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価値創造の能力を開発するために  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 牧口初代会長は創価教育学をうちたてましたが、教育の目的について、「そもそも国民教育の目的は何か。私は、教育学者流に、哲学などの理論から入って、七面倒な解釈をするよりは、(教師である)あなたの膝もとに預る、かわいい子どもたちを『どうすれば将来、一番幸福な生涯を送らせることができるか』という問題から入っていくほうが、今はふさわしいと感じるものである」(『牧口常三郎全集第四巻』「地理教授の方法及び内容の研究」第三文明社)と、子どもたちに注がれる慈愛こそ、教育の礎となることを主張しています。
 アタイデ この十年間で、約千万人のブラジルの子どもたちが、エイズの犠牲者となる可能性があると聞いたことがあります。私の心は痛み、どうしたら子どもたちをその理不尽な死から救い出せるのかと自問し、良心の苦悩をおぼえたことがあります。
 私も、恐怖により苦しめられている人のため、また、貧困の犠牲者となっている人々のため、さらには全人類の福祉、法的保障、生命の安全のために努力をかたむける「指導者」の「指導者」になることを願っています。
 池田 感銘しました。「指導者」の「指導者」――それは偉大なる哲学と人格によって、世界を変えていく人です。
 アタイデ 私たちは、新しい世紀にふさわしい、新しい展望を創りあげねばなりません。新しい理念を、愛をもって追求しなくてはなりません。そのためには、これまで人類が行ってきたことのなかから、人間にとって「善きもの」を取り出すことが必要です。
 池田 デイル・M・ベセル教授は、牧口会長の独創的な「人間教育」に注目し、次のように語っています。「歴史に残るような教育者の業績は数多く知ってはいましたが、牧口氏の研究を進めていくうちにとくに私の心をひいたのは、氏が『人間を中心にした教育』を目指し、かつ実践に移していることだったのです。このことは、私の求めていた教育の理想でもあったのです」(『世界市民と創価教育』第三文明社)と。
 牧口会長は、小学校の校長として、「人間教育」を実践しながら、『創価教育学体系』を完成しました。それは、「児童の実際的生活に接触ない、砂上の楼閣の様な」教育ではなく、児童の幸福を願い、児童の立場に立った教育でした。
 「創価」の言葉に端的に言い表されているように、「子どもたちの直観力や感覚を養い、価値創造の能力を開発していく」ところにその本義があります。みずからの内面から、創造的英知をみずみずしく輝かせ、価値創造の人格を涵養していく。これこそ、時間や場所を超えて、万人が幸福を実現していく普遍的な力となるでしょう。
 牧口会長は、こうも述べています。
 「(教育は)知識の切り売りや注入ではない。自分の力で知識する(学習する)ことのできる方法を会得させること、知識の宝庫を開く鍵を与えることだ。労せずして、他人の見いだしたる心的財産を横取りさせることでなく、発見発明の過程を踏ませることだ」(『牧口常三郎全集第六巻』「創価教育学体系」第三文明社)と。
 アタイデ 残念ながら今日、子どもたちは、教えられている科目、教師の教え方にほんのわずかしか関心を示しません。教師がしかるべく教えていないのであれば、生徒がしかるべく学んでいないのは驚くにはあたらないのです。
 池田 本質をついた言葉です。“ブラジル文学史上最高の作家”といわれるマシャード・デ・アシスは、短編『学校物語』の中で、教室の授業に関心をもたない一人の少年像を描いています。
 主人公の少年ピラルは、理解が早く、文章も上手に書く、優秀な生徒の一人ですが、原っぱや丘のことを思い浮かべて、たまらなく外を歩きたくなり、学校に来たことを後悔しているのです。
 ある日のこと、学校では、作文の授業が始まる。ピラルは早々に書き上げてしまう。教師はというと、生徒には目もくれず、教壇でその日の新聞にかじりついて読んでいる。すると、なかなか授業についていけない生徒ライムンド――彼は教師の息子なのですが――が、ポケットから銀貨を取り出して、それと交換に構文の説明をしてくれるようにピラル少年に提案する。しかし、そのようすを盗み見ていた生徒に密告され、ピラルとライムンドの二人は、しっぺい棒で手が赤くはれ上がるまで叩かれる。その体験から、ピラル少年は「堕落」と「密告」という「初歩的な知識」を与えられたというのです。
 アタイデ 著作でも有名ですが、マシャード・デ・アシスは、ブラジル文学アカデミーの創設者としても著名で、私が最も尊敬する人物です。
 池田 いかにすれば、子どもたちの興味の扉を開くことができるのか。その焦点の一つは、子どもたちの「知恵」を、どのように開発していくかにかかっています。
 「知恵」を開発するために、これまで遊離していた生活と教育、生活と学問のあり方を改め、「生活と学問の一体化」をはかろうとした点に、創価教育の特徴の一つがあります。それゆえに、牧口会長は、子どもたちが生活する場・郷土から学んだことと、学校で学習したことを、どう連動させるかに心をくだきました。
 「郷土科」を中心としたカリキュラムもその一つです。各教科を理解する基礎として、また、知識を応用する場として、さらに児童がもっている雑然とした知識を整理し、統合し、相互の関係を明らかにするために、「郷土科」を設けようとしたわけです。
 郷土を愛し、自分の生活している場を愛するという、人間本然の心情というものは、そのまま世界を愛するグローバルな心にもつながるのではないでしょうか。牧口会長は、最初の著作『人生地理学』のなかで、「郷民」であるとともに、「国民」であり、「世界民」であるとの自覚から出発すべきことを訴えています。郷土と世界を絶えず視野において思索し、行動する。そこに、「世界市民」としての資質を養い、「民主主義」を支える基盤が築かれていくと思うのです。

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