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日蓮大聖人・池田大作

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生命の“魔性”との闘い――釈尊の悟り  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 釈尊は、なぜ王位を捨てて“沙門”としての生活を選んだのか――さまざまな視点からとらえられます。ここでは、「人権」の闘いの観点から考えてみたいと思います。
 総裁もよくご存じのように、釈尊の出家の動機は、生老病死という「四苦」との対決、超克にあったとされています。釈尊は、人間存在そのものにつきまとう根源苦を解決し、真に「自在」な人生を求めて出家しました。
 ではなぜ、王位を捨て去ったのか。釈尊の心には、変革期の激動の社会で苦悩する民衆の姿が、つねにあったからではないでしょうか。
 釈尊は、民衆と同じ高さから、一人の人間として、「四苦」の根源にある「真理」をつきとめようとしました。
 外なる権威、権力、地位、財産、出生等への執着は、真理の探究のためには、むしろ障害となると考えたのでしょう。釈尊は、出家のさいに、宝冠や王族の衣服を捨て去った。無常なるすべての“外在物”を払いのけて、「無所有」の人間として、自己自身の生命――内なる小宇宙の洞察へと進んでいったのです。
 タゴールの言葉に「ギリシアの文明は、粘土によって作られたレンガの間から生まれたが、インドの文明は森の中で生まれた」とあります。釈尊もインドの伝統にしたがって、森の中で、思想をきたえ、内なる「生命宇宙」へと、理性と直観の光を照射していきました。
 一個の人間の「生命宇宙」は、本来、全宇宙をもつつみゆく無限の広がりをもっています。釈尊は、修行によって研ぎ澄まされた英知の光で、この「生命宇宙」を照らしだした。
 彼は、信頼感や慈愛の心とともに、権力欲、権威欲、物質欲、名誉欲といった、「差別」を生み、自他の「自由」を奪う煩悩が、生命の奥底から噴出してくる様相をとらえた。そして、一切の煩悩・エゴイズムと対決しました。
 釈尊は、「生命宇宙」に実在する“魔性”と闘い、ついに“魔”の根源を打ち破って、慈悲と智慧に輝く永遠なる「宇宙根源の法」と一体化できたのです。多くの経典には、その“魔”との対決と勝利が、克明に記されています。
 アタイデ “施しを乞う王子”釈尊の存在と、その教えは、他のいかなる教えも到達したことのない高みに、人々を導きました。釈尊の教えは、当時の曖昧で不安定な社会の状況をこえて生まれたがゆえに、絶対的といえます。
 池田 おっしゃるとおりです。「宇宙根源の法」は、人種、民族、出生、階級等の無常なる「差別」をこえて、すべての人間自身の「生命宇宙」に平等にそなわっています。これを仏法では“仏性”と呼ぶのです。
 この「宇宙根源の次元」において、釈尊は、一個の人間の「本質的平等性」と「自由自在なる境地」を悟り、そこから、人間を差別し、自由を奪う“魔性”との闘いへと旅立っていったのです。
 釈尊の「人権闘争」は、すべての人々の“苦悩”を超克し、歓喜を呼び起こす源泉となる「宇宙根源の法」を基盤にしていました。彼は民衆の真っただ中で、八十歳の入滅まで、瞬時も休むことなく「闘争」をつづけたのです。
 アタイデ その「闘争」のなかで説きつづけられた、釈尊の教えには、まず「慈愛と正義の精神」の偉大さへの認識が存在しています。
 池田 総裁の洞察のとおりです。差別や権力欲、暴力を生みだす“魔性”との闘いは、「正義と慈愛の精神」による人権闘争です。
 アタイデ 二十一世紀において、われわれは進路を見誤ってはなりません。今後も乗り越えられないと思える困難が起こってくるでしょう。しかし、正義の精神と、至高なる存在への愛があれば、克服できないものはありません。
 池田 崇高なる精神の闘いなくして、歴史の転換はありません。
 マハトマ・ガンジーの「真理」(サティヤ)の「把握」(グラハ)をめざした非暴力(アヒンサー)の激闘も、正義と愛による精神の闘いでした。それゆえ、ガンジーは「『非暴力』は無限の愛のことであり、無限の愛とは、受難に耐える無限の能力のことである」「愛の力は魂の力、真理の力と同じである」と述べています。
 この「アヒンサー」の源流は、釈尊の時代に求められます。仏教では、この「アヒンサー」を「不殺生」と呼んで、人間らしさを支える五つの基本の戒め(五戒)の一番にかかげています。
 アタイデ 仏教は、理想のヒューマニズムを教えています。人類が未来への目標としてかかげ、実現に向け努力するための模範です。仏教には、それが華麗なまでに明快に綴られています。
 池田 釈尊は、民衆の無限の可能性を信じていました。『法華経』では「如我等無異」(我が如く等しくして異なること無からしめん)と説かれています。民衆一人一人の仏性を発現させ、自己と等しく仏の境涯に高めゆくことを宣言し、生涯を民衆救済に捧げたのです。
 釈尊が「不殺生」としてかかげ、ガンジーが、「非暴力主義」の運動として展開した「アヒンサー」は、民衆と「同苦」しつつ、その苦を打ち破る“慈悲”の実践でした。
 その闘いは、豊潤にして広大な民衆の精神を土壌としていました。ゆえに、ガンジーは「非暴力には敗北はない」「私は手に負えない楽観主義者である。私の楽観主義は、非暴力を発揮しうる個人の能力の無限の可能性への信念にもとづいている」と、悠然と語ることができたのです。

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