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対談にあたって  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

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1  健康な人生を開拓するための糧として
 池田 カナダの名門私立大学モントリオール大学の学長を務めておられるルネ・シマー博士、また同大学の教授であられるギー・ブルジョ博士のお二人と、「生老病死」「健康と人生」について語りあえることは、私の望外の喜びです。
 シマー博士は、「病理学」「細胞生物学」の世界的権威で、とくにガン研究で高名であられます。ガン細胞だけに抗ガン剤を作用させる、いわゆる「ミサイル療法」の先駆者として有名です。
 また、ブルジョ博士は、「生命倫理」「教育学」の大家であられます。
 ともに、二十一世紀の焦点となる分野です。両先生から、それぞれの専門知識や知恵を語っていただき、読者の方々とともに、「生老病死」について知見を深め、健康な人生を開拓するための糧にしてまいりたいと願っております。
 シマー 私も、価値ある仕事であると喜んでいます。私としては、少しでもガンやエイズで悩む方、さらに科学技術の飛躍的な進歩が生命におよぼす影響性を心配されている方々の励ましになれば、と思っております。
 これまで、東京で、またモントリオールで、池田SGI会長と語りあう多くの機会をもてたことは、私にとって大きな触発となっております。
 池田 モントリオール大学と創価大学の学術・教育交流は、一九九四年に開始されました。以来、順調に交流が深まっており、創立者として心から喜んでおります。
 また、一九九八年四月には、貴大学の東アジア研究所と、私の創立した東洋哲学研究所が、学術交流協定を結びました。その調印式には、光栄にもシマー学長にご臨席いただきました。その折、学長が語られた「真理と科学の調和こそが人類に貢献していく」との言葉は、そのまま、私どもの対談の意義に通ずると言えましょう。
 ブルジョ 第二次世界大戦で、カナダと日本の関係は悪化し、しばらく困難な時代が続きました。しかし、両大学の交流によって、新たな協力の道が始まりました。すばらしいことです。私も、この道を通って、こうしてSGI会長にお会いできました。
 シマー 一九九〇年に創価大学を訪問したときのことは、忘れることができません。女子学生の皆さんが歌を歌って歓迎してくださいました。もう卒業されたでしょうが、心に残る思い出です。
 創価大学で私は、SGI会長の偉業の一部をかいま見ることができました。創価大学のキャンパスには、あらゆるものを吸収し、つつんで、友好の心をつくっていく雰囲気があります。また、たんに知識をあたえるのではなく、人を育てているということがわかりました。
 隣接して、豊かな内容の美術館(東京富士美術館)があることも、学生にとってすばらしい文化的環境だと思います。
 池田 愛情をもって見てくださり、感謝します。
 貴大学が、貴国を代表する世界的な大学であることは、よく存じ上げております。
 シマー モントリオール大学は、フランス語系であり、大学院を含めて十三学部、五万人の学生を擁しております。北・南米で最大規模と言えるでしょう。
 モントリオール大学の特徴の一つとして、教育交流に力を入れている点が挙げられます。経済の世界的運動が無視できない現在、大学活動も研究と教授の両面で国際的に多角化する必要があり、そのための努力をしています。教育交流をはかるための協定を、創価大学はじめ世界の九十以上の学校と交わしています。
 池田 一九九三年の美しき錦秋に、貴大学を訪問したことは、私の忘れ得ぬ歴史です。
 海外初となる「現代世界の人権」展(SGI主催)を、貴大学で開催させていただき、そのオープニングの式典に私も出席しました。開催にさいしては、シマー学長、ブルジョ博士には、多大なご尽力を賜り、あらためてお礼申し上げます。
 シマー 私の方こそ、わがモントリオール大学にすばらしい機会をあたえてくださり、心から感謝しております。同展は、終了後も反響が絶えませんでした。
 人権は、今日の西洋世界における重要な関心事であり、SGIの運動はそれを擁護するものです。人間の権利を奪うことは、だれびとにもできません。
 池田 「現代世界の人権」展は、これまで八カ国二十四都市(=二〇〇三年七月現在、八カ国四十都市)で開催されるまでに広がっています。どの地でも、大きな反響が寄せられています。
2  「わかりやすく」「女性中心の議論」を
 ブルジョ 私が感銘を深くしているのは、グローバルな諸問題を提起し、そのための解決をもたらそうとするSGIの広範囲な活動です。SGI会長および同会の皆様は強い使命感から行動を起こされていて、問題がいかに困難なものであろうと、そのための議論や行動を避けたり、先送りしようとはされません。
 池田 温かなご理解をいただき、恐縮です。さらなる行動への励ましと受けとめます。
 私が対談したトインビー博士は、いみじくも、こう語っております。
 「二十世紀は、どんな時代であったと記憶されるだろうか。それは『政治的な抗争の時代』とか『技術的な発明の時代』としてではないだろう。二十世紀は『人類社会が“全人類の健康”を実際的な目標と考えるようになった時代』として記憶されるにちがいない」と。
 今、ますます時代の焦点は「健康」です。「健康」と「人生」「生命」についての社会的関心は、きわめて高い。
 その背景には、平和が進展したこともあるでしょう。また、ストレスの増大などで、健康への不安が大きくなっている現実もあるかもしれません。
 こうしたなか、「健康」を多くの人が論じています。なかには、健康ブームを利用する営利主義や、きわめて非科学的な議論もあるようです。
 私は、今必要なのは、独りよがりではない科学的な立場から、また深い哲学をもつ根本的立場からの「健康観」の確立であり、それを万人にわかりやすく説くことだと思います。
 ブルジョ 賛成です。私は、人間にとってもっとも大切なのは、「生命とは何か?死とは何か?」という問題であると思っています。
 しかし、北米でもヨーロッパでも、生命倫理の議論はこれらの重要な問題を避け、特殊で専門的な事柄に焦点を当てる傾向があります。
 池田 二十一世紀を「健康の世紀」としゆくために、民衆が賢明にならなければなりません。そのために、私は貢献したいのです。
 だからこそ、一般の人々に理解されることが大事です。論文はなかなか読まれません。ゆえに、わかりやすく対話をまとめた対談集を、私は発刊してきました。
 ソクラテスも対話です。釈尊も、私の信奉する日蓮大聖人も対話でした。その伝統にのっとり、また時代相を考えながら、私は多くの世界の知性と対話を進めてきました。
 ブルジョ 会長の「脳死」に関する論文の初めに、“一般の人々も脳死をめぐる議論に参加し、問題への理解を深めるべきである”との一節がありました。
 生死の問題は、人間であるかぎり、すべての人々がかかわってきます。ゆえに、私もわかりやすい対談形式に心から賛同します。
 池田 さらに私は、この対談では、できるかぎり女性を中心に、女性に配慮した対話を心がけていきたいと思っています。
 二十一世紀は間違いなく「女性の時代」です。女性の方々が喜んでくださるような内容にしたいと願っています。
 ブルジョ 私も、生命倫理学のかかえる課題をはじめ、多くのグローバルな課題を、いつも男性が話しあってきたことに問題があるのではないか、と思います。ですから、会長の「女性中心の議論を」とのお考えは、まったく正しいと思います。
 「生死」の問題についても、女性の独特の観点があります。また一般的に、男性はどうしても権力志向の考え方にとらわれがちです。女性のほうが、「生」ときちんと向きあい、その発展をうながす傾向があります。
 池田 真剣に耳をかたむけなければならないご意見です。全面的に賛同します。
 ブルジョ 博士は、「良質の人間生活」を得るために、「女性の力」に注目されていますね。博士は、「女性の力は、『支配』よりも『交流』と『理解』を通じて、世界と人々を結びつけている」と述べられています。また、「女性運動は、女性に対するのと同様に、男性に対しても希望をあたえる」とも。すばらしい言葉です。
 シマー わがモントリオール大学の医学部でも、苦しい勉強を最後まで貫く学生の多くが、女性です。がんばりぬいて卒業を勝ち取るのも、女性が多い。むずかしい仕事につく割合も、女性が高いのです。
 医師も女性がふえています。カナダでは、もし、現在の入学傾向がこのまま続くと、最終的には医師の六五パーセントが女性になるでしょう。男性よりコミュニケーションが上手な女性医師が多くなれば、患者と医師の関係も、もっとスムーズになっていくと思います。
3  シマー“文学から医学へ変えた理由”
 池田 大切な視点です。
 それでは、具体的な進め方としては、第一章「ガンとエイズ」についてはシマー博士を中心に、また第二章「健康と調和」、第三章「生命倫理の課題」、第四章「生命の進化と人類の誕生」についてはブルジョ博士と、そして最後の第五章「生命の世紀の黎明」では、ふたたびシマー博士にも登場していただき、語りあっていきたいと思います。
 そこで本格的な対談を始めるにあたり、最初に私がインタビュアーとなり、読者のために、両先生の個人的な事柄について、何点かうかがっていきたいと思います。
 まずシマー博士におうかがいしますが、博士は、どのような幼年時代を過ごされましたか。
 シマー 私は、カナダのモントリオールで生まれ育ちました。大家族の末っ子です。両親は教育の重要性を信じ、子どもたち全員に大学教育を受けさせました。それで私は幼いころから、ギリシャやラテンの人文系学問を中心とした、豊かな文化的環境の恩恵に浴することができました。
 池田 博士はモントリオール大学時代に、文学から医学へと進路を転換され、医学博士の学位を取得されています。その後、病理学や細胞生物学、腫瘍学の分野において輝かしい業績をあげられました。博士がこうした分野に進まれたきっかけは何だったのでしょうか。
 シマー 病人に対する共感が強かったために、私は医学を学びました。しかし病気の原因についての医学の回答に満足できず、病理学を専攻することにし
 ました。ある病気が進む過程で、診断を決定するのが病理学者であることがその理由でした。
 ところが、このような診断がきわめて価値のあるものであることに疑問の余地はありませんが、診断が生物形態学と過去の経験の蓄積に基づく判断基準にのみ依存していることを、まもなく知りました。そこで最終的には、当時学問として急速に範疇を広げていた、細胞生物学と遺伝学の分野で研究生活を送る道を選択しました。
 池田 なるほど。博士は、モントリオール大学を終えた後、ニューヨークそしてパリで学究生活を送られましたね。
 シマー カナダを発ったのは、一九六二年、二十七歳のときでした。ニューヨーク市のマウント・サイナイ病院と医学校で、実習生として訓練を受けるためです。
 マウント・サイナイ病院は、医師の教育という点にかけては、米国でも屈指の病院であると評価されていました。また、病理学部は故ハンス・ポッパー博士の指導の下に、きわめて活発な研究活動を行っていることで知られていました。おかげで私は、細胞分裂の調節についての研究プロジェクトを進めながら、病理学の訓練を修了することができました。
 当時のニューヨークは、新進の文化を意欲的に吸収しようとしている人たちに、十分に応えられるだけの環境をそなえていました。それに深く感動したことを覚えています。
 ニューヨーク。それは私の心の中で今でも光彩を失っていません。
 池田 詩的なお言葉ですね。ニューヨークの輝きとともに、若き学究の徒であった博士も輝いていたのでしょう。パリはどうでしたか。
 シマー 三年後の一九六五年に、ウィレム・ベルナール博士の下で研究に専念するために、フランスのパリに移りました。
 ベルナール博士は当代一流の科学者としてガンの研究で有名で、今日、エイズや白血病の発生の原因として知られているレトロウイルスを最初に解明した生物学者の一人です。博士はまた、日常生活をいかに有意義に生きるかについて、豊かな経験を積んだ哲学者でもありました。
 当時のパリは、一九六五年にジャック・モノー、フランソワ・ジャコブとアンドレ・ルウォフにノーベル賞が授与されたこともあって、あたかも細胞生物学研究のメッカといった観がありました。私は幸いにもこれら先達の講義に出席し、何度か個人的にお会いする機会をもつこともできました。
 池田 モノーの『偶然と必然』は日本でも翻訳され、たいへんな反響を呼びました。私も興味深く読みました。ところで、博士が学長を務めておられるモントリオール大学について、モットーや特色などをお聞かせください。
 シマー モントリオール大学のモットーは、ラテン語で「世界をあまねく科学と真実の光で照らそう」です。科学者にとってきわめて刺激的な言葉ではないでしょうか。新知識の開拓と大学院生に対する厳格な訓練の実施が本学の最優先事項であると、一九九〇年代の初めに採用された本学の使命を明確にした文章の中で定められています。
 本学の教授は、自分の専門分野の研究に精励して先端をきわめ、授業がその具体的成果の表れでなくてはならないと、要請されています。本学では毎年約三百名の博士号取得者が誕生し、二千名以上の学生に修士号が与えられます。十三の学部、二つの姉妹校のほか、講座や研究センター、あるいは学際的な研究グループが約百二十あります。
 研究資金としては年間二億カナダドルの寄付があり、その意味で本学は、モントリオール、ケベック、カナダの経済的発展に大きく貢献しています。そのうち約四分の一が民間企業からの委託研究や共同事業のために使われています。
 私はモントリオール大学の学長を務められることを光栄に思っています。本学を人類のために「世界をあまねく科学と真実の光で照らす」大学にすることが私にあたえられた使命であると信じ、それが達成できることだけを一途に念願しています。

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