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日蓮大聖人・池田大作

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「人間主義」とは「人間」を愛し「人間」…  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  アタイデ 釈尊の教えは、人間に対する愛、さらに、「貧しき人々や、人類の未来を託す子どもたちに、幸福と利益と安寧をもたらそう」という使命感を呼びさまします。
 池田 平等な人間愛にもとづく慈悲の実践は、差別され、自由を奪われ、貧困や抑圧にあえぐ苦悩の人々との「同苦」から出発します。
 『勝鬘経』には、在家の一婦人・勝鬘夫人が釈尊に対して、次のような誓いを立てたことが記されています。
 “私は、孤独の人、拘禁され自由を奪われた人、病気に悩む人、災難に苦しむ人、貧困の人を見たならば、決して見捨てません。必ず、その人々を安穏にし、豊かにし、苦しみから救っていきます”と。
 最も苦しんだ人、最も虐げられた人こそ、最も強く、最も幸せになる権利があると信じます。また、そうした人々のために献身する人生は尊い。その人の生命は輝き、充実感に満たされるでしょう。
 アタイデ 私の身近には、「同苦」と「献身」という崇高なる実践の好例があります。
 それはわが家の、二人の若い家政婦さんです。彼女たちは、ブラジルSGIに入会し、仏法を信仰しています。私は、彼女たちに信仰を始めた動機を尋ねました。彼女たちは「他の宗教は、私たちの魂を満足させてはくれませんでした。私たちは、探し求めていたものを仏法に見いだしたとき、はじめて疑問が消えました。今、幸せを感じています」と語っていました。
 彼女たちは、“魂の安らぎ”“人類がともに幸福に暮らせる気高い価値観”を、池田会長の教えから得ることができた、とうれしそうに話してくれました。
 池田 あたたかなご理解、感謝いたします。地理的には日本と最も離れているブラジルでも、多くのSGIメンバーが活躍しております。
 無名の庶民による自覚の行動こそ尊い。人間の偉大さは行動にある――これが仏法の真髄です。
 日蓮大聖人も、「日蓮は安房の国・東条片海の石中の賤民が子なり威徳なく有徳のものにあらず」(「善無畏三蔵抄」)と、ご自身が庶民であることを、高らかに宣言されました。
 アタイデ 国籍や出生にかかわりなく、人間は人間であるという事実によってのみ、崇高な責任を負うのです。
 自由と平等を求め、差別と闘いゆく努力が、全人類の守るべき義務として刻印されたのは、仏教のおかげです。仏教は理想主義の活力となっています。
 池田 ガンジーは「アシュラム」の中で、カーストや社会的地位をこえて、すべての人々に平等でした。
 釈尊の教団(サンガ=共同体)においても、すべての人がそれまでの社会的地位、身分、出生に関係なく、まったく平等でした。彼らは平等な社会のモデルを、まず教団という“共同体”の中に築き、平等と自由の精神が、その共同体から全社会へと広がることを期待しました。
 日蓮大聖人は、仏法の精神にもとづく理想社会の建設を論じた『立正安国論』を、時の最高権力者に書きおくっています。苦しみに満ちた現実社会に、釈尊以来の理想を実現するため、権力と真正面から闘ったのです。そのために、数々の迫害を受けることになりました。
 大聖人は、『立正安国論』において、国家をこえた“普遍的価値”“人類的価値”を志向されていました。その“普遍的価値”とは、一次元でいえば、人類共通の「権利」である、自由、平等、連帯、平和に通じゆくものといえます。
 アタイデ その闘いを継ぐ池田会長は、どうすれば、身近な生活のなかで、人権の侵害がなくなるか、また、どうすれば、平和、平等、正義を創造することができるか、この点をつねに語り、行動をつづけておられる。
 池田 私は、「人間」を愛し、「人間」を信じています。どこまでも「人間主義」を進んでいきたい。民衆に苦悩をもたらす、あらゆる「差別」と闘い、すべての人が「人間」らしく生きられる世界を築いていくことが、次の世代への私たちの責務です。
 そのために、私はアタイデ総裁をはじめ、世界の優れた識者・知性と対話を積み重ねつつ、人類の幸福のためのネットワークを構築してまいりました。
 アタイデ そこに私は、希望をみるのです。仏教の偉大なる教えは、池田会長ご自身の行動に、すべて具現されています。会長は、人間の自由、平等、信仰のための偉大な闘士です。不可能を可能とし、さらに希望と確信に変えてくださった。偉大なる変革の“頂点”に生きているという確信を、われわれに与えてくれています。
 それゆえに、すさまじい速さで変化する不確実な社会、政治、経済のなかにあっても、私たちは、光輝満つ「人権の世紀」の到来を期待できるのです。

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