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はしがき アウストレジェジロ・デ・アタ…  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

前後
1  現代世界における二人の偉大な指導者の「対話」――それは、本質的かつ不可欠な人権の擁護のために、人生の最大の努力をかたむけてきた両者にとって、たんなる「出会い」であるというより、それをはるかに凌駕する「語らい」であると思えてなりません。
 なぜなら、世界の傑出した存在として献身的ともいえる行動をつづける池田大作氏が、人権思想の高潔な価値を全面的に擁護する一書を、後世にとどめようとされていることを知ったからです。
 私たち二人が等しく主張してきた人権擁護の戦い。それを基盤とするこの対談によって、二十一世紀には人類が古代から求めつづけてきた、歴史的な願望が開花することになるといえるでしょう。また、これから迎える新世紀に、この願望を達成することは、人類の哲学・思想・社会・政治史を塗り替える、最も重要な事実として残ることにもなりましょう。
 信じ合える、また忘れ得ぬ“闘う同志”として私が希望することは、私たちのこの“熱烈なる献身”が、明日という日を開き、来たるべきその日を、すべての老若男女の“平等のための行進”の決定的な“救世の日”とすることであります。
 あらゆる偏見を取り除いた洗練された平等観というものは、宗教的感覚の妙なる法理に則るものであります。その平等観が最も民主的な原則として確立するとき、「世界人権宣言」は永遠不滅のものとなることでしょう。
 東洋と西洋の融合を図る池田大作氏の賢明なる教訓には、「世界人権宣言」において示された高貴な理想があります。また、氏が提示する二十一世紀への路線と指針は、人類を恐怖から解放された世界へと覚醒させ、非差別と平等の尊重、家庭と家族の安穏によって、その貴き世界を守ることでありましょう。それは、一人の羊飼いが羊の群れの足並みをそろえて導く姿に似ているといえましょう。
 対談という発想は古く、キケロもまた友人たちと対談をしました。歴史をひもとくと、詩人ジョンソンと作家ボスウェルとの有名な対談があります。また前世紀には、エッカーマンとゲーテの重要な対談があります。そして、池田氏は、現代の最も著名なイギリスの歴史家トインビーと対談しています。
 対談は、偉大な思想を有する人物が、それぞれの意見を交換し、そのインスピレーションに富む議論を後世に残す一つの方法です。またそれは、言語と文化が異なるなかにあっても、つねにそれぞれの社会、政治、経済的特色のなかで生きる国民間の思想を、伝達し合うことができる形態でもあります。そうした対談が積み重なっていくところに歴史の進路が開かれ、人類の進化の局面を迎えることができるのです。
 その“対話”は、次世紀においても思い起こされ、その時代、その空間、その問題性に応じて、その時の人間たちによって取り入れられていくでしょう。ゆえに、“対話”が二十一世紀の将来に大きな影響をおよぼすことは間違いありません。なかんずく、深い思索から行動する現代の指導者・池田大作氏との対談は、決して忘れ去られることがないばかりか、偉大な進路を切り開いていくことでしょう。
 対話によって残された偉大な教訓が引き継がれ、進化する精神に“連鎖の輪”として深く影響することは、近代人類史のなかで、思想家、高度な宗教思想の創造者・池田氏の存在が、まさしく偉大であったことの証左となると思います。
2  人類は、その誕生から新しい創造をつづけてきました。私は、その人類発展の出発点は、地上の楽園においてアダムとイブが禁断の実を食べて、神に背いた“不服従”に見いだすことができると思うのです。そして、そこから人類の決してとどまることを知らない、偉大なプロセスが開始されたのです。
 例えば、数千年の歴史にその名をとどめた『ハムラビ法典』、またそれより遙か後の、十戒を含むモーゼの書があげられます。同書は『ハムラビ法典』が、より要約されたものですが、同様の秀作です。その影響は今日までおよび、純粋なる宗教性をもつその法典は、仏教の場合と同じように、その哲学的概念の結果として、人間と国家の在り方に多大な影響を与えました。
 前ソクラテスの時代には、ミレトスのタレス、ソロン、ビアス、キロン、クレオブロス、ピッタコス、ペリアンドロスのギリシャ七賢人らが、公の場で多岐にわたる問題に意見を戦わせました。それは、ソクラテスとプラトンの深遠かつ多彩な思想と同じインスピレーションにもとづくものだったのです。
 現代において考えれば、なんら阿諛、追従の意図なく、私は池田大作氏の名をあげたい。池田氏こそ、まぎれもなくアリストテレスの後継者であると思うからです。アリストテレスは、その偉大な著作からもわかるように、「イデア(理想)」によらず、経験的ビジョン「エイドス(形相)」を源泉にして、懐疑に立ち向かった最初の哲学者です。また、その哲学はその後、プラトン主義に対してアリストテレス主義と呼ばれ、近代自然科学の進歩の重要な要素とされてきました。
 二十一世紀という未来の世代の創造的な思想を把握するために、過去の世代の哲学の歴史について語ることは、書簡形式の対話の中では冗長なものかもしれません。しかし、次代の創造的な思想は、池田大作氏の指導者としての魂に脈打つ、最も鮮明なる理念であることを示すためには必要なことなのです。
 現代が経験している二十一世紀への進化のプロセスは、「世界人権宣言」のわずか三〇条の簡潔な条文に示されているとおり、すべての差別を排除し、“国家と人間”を結びつける新たな時代の到来を示唆している、と私には思われるのです。また現代社会の急速な発展をうながしている情報からも、かの三〇条の条文は、人類のかかえる数々の問題を解決するためにある、と示唆しているように思われるのです。「昨日の革新的な理念」(「世界人権宣言」)は、今日進行している調和と統合への過程の根っこになっている、といえるのではないでしょうか。
 人間の生活は停滞してはいません。平和、友愛、和解を確保しようとする高潔な切望によって、新たな発見への歩みをつづけているのです。平和、友愛、和解は空虚な言葉ではありません。人間と国家に、さらに哲学・科学・芸術の主題に、多大な影響を与えてきたのです。それは、一つの羊の群れに、一人の牧者が至高なインスピレーションを与えたことと同じことなのです。
 羊の群れとは、すべての差別形態を離れた全人類のことです。牧者とは、すべてのものが羨望も嫉妬もなく歩むという理想を体現した人のことであり、何千年もの間の障壁を打ち破る人のことです。
 神々は人間と同じように生まれ、そして消えていきます。しかし、真理は永遠の存在として、信仰の理想を求める人がいるかぎり生きつづけます。宗教は最も重大にして高度の社会現象であり、これに気づかない人は、人間の生活がなんであるかも理解できないことでしょう。宗教は、真実を求める人間の知性の具現化なのです。
 アンドロメダ星雲、猟犬座、銀河系、さらに何百万もの他の銀河の運命がいかなるものであろうと、それらすべての宇宙は、二十一世紀において、宗教の分野における偉大な哲学的概念によって、明らかにされるといっても過言ではありません。
 そして池田大作氏は、氏が推進している永続的な改革運動に現れているとおり、深い哲学観に裏づけられた明快な時代観をもった人であり、その存在は歴史のなかの一つの価値として数えられ、その運動は時代の進展とともに拡大していくことでしょう。
 最後に、こうしたことから考えれば、時間と空間も、永遠への単なる象徴でしかないことを、ここに書きとどめておきたいと思います。

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