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日蓮大聖人・池田大作

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人類普遍の価値を創造する粘り強い対話  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 人類の新しい指標である「世界人権宣言」の採択にいたる道程に、幾多の困難、障害があったことを、今までうかがってきました。この粘り強い作業にあたって、総裁は何が最も大切だと考えられましたか。
 アタイデ 第三委員会での検討作業は困難を極めました。開始から一カ月が経過したとき、宣言の草案二七カ条のうち、討議を終了していたのはわずかに三カ条にすぎませんでした。
 しかしながら、この作業は、各国の国民にとってきわめて根本的で、重要な原理原則を討議するものでした。堅固で、恒久的な結果を導き出すためには、おのずと穏やかな歩調で進まねばならないのです。
 池田 同感です。地道で着実な努力の積み重ねによってもたらされた結実は、何ものにも壊されません。また、そうでないものはたやすく崩れてしまうのが、歴史の一つの法則です。人類普遍の価値を創造するためには、「漸進主義」、すなわり粘り強い対話こそ不可欠な要素です。
 アタイデ 第三委員会が世界中のあらゆる問題を解決したとはいえません。しかし、「世界人権宣言」の制定という偉業を見るだけで、この委員会を地球上で開催された会議のなかで、最も実り多きものの一つとして数えることができると思うのです。
 多様性を克服して、いかに意見の一致をみるか。それがわれわれの前に立ちはだかった最大の障害でした。しかし、われわれは一つ一つその壁を乗り越えていきました。
 「世界人権宣言」草案の一条一条を具体的に検討するうえで、私は曖昧な表現は言葉を補って明確になるよう提案し、また条文の内容を“弱める”ような修正案には断固反対したのです。
 池田 第一九条(草案第一七条)の「意見及び表現の自由」をめぐっても、米ソ間で激しい議論が展開されたそうですが。
 アタイデ ええ。報道の自由は制限すべきであるとするソ連代表は、「アメリカの新聞は民意を反映していない」と、激しく非難しました。彼らの主張はこうでした。
 「新聞の自由は、現代においては、逆に多くの民衆の意見を表明する自由を奪い去っている」「発表の自由、新聞の自由は法によって保護されるが、ファシズムや戦争宣伝の拡大を防ぐために用いられるべきだ」
 さらに、「国家の安全と利益の観点を踏まえたうえで、その自由は認められるべきだ」とも述べていました。
 池田 当時の時代状況そのままの議論となったわけですね。
 ところで、戦時中、創価教育学会は牧口初代会長を中心に、機関誌『価値創造』を発刊していました。しかし、一九四二年(昭和十七年)五月、治安当局の弾圧で廃刊を余儀なくされてしまう。初代会長の逮捕はそれから、約一年後のことでした。
 牧口会長は、すでに一九〇三年発刊の『人生地理学』の中で、「良心の自由」「思想の自由」「宗教の自由」とともに「言論の自由」を、「神聖侵すべからざるもの」と書いています。
 アタイデ 「意見の自由」と「表現の自由」は、民主主義が脅かされるさいに最初に侵害されるものです。
 私は訴えました。「この条項に記述された自由なしには、真の民主主義は実現不可能であるが、これらの自由は今もなお危険にさらされている」と。
 池田 民主主義の本質です。権力と戦った「言論の勇者」ならではのお言葉です。
 アタイデ アメリカの新聞に対する非難に対して、ルーズヴェルト女史は敢然と反論しました。「それは事実ではありません」「結論していえば、わが国の国民がむしろ政府と新聞をコントロールしているのです」。まさに手に汗を握る白熱した光景でした。
 会期中、女史と私はマルクス主義の代表が「宣言」に対し、どのような態度をとるのかいくども話し合いました。女史は最後には理解しあえると信じていましたが、私はつねに疑念をぬぐいさることはできませんでした。

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