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「サティヤーグラハ」の実践  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 マンデラ氏も、キング博士も、マハトマ・ガンジーの思想と実践に強い影響を受けていることはよく知られています。
 マンデラ氏はインドのガンジー記念館を訪問した折に、“私はガンジー主義者である”とスピーチしています。
 私がお会いしたハーバード大学のコックス教授(宗教学)も語っていましたが、キング博士の「非暴力」は、ガンジーからの影響を受けて形成されていきました。ガンジーは世界の非暴力運動の源流といえましょう。
 そして、その淵源はインドに誕生した釈尊にまで、求められるのではないでしょうか。
 アタイデ そのとおりです。歴史は多くの場合、仏教にその深い根をもっていますね。
 池田 ガンジーが、みずからの運命を一八〇度転換してしまった「マリッツバーグ事件」に遭遇したのは、南アフリカの地でした。彼はインド人を中心として人権闘争を繰り広げ、「人種差別」と戦いました。この闘争を通して、ガンジーは後の「非暴力主義」の核を形成していきました。
 日本では、しばしば「非暴力・不服従」自体が、運動の本質のように思われがちですが、ガンジーはみずからの運動を「サティヤーグラハ」(真理の把握)と呼んでいます。
 ガンジーによれば、「非暴力」と「サティヤーグラハ」は、一枚のコインの表裏のようなものである。にもかかわらず、「非暴力」はどこまでも手段であり、「サティヤ」(真理)は目的だとしています。
 その「真理」すなわち「サティヤ」とは、「~であること」、言い換えますと「あるべきすがた」という意味です。人間の「あるべきすがた」、万物の「あるべきすがた」を追求したのです。そして、「グラハ」とは“しっかり握りしめて放さないこと”です。みずからの確固たる信念として、生きる姿勢として「体得」することを意味しています。ガンジーは「真理」は永遠であるゆえに、そこから汲みだされる歓喜も永遠であると確信していました。
 アタイデ おっしゃるとおりです。
 池田 「サティヤ」は「諦」と漢訳され、仏法でも「真理」を表す言葉です。たとえば、人間の苦悩とその解決の原理として説かれた「苦・集・滅・道」の「四(聖)諦」は、「チャトゥル(四つの)・アーリヤ(聖なる)・サティヤ(真理)」と呼ばれます。
 ガンジーは、すべての人が本然的に平等であり、尊厳であるという「真理」を見据え、そこから流れだす、永遠なる歓喜の潮流にひたりつつ、あらゆる「差別」と闘いました。
 ガンジーとともに、民衆も「サティヤ」――「永遠なる真理」からわき起こる“歓喜”を知っていたがゆえに、文字どおり生命を賭けた「非暴力」の戦いが可能だったのです。
 釈尊とその弟子たちも、「四諦」の実践を通して、永遠なる宇宙の「真理」に根ざして、傲慢なるバラモンの権力や、不当な王権の介入と戦いました。

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