に知っているものです。
 池田 ガン告知のメリットについて考えますと、病気の真実を知ることによって、治療に協力することが可能になります。医師と患者の信頼関係も深まるのではないでしょうか。また、残された仕事やライフワークなどを完成させたり、家族や友人と人生の総仕上げの時をもつこともできるでしょう。そして、もっとも重要なことは、自己自身が死に直面することによって、有限なる生を自覚し、そこから「永遠なるもの」の洞察へと向かいゆくことも可能だと思われます。
2  そこで、告知のためには、次のことを考慮すべきではないかと思うのです。
 第一に、医療関係者や医師と患者の信頼関係が必要です。
 第二に、医療チームのケアがととのっていること。
 第三に、病気と闘う希望をもたせること。
 第四に、家族や友人の支えがあること。
 第五に、本人が血肉とする人生観、死生観をもっていること、または真剣に求めていること。
 一方、告知のデメリットについては、不用意に宣告すると、強い不安や抑うつをともない、場合によっては自殺するケースも見られることです。また、患者自身が意欲を消失し、治療の中止を余儀なくされ、衰弱することもありえましょう。さらに社会的活動を停止せざるをえなくなることもあります。
3  「希望」こそ病苦に挑戦する原動力
 シマー 患者に“情報を知る権利”があり、医師には“知らせる義務”があるとすれば、病気の性質と、それがどのくらい深刻なのかを伝えるコミュニケーションのしかたが重要になります。
 たとえば、ただ患者に診断結果を告げるだけでなく、家族や親しい人にも知らせることが大切です。
 池田 現実的なきわめて重要なアドバイスです。ガン告知の問題の焦点には、人間の最終章におそいかかる種々の「苦」、仏法でいう「死苦」を克服し、安穏なる境涯を開拓できるかどうかにあります。メリットがデメリットを大きく上回り、「苦」を除き「楽」に転ずることができるように努力すべきでしょう。患者ごとに病状や状況が違うので、あくまでケースバイケースで判断することが基本です。
 シマー もう一つ忘れてはならないことは、患者にどのような情報を伝えるにせよ、患者の年齢や教育、文化的背景に合わせたコミュニケーションを大切にすること。医学的専門用語の羅列ではなく(笑い)、平易な言葉で伝えることです。根拠のない恐怖心をいだいていないか、誤解はないか、などを確かめるためにも、患者と家族にみずからが理解していることを言ってもらうのもいいでしょう。
 池田 患者がよくわかるように話すことこそ、告知の核心です。
 仏典では、好ましい言葉のことを「愛語」と言います。ここでの愛とは、利他博愛の慈愛です。こんな問答があります。(「阿毘達磨集異門足論」)
 「何が愛語の態度であろうか」として「愛語とは、相手が喜ぶ言葉、味わいのある言葉、柔和な顔とやさしい目で話す言葉」であると。また、「ひんしゅくを買わない言葉」というのもあります。
 「愛語」でコミュニケーションをしてこそ、その内容が患者の心に素直に入っていくのではないでしょうか。
 シマー そのとおりですね。もう一言(笑い)、いいですか。
 池田 どうぞ、どうぞ。
 シマー 先ほど、会長が言われていましたが、医師と患者の間のコミュニケーションでは、あらゆる機会をとらえて、患者に希望をもたせるように心がけるべきです。患者が医師と治療の結果を信じ、苦しみを克服し、不安や苦痛に耐えていけるのは、ひとえに、この希望があるからです。
 池田 至言です。希望こそ、「病苦」をはじめとす
 る人生のさまざまな苦難に挑戦する原動力です。
 私が対談したアメリカ心理学会会長のセリグマン博士も、「希望」こそ、苦しみを乗り越え、楽観主義に生きる「キーワード」だと語っていました。
 また、実存心理学のフランクル博士は、『夜と霧』の中で、ナチスの強制収容所で、自分が生き延びたのは、身体が健康であったためではなく、ひたすら未来を信じ、希望をもち続けたからだと述べています。希望を捨てた人は、早く内的に崩壊し、死んでいったとも。希望は身体を強化し、寿命を延ばす力があると述べています。
 仏典(「倶舎論」)にも、「希望は身体を長養し、寿命を延ばす力がある」と述べられています。
 シマー まさにそのとおりです。
 池田 ガンのことを知らせるにしても、また、種々の検査や治療を行うにしても、やはり、医師や看護師などの医療関係者と患者、家族との間の強い絆が、ぜひ必要ですね。

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