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日蓮大聖人・池田大作

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献詩「人道の旗正義の道」に託して  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  アタイデ この対話の重要性は、どうすれば人権が正しく尊重されるようになるか。そして、どうすれば二十一世紀において、それがたんなる希望ではなく、現実となるかを示すことです。
 そのため、「世界人権宣言」を推進した一人である私と池田会長との、この対話の大きな目的は、まずこの希望が、人間の精神史において、どのように実現されてきたかを知ることにあります。
 池田 人権獲得のためには、今日まで数知れない先人たちの血と汗が流され、幾多の試練への挑戦が積み重ねられてきました。
 思想・理念の面、行動・運動の面を含め、リーダーとなって献身し、戦った人々は、それこそ数えきれないほどです。その一人一人の行動は、きわめて尊い歴史として残り、今日の世界の人権意識の高揚をもたらしています。
 アタイデ ハムラビ王の時代から現代まで、人類は新しい精神性の構築をめざす英雄的な努力と、偉大な戦いをつづけてきました。現代においても、時代を画するような人物が、いにしえの時代と同様に、この戦いに熱烈に参加しています。
 池田 そのような人権の闘士のなかでも、非暴力をつらぬきインドを独立に導いたマハトマ・ガンジー。アメリカにおける人権差別撤廃・公民権運動の大指導者であったマーチン・ルーサー・キング博士。アパルトヘイトに反対し、南アフリカの黒人解放のために戦うネルソン・マンデラ氏は、ひときわ際立った存在であるといえるでしょう。
 アタイデ 同感です。この三人の人物は、まさに人類にとって、真の意味での英雄であり、人権のために戦った闘士として、特筆に値します。
 池田 私が、マンデラ氏と語り合ったのは、一九九〇年十月三十一日、東京(聖教新聞社)でのことでした。マンデラ氏が釈放された年の秋のことです。すばらしい秋晴れの日でした。
 私は、二十八年の獄中生活を耐えぬいたマンデラ氏を、創価大学の学生をはじめ、約五百人の青年とともに、南アフリカの愛唱歌「オリサッサ・マンデラ」を歌いながら、万感の思いをこめて迎えました。青年たちの真心の歌声に、マンデラ氏はにこやかな笑顔で応えられていました。
 アタイデ 感動的な光景が目に浮かぶようです。
 池田 マンデラ氏が釈放されたのは、一九九〇年二月十一日。氏は、そのとき、七十一歳でした。
 私は「人道の旗正義の道」と題する詩を、会見の席上、マンデラ氏に贈らせていただきました。
 アパルトヘイトに対するマンデラ氏の闘争は、世界的な評価と支持を得るとともに、同様の戦いを繰り広げる各国の人々に、大きな勇気を与えています。
 出獄後、ただちに精力的に世界を回り、活発な行動を開始された。その鉄のごとき信念に、私も深い敬意を禁じ得ません。
 アタイデ マンデラ氏は、屈することなく、牢獄で長い期間を過ごされた。だからこそ、現在、人権尊重の世界的な象徴となっています。
 マンデラ氏が、私を「世界人権宣言」の推進者の一人であると知ったうえでの出会いは、彼にとっても、また私にとっても、忘れることのできない瞬間でした。
 池田 総裁とマンデラ氏がお会いになったのは、一九九一年八月に、氏がブラジルを訪問したときのことですね。そのときの印象はいかがでしたか。
 アタイデ 私たちは、彼の言葉の謙虚さにより、希望をさらに強くすることができました。その優雅な話し方と、ヒューマニズムの反映である生き生きとした表現は、深く心に残るものでした。
 池田 同感です。“本物”には“本物の言葉”があります。本物の“人格の輝き”があります。それは、一瞬の出会いでも強く深く響きあうものでしょう。

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