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日蓮大聖人・池田大作

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はじめに 池田 大作  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

前後
1  南米に“巨人”がいる。ブラジルに“人格の勇者”が光彩を放っている――私はかねてから、その人のことを存じあげていた。
 その名、アウストレジェジロ・デ・アタイデ。氏は、逝去のその日まで、ブラジルの知性の城、南米最高峰の“言論の府”として、言語文化と文学の発展に寄与してきたブラジル文学アカデミーの総裁を務められました。“南米の良心”として、世界の人々から高く評価されていたことは、あらためて申し上げるまでもありません。暗夜のごとき現代世界にあって、二十一世紀への確かな航路を指し示す、“希望の灯台”であったといえましょう。
 一八九八年にブラジル・ペルナンブコ州に生まれ、文字どおり二十世紀を生きぬいてこられたアタイデ氏。その生涯には、不当な権力との闘争が“魂の勲章”として輝いております。
 ファシズムが台頭してきた一九三〇年代。ブラジルでも憲法を無視した独裁者が出現する。若くして新聞記者となり、正義のペンを振るっていた氏は、敢然と立ち上がり、護憲革命運動に身を投じました。逮捕、そして投獄。三年間にわたる国外追放。だが、ついに、母国への堂々たる凱旋の日を迎えております。
 一九四八年、第三回国連総会において、人権の不滅の金字塔である「世界人権宣言」が採択された折には、ブラジル代表の一人として、討議に参加し、人権闘争の歴史に、偉大なる功績を残しております。この「宣言」の草案の執筆者として知られるフランスのルネ・カサン博士は、一九六八年にノーベル平和賞を受賞されましたが、その折、こう語られております。「この賞は私一人のものではない。ブラジルの偉大な思想家アタイデ氏と分かち合いたい」と。
 じつにアタイデ氏は、どこまでも人間を最高に価値あるものとして尊重し、その尊厳を守りぬくために生涯を捧げられた“偉大なる人権の守り手”でありました。その栄光の足跡は、歴史の進展とともに、ますます燦然と輝いていくにちがいありません。
2  私が初めて氏にお会いしたのは、逝去の約七カ月前、一九九三年二月のことでした。満九十四歳とは思えぬ矍鑠とした態度で、慈悲と英知の光を放つ姿に、強く心打たれました。あたかも私の恩師戸田城聖第二代会長がブラジルで迎えてくれたような思いがしました。恩師は一九〇〇年生まれ。存命ならば、アタイデ総裁とほぼ同じ年齢です。私は深い感慨を禁じ得ませんでした。
 「人類の幸福をめざし、生命と人間精神を守る献身的な行動は、人類を永遠に守る実践であろう」と多大なる期待をこめて語ってくださった言葉を、私は、襟を正す思いでうかがいました。
 人類の幸福のために献身する――それこそ、私が仏法に巡り合い、今日にいたるまでつらぬいてきた“恩師の魂魄”ともいうべき信条だったからです。
 かねてから互いに“何としても会談したい”と切望していた二人の思いが実り、“魂の交流”を重ね、対談集を編む機会に恵まれたことは、何よりの喜びであります。
 私は、この対談を通じて、氏の最晩年にふれる、歴史の証人たらんと心がけました。と同時に、光輝ある二十一世紀、「人権の世紀」を創りゆく深遠なる思想、哲学の“精髄”を、氏とともに未来の青年に贈りたいと念願しておりました。
 現代天文学によれば、百数十億年前の「ビッグ・バン」により、宇宙は壮大なる進化をつづけています。宇宙進化が生命を発生させ、人類の進化の条件を造り上げました。
 人類誕生以来、四百万年――二十世紀後半の今日、人間の歩みは、“差別”から“平等”へ、“束縛”から“自由”へ、“憎悪”から“慈愛”への「変革の扉」を、いよいよ開こうとしています。
 悠久なる人類進化の底流を形造ってきた「宗教」は、まさに「人間」のためにある――今、その宗教は、「黄金の世紀」を開きゆくために何をなしうるのか。宇宙永遠なる「法」を洞察した仏法は、人類の進歩をうながし、偉大なる精神の開花する「人権社会」を創り出すための宇宙観、生命観、人間観を内包しています。仏法者には、仏法の哲理を根本とした、社会への実践を通して、精神性に裏打ちされた「未来社会」を招来する使命と責務があるといってよい。ゆえに、私は一人の仏教者として、人類の幸福のために生涯を捧げた、戸田会長の弟子としての使命の道を、アタイデ総裁とともに歩んでいきたいと願ってきたのです。
 さて、総裁と私の使命感と深き縁が作り上げた本書の企図と構成を紹介しておきたいと思います。
 まず第一章から第三章までは、アタイデ氏をはじめ、人類史を飾る“人権の闘士”――マハトマ・ガンジー、マーチン・L・キング、ネルソン・マンデラ等から、二十一世紀を開きゆく人権闘争のあり方を学ぶものとなっています。それは、非暴力による尊貴なる人間の、権力の魔性との激闘です。
 次に、第四章から第六章は、「世界人権宣言」の成立についての“真実”と“未来性”を、その採択に重要な役割を果たしたアタイデ氏に語っていただき、人類史に残すことに力点を置いています。ここでは、「世界人権宣言」へと結実しゆく西洋人権思想の底流をなす、ギリシャ哲学、キリスト教の系譜を克明にたどっています。
 さらに、第七章から第九章においては、「第一世代」(自由権)、「第二世代」(社会権)の人権を基盤に、「第三世代」(環境・開発権など)へと展開しゆく人権運動――「二十一世紀の人権」の“内実”を、教育、宗教、平和、環境等の視座から照明しゆくものとなっています。
 また、全編を通して私のほうからは、宗教、なかんずく仏教の包含する「慈悲」と「自在」と「平等」の精神が、二十一世紀にどのように開花し、人権運動の原動力となり、“光源”となりゆくかを語り、氏の忌憚のないご意見をうかがいました。
 なお、本書はリオデジャネイロを訪問した折、氏と語り合った内容をベースにして、インタビュー、書簡等によって展開し、それを編集したものです。
 アタイデ総裁が入院されたのは、一九九三年八月二十七日、対談のための最後のインタビューから六日後のことでした。入院中、総裁は、医師や看護婦の方に、何度もこう語ったといいます。「私にはやらなければならない大事な仕事がある。早くここを出していただきたい。私は池田会長との対談をつづけなければならないのだ。来たる世紀のためにも対談をつづけなくてはならない」――。
 病身でありながら、なおも未来を見据え、未来のために語り、戦わんとする“闘士”の姿に、私は、胸熱くなる思いでした。
 また、冒頭に掲載させていただいたアタイデ総裁の「はしがき」は、総裁が生前、みずからタイプライターを打ち、つづられたものとうかがいました。高齢のため、使われなくなっていたタイプライターの前に久方ぶりにすわり、全魂をこめて残されたのです。
 アタイデ総裁の訃報に接して一年を経た昨年八月、氏の長女ラウラ女史、御主人シィッセロ氏、次男ロベルト氏がブラジルからはるばる来日され、親しく懇談させていただきました。その折、御一家三人と私の長男・博正が座談会を開き、語り合った内容が、本書末に収録された「父の肖像」です。
 ここでは、家族の目から見た、アタイデ総裁の人間像がより鮮明になるとともに、氏の信念、精神が、後継の人々、若い世代、二十一世紀を創造する人々に、どのように引き継がれているかが、うかがわれるものとなっています。
 最後に、この対談を進めるにあたり、翻訳の労をとってくださったサンパウロ大学の二宮正人教授に、心より感謝申し上げます。
 微力ながら私も、アタイデ総裁をはじめ世界の先達が点じられた「人権」の松明を、高らかに掲げて走りつづけることをお誓いし、氏の御冥福をお祈りする次第です。

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