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ローマ・クラブがめざす新たな生命の哲学…  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  ローマ・クラブがめざす新たな生命の哲学
 われわれは、地上に平和の条件を確立するもっと確かな方策を講じなくてはならない。ローマ・クラブは、この平和の条件を探求するうえでなんらかの貢献をしようと努力してきた。ここでは、暴力そのものと暴力のイデオロギーは、いかなるものにせよ、もはや現存しない過去の遺物となったことを再度強調しなければならない。いまや奴隷制度や生贄の慣習と同じように、暴力とそのイデオロギーは、現代社会と相容れない文化的錯乱現象となり、社会的病理となったことは言うまでもない。
 言うまでもないことだが、現状でわれわれに必要なのは、生命についての新しい哲学である。生命の哲学を導入することによって、暴力志向を一掃するとともに、われわれを取り囲む情勢が一変したことを知り、われわれには個々の人間と世界とのバランスと調和を回復する義務があることを厳粛に受けとめ、その責任を負わなくてはならない。もっとも、われわれが求める生命の哲学は、祖先が生きる指標を見いだした生命の哲学とは当然異質のものである。祖先たちが生きていたのは、現在ほど複雑な社会ではなく、問題も少なく、知識や技術もはるかに劣る時代であった。
 われわれがまず銘記しなければならないのは、この新たな時代の特性を知り、緊迫した状況を十分に踏まえた新たな生命の哲学を構築し、至上課題としての平和と非暴力を踏まえた「知恵の柱」の原則を確立することである。われわれの世代は、善きにつけ悪しきにつけ、歴史の転換期を生き抜かなければならない宿命を担っている。われわれには、人類が新たなビジョンと知識を求める門出に立って第一歩を踏み出せるよう、力を尽くす義務があることも間違いない。
 だからといって、われわれは現存の世界の政治・経済体制に全面的に依拠することはできない。世界各地で、旧来の体制は大半が、理性あるものには受け入れがたい形となった。米ソ両超大国はもっぱらパワーゲームにふけり、いずれも相手の潜在的核戦力に強迫観念を強めている。いずれも自己中心的で、独善的な態度や意図に対して、微力とはいえ、真っ向から立ち向かおうという変化の兆しを、根底からくつがえそうとしている。
 逆に、一般的にいって、多くの国で世論が積極的な意義を担い始めている。世論は国際社会で生起する出来事に合わせて揺れ動き、世界がこれからどうなるのかを考えて恐れおののいており、なんらかの犠牲──この犠牲は回避できないものと思う──を払ってでも、よりよきものへの転換を志向している。
 偉大なる社会変革は、市民社会の感情と理性の支持を得たものでないかぎり、永続性のあるものにはなりえず、この意味からも、生命の哲学に関するさまざまな問題を、まず最優先させて取り上げなければならない。世論も、この問題の緊急性を早急に認識しなくてはなるまい。

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