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日蓮大聖人・池田大作

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総裁が提起した「第一条」をめぐる論点  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 さて、このあたりで、「世界人権宣言」に謳われた条項をみていきたいと思います。
 三〇カ条から成るこの「宣言」は、まさに“人権の大憲章”ともいうべき内容をそなえています。前文はじつに格調高くこう始まっています。
 「人類社会のすべての構成員の、固有の尊厳と平等にして譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由と正義と平和との基礎である」――。
 三〇カ条の構成は、条項の半分以上がいわゆる「自由権」と呼ばれるものから成り立っています。具体的には、第三条で謳われる生命・身体の安全の権利から、第二一条の参政権にいたるまで、市民的、政治的権利に比重が置かれています。というのも、日本、ドイツ、イタリア等で、この「自由権」が十分に尊重されなかったために、第二次世界大戦がひき起こされた、との反省があったからだといわれています。
 さらに「宣言」では、第二二条から第二七条において、社会保障を受ける権利、労働、生活の保障、教育に関する権利など、いわゆる「社会権」を規定しています。
 三〇カ条の条項すべての“核”となり、基盤をなすのが、自由・平等を謳った「第一条」と、差別の禁止を定めた「第二条」です。
 ルネ・カサン博士も、この「第一条」と「第二条」を“建物の土台”に譬えています。つまり、全条項の“基調”となる重要な内容をはらんでいるのです。総裁は、この「第一条」の決定に大いに貢献されましたね。
 アタイデ ええ。世界的かつ万国的な人権法典である「世界人権宣言」の最終文面を作成するため、私を含めた五十五カ国の代表者たちによって、各条項が、厳密に検討されました。
 一つ一つの論議は、進取的な正義の精神にのっとり、古代から現代にいたるなかで、人類の英知によって培われた多様な価値観にもとづいて展開されました。各種の思想、政治体制、倫理・宗教上の規定といった、あらゆる角度から、人類に関する最も深遠な概念とは何か、国家と個人ならびに民族間の関係の改善のためにどうすればよいのか、といった深い次元の議論がつづけられました。これは世界の歴史においてかつてない、空前の出来事だったといえるでしょう。
 池田 それぞれの国が、異なった歴史と“精神的潮流”をもち、政治経済体制の違いも重なって、「第一条」をめぐる議論は白熱したとうかがっています。
 アタイデ 忘れがたい場面です。第三委員会の作業を開始した直後に、各国代表の間で思想的な最初の衝突が生じたのです。
 未来永劫にわたって、すべての国々の政治的、社会的、経済的な規範となるべき「世界人権宣言」です。しかし、その大任のために馳せ参じた各国の代表者間に、思想的な立場の違いがありました。その相違をあらわにする“論争”に火をつける役割を不肖、私が果たしたのです。
 池田 論議を尽くし、十分な意見の交換があってこそ、「宣言」全体の方向性が定まり、そこに新たなコンセンサス(合意)がつくり出されていくものです。ところで、具体的には、どのような論争があったのでしょうか。
 アタイデ 第三委員会の最初の会合のときです。そこに、人権委員会の草案として、「すべての人間は、自由であり、かつ、尊厳と権利において平等に生れている。人間は、生れながらにして良心と理性が授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と謳われた「第一条」が提示されたのです。
 しかし、私は、「宣言」が謳い上げている権利を保障するためには、多くの人に身近な実感をもってとらえられることが必要であり、そのためには「宣言」をあまり抽象的な表現にしないことが重要だと考えました。
 そこで、まず前文には、一切の権利を記述するのと同様に、人間の権利の“絶対的な起源”としての“神”について記述すべきであると主張しました。
 また、「第一条」は、「人間は神の似姿に擬して創られ、良心と理性が授けられたものであるから、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」とすべきだと提案したのです。
 というのも、――すべての人間は自由・平等であり、互いに同胞の精神をもって行動する起源が授けられている。これらはすべて、「理性」と「良心」に拠るものです。
 そして、この「理性」と「良心」をもつことによって、人間が“神”のつくり賜うた万物のなかで最も高い地位を占める――これが「宣言」の「第一条」の本質であるとともに、根本的な要素であり、その他のすべての内容の源であると信じたからです。
 池田 総裁の提案のなかの「似姿」とは、元はラテン語の「イマーゴー」(imago)です。これは、英語の「イメージ」の語源となる言葉です。したがって、総裁は、時間、空間を超越した普遍不滅の存在のイメージをそのまま投影して、人間をとらえようとしたわけですね。
 一方、草案のなかにある「生れながらにして」という表現だけでは「生れてそこから始まる」という時間・空間的な限定のニュアンス(意味あい)が漂うことは否めません。
 総裁が、そのことを敏感に感じとられ、人間の「良心」「理性」は、一個の人間の出生によって始まるものではなく、人間の誕生以来のものである――時間的・空間的に“普遍なるもの”に根拠をもつ“一個人を超えた、人類普遍のものである”ことを訴えられたのではないでしょうか。
 アタイデ そうです。このことは、じつに広く世界の関心を集めました。
 私どもブラジル代表団は、哲学的・思想的な論争のために、この提案をしたのではありません。そうではなく、この提案によって、世界各国から集った、さまざまな民族の意図に応えることができると確信したからです。

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