Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第一章 「世界市民」意識の確立へ  

「世界市民の対話」ノーマン・カズンズ(池田大作全集第14巻)

前後
1  相互理解による安全保障へと転換
 池田 これから、国連をテーマに話を進めていきたいと思います。
 カズンズ教授が世界連邦主義者世界協会の会長を務めるなど、国連強化のための運動を精力的に進めてこられたことは、よくうかがっております。その貢献に対して、国連平和賞が授与されておりますね。
 私どもも、民間次元で、これまで国連への支援を平和行動の大きな柱としてきました。創価学会インタナショナル(SGI)は、国連の経済社会理事会のNGO(非政府組織)のメンバーになっています。ご存じのように、一九八九年秋には国連軍縮局とタイアップして「戦争と平和」展を国連本部で開催し、大きな反響がありました。
 その年の春、デクエヤル国連事務総長とお会いしたさい、この開催が正式に決まったわけですが、国連のトップの方々とも機会あるごとに、国連支援の進め方、国連の強化などについて具体的に意見の交換をしております。
 最近の国際情勢の変化のなかで、米ソの協調路線等は、国連が活動しやすい環境を生みだしつつあると思います。これからは民間レベルでも、国連強化のため活発に知恵を出しあうことが、いっそう大切になってきているのではないでしょうか。
 カズンズ まつたく同感です。現状に即して言えば、世界の全体的平和を、米ソだけにゆだねるわけにはいかない。米ソは世界全体の安全保障を確立するために、国連のなかで協調し、紛争解決の手段を生みだすべきだというのが、私の基本的な考え方です。国連は、戦争の根本原因に対処できるように、強化されねばなりません。
 池田 現在の国連は、さまざまな現実的課題に直面しております。またこれまでは、国連の無力さを指摘する声も多く聞かれました。私は、こういった国連批判も承知していますが、むしろ国連が難問に直面しながら、各国の代表が一堂に集い、討議しあえる場を、四十年以上にわたって世界に提供しつづけてきた時間の重みを高く評価したい。こうした実績をもつ全世界的な討議の場こそ、新しい秩序づくりの核となりうると考えるからです。
 さらに評価すべきは、ここ数年来、国連が特別総会等のかたちでグローバルな危機について取り組み、それなりの成果をあげてきた点です。したがって、国連の欠点、弱点を指摘するだけではなく、これまでの成果をふまえつつ、現状をいかにして建設的に改革し、国連強化の実をあげるか、この点にこそ衆知を集めることが肝要でしょう。
 カズンズ 国連が世界になしてきた貢献は否定できません。それと同時に、主要な国々の外交政策においては、国連が依然として第二義的な存在にとどまっていることも認めざるをえません。今日の支配的な考え方は、あるがままの世界を反映するような国連でなければならないということでしょう。しかし、ここで困ってしまうのは、世界の現状そのものが絶えず変化を迫られているという事実が、もう一方にあるからです。したがって、その変化に対応しうる機構となるよう、国連を改革強化していくところに、九〇年代の大きな課題があります。
 国連を改革するには、いかなる内容をもりこんだ改革案であれ、一案だけをもってして、それのみが全地球の諸問題に対する万能策になると思うなら、それは愚かな期待としかいいようがありません。しかし、国連の基本的弱点のなかでも、諸国家間の緊張関係をなおも複雑化しかねない点をまず除去することから始めれば、改革へ、少なくとも第一歩は踏みだせるはずです。
 弱い国際機構がかかえる問題の一つは、大国小国を問わず、個々の国家に十分な安全保障ができないところにあります。侵略に対しては、実際に功を奏する抑止力がない。好戦的国家は、抑止力のないところを見つけると、どこであろうとその弱みにつけこもうとするものです。それには、たとえ平和愛好国でも防衛上、入念な軍備によって対応せざるをえなくなります。こうした状況のもとでは勢力争いが生じ、緊張関係が飽和点に達するのは時間の問題です。
 池田 そのとおりです。バランス・オブ・パワー(勢力の均衡)という概念によった平和観は、それ自体が、もはや完全に行き詰まっています。たがいに軍事力を釣り合いのとれたものにするという考えは、もともと矛盾をはらんでいます。軍事力というものは、相手のそれに勝っていてこそ、意味のあるものだからです。
 また軍事力は、その実態を秘密にしておくことで、いわば幻想の肥大効果をもつものです。すなわち軍事力で優勢ならんとすると、相手の推定軍事力は幻想化され、肥大化されて、その結果、たがいに強迫的な軍事力増強に駆られることにもなります。
 それは結局、自国の経済に大きな負担をかけ、いずれ耐えられないところまでいくことは明らかです。初めのうちは軍備開発が、経済発展の刺激剤になったとしても、過大になったときには経済構造をゆがめ、かえって障害になっていきます。今の米ソ間の雪解けも、そういった徒労への反省からきているといえるでしょう。
 まず、教授のおっしゃるような、平和愛好国ですら軍備をせざるをえないという状況を変えていかなくてはなりません。そのためには、軍事力を偏重した安全保障から、友好と相互理解による安全保障ヘと大きく発想を転換し、そのための文化と人間の交流を促進すべきです。今日では、共存共栄関係を重視しなくては、いかなる国家もやっていけないのは明らかです。これらのことを確実になしとげるためにも、国連の強化、改革が必要ではないでしょうか。
2  「不戦」倫理の確立
 カズンズ その必要を国連憲章は予見していますね。そこには、つまり国連の将来を根本的に左右しかねない新たな事態が生じた場合、その事態を本格的に検討する会議(総会)を開催するという含みが読みとれます。
 この「新事態検討会議」が開催されるとして、その根本目的を考えてみると、それは、もちろん国連がその新たな事態に応じる法規を制定し、執行し、解釈しうる手段を探求することでしょう。しかも、このような会議は世界の諸国にとって、過去のことは過去のこととして新たに出発する機会ともなるでしょう。
 こうして強化された国連に加盟して得られる恩恵は、全加盟国にとって平等でなくてはなりません。この新たな国連の一員たることが、万国共通の権利でなくてはならないのです。安全保障はもちろん、世界の万民共通の幸福に真剣な関心をもつ国家なら、いかなる国家といえども、この国連に加盟しあうことを躊躇してはなりません。
 また、改革され強化された国連の一員たることには、恩恵にくわえて当然なことに義務と責任が伴います。人類の権利たる恒久の平和、有意義な平和は義務を担わずして得られるものではありません。
 加盟の条件は、明確に申し上げられると思います。すなわち規約を遵守すること、各加盟国の諸権利を尊重すること、義務をすみやかに履行すること、および共通の安全保障に関する問題では国連の強制管轄権を原則的に受け入れること、この四点です。人類共同体は国家共同体に優先するというのが、要点です。
 池田「人類共同体は国家共同体に優先する」というのは「人類益は国家益に優先する」ということに通じます。このことを私は、機会あるごとに訴えてきました。こうした考え方が各国の賛同を得るか否かが、強化された国連がその後も長くつづくかどうかを決する、最も大切なポイントであるといっても過言ではありません。
 「人類益」という考え方は、これまでの国益が国家主権思想に裏づけられていたように、「人類主権」というべき思想に裏づけられねばなりません。人類主権とは、世界の全民衆が平和と幸福のうちに共存する権利をもつという思想を基盤とするものです。ですから、それを阻害するもろもろの条件を拒絶する権利も確立されねばならないでしょう。その意味から私は、教授があげられた四つの加盟条件にくわえ、五点目にあえて困難を承知のうえで、「不戦」倫理の導入を提案したいと思います。というのも、この点をあえて明示することによって、その四つの条件が真に可能なものになると思うからです。
 「不戦」を国際社会における各国家の最低限の倫理として確立することができれば、国連は人類益に資するさまざまな事業を遂行していく基盤がととのうはずです。この「不戦」倫理の確立によって、これまで投入されてきた膨大な軍事費を、各国家の国力に応じ、人類益事業の推進の基金として拠出させるなら、その財政的基盤をつくることもできます。
3  国家主権の絶対性に制限を
 カズンズ 国連は社交クラブや、共済組合のようなものではありません。諸国家の義務を明確にし、履行させるために存在すべきものです。これに従わない国家があれば、それが世界秩序には問題となります。
 それが反抗的であればあるほど、問題は大きくなりますから、その国家を秩序ある世界の管轄内に組み入れる必要もまた大きくなります。しかし、万国が加盟すべき国連であるなら、その前提として、平和にかかわる問題では国連が責任のとれる権限をもっていて当然です。
 したがって、国連自体が名実ともに力をもつようにすることこそ、国連改革の目的であるべきです。その力も侵略を防止できる、侵略が起きればただちに対応できるほど大きな力でなくてはなりません。また国家の軍備に関しても、効力ある法規を制定し、規制できる国連であるべきです。そのためには、国連が取り決める軍縮への道を諸国民は信頼しなくてはなりません。
 そのうえに国連は、大量破壊兵器の密造に対しても、これを防止できるための査察権をもたなくてはなりません。
 池田 国連が査察権をもつということは、逆にいえば、加盟国は査察を受け入れる義務を負うということにほかなりませんね。先に、INF(中距離核戦力)全廃条約の検証のため、米ソが取り決めた査察体制は画期的なものであり、私はその先例にかんがみ、国連の査察権の問題もやればできるとの感触をもっております。
 「査察を受け入れる義務」は、実質的に国家の絶対的主権の一部制限を意味するものですが、国家エゴにとらわれているかぎり、人類の未来はありません。
 人類の絶滅を回避するためには、どうしても国家の軍事権に一部制限をくわえ、国家を超える機関ヘ権限を委譲していく必要がある、と思います。そして、国権の発動たる戦争の放棄をうたった日本国憲法が、今後どのように全地球的な規模で生かされていくかは、人類史的な実験としての意味をもつと思います。そして、国権の発動たる戦争の放棄をうたった日本国憲法が、今後どのように全地球的な実験としての意味をもつと思います。
 ことが一国の問題にとどまらず、全人類の平和と幸福に影響をおよぼす問題については、国連がリーダーシップをとって解決に取り組む必要があります。
 国連に査察権をもたせることは、現在および将来の人類的課題に取り組むさいにネック(障害)となる利己的な国家主権の制限、これを実現していく具体的な第一歩となるでしょう。米ソ間で取り決められた査察体制は、たとえそれが牢固たる岩壁にあけられた小さな穴であろうと、その意義はきわめて大きいものがあります。
 では、国家はすべての主権を放棄すべきかとなると、これはさらに別な角度から検討をくわえねばなりません。
 カズンズ 当然、主権のなかには国家に残しておくほうがいいものもあります。問題は、どの主権を残しておくかということですね。
 個々の国家の独自な制度と文化に関する主権ならば、その場合は国家が保持する権利を主張すべきです。
 これについては、主権を「保持する」というより「回復する」というべきでしょう。なぜなら、国内の事柄に関しては、国家主権が世界の無秩序のために、はなはだ弱められてきたからです。はやい話が、何百万もの市民の職業や運命を、また市民に課せられる納税額を、そして自由な制度にくわえられる圧力等を左右してきたのは、すべて戦争であるか、戦争への不安であったからです。

1
1