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日蓮大聖人・池田大作

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人間革命への行動  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  人間革命への行動
 人類がおかれている状態についての、またこの状態をより安全でよりよい性質のものにするには何が必要なのかについての、このような広範な再評価という背景の中で、われわれは、かくも多くの苦難の真っただ中にもいくつかの大きく勢いをつけた新しい肯定的な諸現象が現れてきたことによって、おそらく勇気づけられることでしょう。つまり私は、ここではとくに、人類社会から物質的暴力を根絶させることをめざす、三つの主要な草の根運動の広がりと、その集結力、連帯性のことを言っているのです(注4)。
 自然、平和、人権の擁護のためのこれらの運動は、献身的な市民団体による活動の結果、すでに世界の各地に芽生えつつあり、数多くの国々にみることができますが、それらはいまだ巨大な氷山の一角にしかすぎません。
 これらのほかに、まだ明瞭な形で姿を現すことはできないながらも、第四の運動が、ほとんど世界のいたるところでいまにも沸騰しようとしており、あるいはすでに爆発しています。この運動は、人数的には他の運動よりもはるかに強大なのですが、しかし、きわめて種々雑多な動機の類別に応えようとするものであり、これまでその全勢力の有効な展開を妨げてきた正反対の利害によって、分裂すらしています。この運動は、私がさきに述べてきた社会・経済的正義へ向けての世界的運動であり、おそらくこれは、人間革命が十分に進捗を遂げて、より広範な基盤の知的支援や、より一貫した政治的支援でこれを補強することができたときに、初めてその一層大きな結束力と効果を示せるようになるでしょう。
2  これらの運動の展望や可能な影響を詳しく論じることは、本書の目的を超えることになります。しかし、ここで少しだけ付言するならば、これらの運動に大きな意義があり、しかも潜在的な威力があるのは、それらが支配階層の頭脳の産物ではないからです。これらの運動は、社会の底辺から押し寄せ、しかも強力な、大衆的な性格をもっています。このことは、きわめて数多い地域共同体の社会的団体が、この世紀末に世界を襲っている混乱と危惧にもかかわらず──そのおかげではないとしても──思いがけない量の活力をもっており、それらの諸団体がこれらの運動において、あたかも病める生物体における抗体ともいうべき、襲いくる種々の病弊と戦う要素を生み出していることを示しているわけです。
3  結論として、こうした民衆のイニシアチブそれ自体は、まだ分散しており組織だってもいませんが、しかしなおそれらには、今日、広範な大衆の良心のめざめがみられ、より汚染のない、より公正で生きがいのある社会に対する要請がますますみられるという、最も励みになる証拠を提供してくれています。そして、これらのすべてが、人間革命への健全な種子なのです。
 しかしながら、この人間革命の中核的な部分にもやはり、われわれが最近、物事を急激に推し進めている中で問い質すことを忘れている、しかしもはや避けて通ることのできない、本質的な疑問があります。この疑問は、われわれが人類としての自らの結末についていだく不確かさ、自らの限界の拡大に成功するにつれて増してくる不確かさが集約されたものです。それは、もし洞察力と知恵が、この驚くばかりに蓄積している知識と拡大しつつある力を導くならば、種としての人類は、果たしてどこへ行くことができ、またどこへ行くべきなのか、そして、このようにずば抜けた能力をもって、人類は自らにどう対処し、この世界で何を成し遂げるべきなのか、といった疑問なのです。
 現在の状況の新しさ自体が、そしてそれが他のあらゆるものに対してもつ意味が、まさにわれわれを仰天自失させています。そして私自身もまた、これにはいささか恐れをいだいています。さりとて、人類がどこへ行こうとも、この基本的な疑問は常につきまとって回答を迫るでしょうから、これらすべてを無視しようとするのが虚しいことだということは、私にはよくわかっているのです。人類の未来が保証されるためには、われわれは自らのためにも世界のためにも、考えられる最高の水準で、いまこそ責任をとらなければなりません。もっと多くを知るまでこの問題に直面するのを延ばそうとすることが不可能であることを、私はよく理解しているのです。

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