Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ガンジーとパンディ博士――師弟の出会い…  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 私はこれまで多くの識者の方々と対話を重ねてまいりました。「対話」こそ、「未来」を開くカギと確信するからです。
 そのなかで、アタイデ総裁とインドのパンディ博士のお二人との出会いには、特別の意義を感じています。
 アタイデ それは光栄です。
 池田 会長は、「武力」を「対話」へと変え、人類を調和へと導いておられる。すべての悪の脅威に打ち勝つものは、「対話」による相互理解と連帯の力であることを、「行動」をもって教えてくれています。
 池田 「行動」の人か否か――この一点が、人間をみる基準でしょう。八十七歳のパンディ博士も、一貫して「行動」の人です。
 博士は、ガンジーの直弟子であり、ニューデリーにあるガンジー記念館の副議長をされています。一九九二年に、インドと日本でお目にかかりました。
 総裁と博士は、私の恩師戸田城聖先生と同時代のお生まれです。そして、恩師がそうであったように、民衆のため、人権のために闘い、それゆえに不当な権力によって獄につながれた“闘士”です。しかも、すべてを乗り越えて、新たな時代を開かれた。
 お二人は激動の二十世紀を生きぬいてこられた“歴史の証人”であり、“人類の宝”ともいうべき存在です。
 こういう方を顕彰せずして、人間の道はありません。人間、だれが偉いか――不当な権力と闘い、人間の尊厳を守った人こそ偉大です。
 アタイデ 今世紀を際立たせる戦争と革命は、人類を救い、困難な道程を克服する方法を教えてはくれませんでした。
 しかし、今、われわれの生きた二十世紀を振り返るとき、“ヒューマニズム”こそ、完全で絶対的な勝利を得たといえるのではないでしょうか。“ヒューマニズム”は、二十一世紀の最高の精神の指標となるでしょう。
 池田 総裁のお言葉ゆえに、重い一言です。
 ところで、パンディ博士との会見では、ガンジーとの最初の出会いが話題になりました。博士はその日時も、状況も、事細かに、しかも感動的に語られました。まことに鮮明な記憶でした。
 一九二一年、博士は、「サティヤーグラハ」(真理の把握)の闘士として、非暴力の戦いを志します。十四歳の若さでした。当時、博士は、詩聖タゴールの学園で学んでいました。彼は、タゴールの紹介状を手に、ガンジーのアシュラム(研修所)を訪ねる。まさに、歴史の劇の一コマを見るような、出会いの場面です。
 アタイデ どのような語らいがあったのでしょう。
 池田 ガンジーは、紹介状を読んで、博士の頭から足の先までをじっとながめる。そして、こう問いかけます。
 ガンジー「君はバラモンですか」
 パンディ「そうです。バプー(お父さん)」
 ガンジー「ここではバラモンの人には、特別の仕事を与えています。それでもいいのですか」
 パンディ「はい」
 ガンジー「本当にどんな仕事でもいいですか」
 パンディ「何でもやります」
 すると、ガンジーは満足の表情を浮かべ、博士を、研修所長のもとへやり、「この少年を立派に育ててあげなさい。明日からトイレ掃除の仕事をさせなさい」と告げたのです。
 なぜ、ガンジーがそうした“仕事”をさせたのか――博士は、「非暴力の闘士になるためには、バラモンに生まれ育ったゆえの『優越感』を排除しなくてはならないからでした」と。
 ガンジーは、社会の最下層で差別された人々を、「ハリジャン」(神の子)と呼びました。その人々の苦労を知るなかで、人間の“尊厳”と“平等性”の自覚をうながそうとしたのです。

1
1