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第二次世界大戦の悲劇を繰り返さぬために…  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 この章から、いよいよ「世界人権宣言」をめぐって、語り合いたいと思います。
 「世界人権宣言」は、人類の永遠の規範です。その採択から、すでに四十五年の歳月を経ましたが、「人権」は、人類にとって、つねに大きな課題でありつづけました。
 アタイデ 総裁は、「世界人権宣言」の作成に重要な役割を果たされました。そして、「人権」の大切さを、今なお人々に訴えつづけておられる。まさに、「世界人権宣言」の精神を伝える“語り部”です。
 アタイデ これまでも、フランスやアメリカなどに“人権宣言”はありましたが、世界のどの国にも通じ、すべての人間の尊厳が保障されるための宣言――それが「世界人権宣言」です。
 池田 この宣言は、第二次世界大戦の悲劇を繰り返してはならないという、世界の人々の“平和を求める心”の結晶として、つくり出されたものですね。
 アタイデ そのとおりです。これまで世界の民衆は、人権をしばしば無視され、侵害されてきました。とくに“人類史上最大の戦争”であった第二次世界大戦は、人権に対する組織的かつ暴虐的な侵害行為であり、前代未聞の惨禍をもたらしました。
 池田 日本の軍国主義は、アジア・太平洋諸国の人々にはかりしれない苦しみを与えてしまいました。
 ヨーロッパでは、ナチス・ドイツ、またムッソリーニに支配されたイタリアが、周辺諸国を侵略し、人権を蹂躙しました。断じて忘れてはならない歴史です。
 アタイデ 広島と長崎に象徴されるように、全人類の運命さえ危険にさらした、この「戦争」から得た教訓は、核戦力使用の可能性を排除することであり、新たな戦争を絶対に防止せねばならない、ということでした。そのために、どうしても全人類に警告を発する必要があったのです。
 人間は国籍や法律とは無関係に「人間」であるという事実によって、かけがえのない権利を有しており、万国的な保護を受けなければならないのです。
 池田 過日(一九九三年一月三十一日)、ロサンゼルス滞在の折、私はホロコーストの惨劇を展示した、サイモン・ウィーゼンタール・センターの「寛容の博物館」を訪れました。再現されたアウシュヴィッツ強制収容所の鉄門、ガス室……。“人間は、同じ人間に対して、どうしてここまで残虐になれるのか”――。
 私は、その非道の歴史に「激怒」しました。とともに、未来への深い「決意」をしたのです。
 アタイデ ナチスによるユダヤ人虐殺をはじめ、大戦中に発生した異常な残虐行為は、人類に大いなる覚醒をうながしました。つまり、「『人権』とは、“人類”を特徴づける“理性”と“精神的価値”の本質であり、人間の最も崇高な特性の発露である。『人権』は、人間の存在と不可分である」と。
 「人権」を、政治的な体制や方式より高いところに位置づけ、国や時代に制約されることなく、永遠普遍性にもとづいて、定義することが必要です。そして、悲惨な歴史が二度と繰り返されないように全力を尽くさねばなりません。
 池田 創価学会の牧口初代会長は、人道と正義のために、当時の軍部政府と戦い、捕らえられ獄死しました。さらに私の恩師戸田第二代会長も、二年間の獄中生活を余儀なくされました。この厳粛な事実が、私どもの“人権闘争”の原点となっています。
 アタイデ まことに意義深い原点です。仏教、なかんずく池田会長に引き継がれた思想――つまり、人間への差別を断じて許さないとする立場――が尊重されるとき、二十一世紀は輝かしい栄光の世紀となるでしょう。
 池田 私事で恐縮ですが、「寛容の博物館」訪問の折、「人類愛国際賞」を頂戴しました。私はその栄誉を、二人の恩師に捧げる思いでお受けしました。
 とともに私の胸には、未曾有の惨禍を乗り越えて、世界の民衆の人権を守るために闘った幾多の先人への、万感の思いが湧き上がっておりました。
 アタイデ よくわかります。何より人間が「人権宣言」の主役です。悲惨な戦災の現実を目のあたりにして、「人権宣言」の作成に取り組んだ各国の代表たちは、みずからの責任の重大さとともに、「人権宣言」の内容を決定するという作業が、人類の未来のためにどれほど大きな役割を担っているかを、十分に認識していました。
 池田 会長は、ご自身の“偉大な精神性”によって、「人権宣言」を崇高な地位に高められています。
 われわれは、ともに同じ理想を共有しています。自身の理念に立脚しつつ、「世界人権宣言」の永遠不可侵性を守りぬくことを誓いあう同志でもあるのです。

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