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日蓮大聖人・池田大作

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六、時代遅れの国家主義  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  六、時代遅れの国家主義
 池田 国家主義体制は、それ以前の細かい単位に分かれていた社会同士の対立・抗争を解消し、それに代わって相互協力を確立するうえで、一つの歴史的役割は果たしましたが、今日では、より大きい単位での協力関係の樹立が求められています。にもかかわらず、この国家主義体制は、逆に現代の世界的な対立・抗争を強める働きをしています。
 たとえば、日本を例にとってみますと、かつての日本はそれぞれの地域が大名・武将によって治められ、互いに対立・抗争し合っていました。それが最も激しかったのが十五~十六世紀の戦国時代ですが、十七世紀初めには統一され安定化しました。しかし、完全に中央政府のもとに一体化が実現されたのは、十九世紀後半、明治維新以降のことです。
 ところが、国内で平和を実現した日本は、近代化・西洋化への道ともあいまって、国際社会にあっては中国、ロシア、そしてアメリカ等々とつぎつぎに戦争をして、世界全体の協力体制に対しては、背を向けてきました。その結果、第二次世界大戦でかつてない敗北の憂き目にあい、大勢の人を戦火に失い、多くの文化遺産が破壊されました。
 このかつての日本と同じく、各国の国家主義体制は、今日では国内における統一という目的は達し終えたものの、国際社会における対立・抗争の助長という弊害を、むしろ大きく生じています。いまや人類にとって最も重要な課題は、国際社会における人類全体の相互協力関係の樹立です。
 現在のような、武力をもって自らを守り、自らの利益を追求する国家主義体制を解消し、資源の保護、環境汚染、食糧不足等、全世界的な諸問題を解決するためにも、国家の枠を超えた、より大きな機構が創られるべきであると私は考えます。
2  ペッチェイ おっしゃるとおり、民族国家体制は、どうしても奥底から、安全に実行できる範囲で、できるだけ早急に改革することが必要です。
 近代民族国家の起源は、封建制度に終止符を打ち、ヨーロッパ史上、社会・政治的な画期的事件となった、一六四八年のウェストファリア条約にまで遡ることができます。私どものヨーロッパ大陸はその当時、人口も疎らで森林に覆われていました。ごく少数にしかすぎなかった読書人口は、揺らめくロウソクの灯で書物を読み、そして、どこへ行くにも、だれもが徒歩で旅をしていました。馬に乗ったのはごく少数の人びとで、また、乗り心地はまったく良くなかったものの、とにかく馬車で旅することができた人の数は、さらに少なかったのです。
 今日、通信・輸送網が世界中に張り巡らされているにもかかわらず、また知識と即時の情報、コンピューター、人工衛星等の信じられないほどの発達にもかかわらず、さらにはあの「爆弾」の存在にもかかわらず、われわれ現代人は、世界の政治機構の支柱として、いまだに民族国家体制にしがみついています。他の面では変革の激しいこの時代にあって、この時代遅れの形態は、不和や抗争を助長する国家主権の原則とあいまって、人類の進歩を妨げる主な障害の一つとなっています。
3  これを改めるには、構造面と原理面の進展が不可欠です。そのため、まず要請されることは、世界共同体から国家的性格を取り除くこと。です。これを漸進的に達成するうえで、私は四つの主な方途を考えています。
 第一に、“準国家的”な自治体や権威機関を発展させることです。大きな私企業は、必ずしも模範的な公徳心を示しているとはいえませんが、組織面では時代の先端を行っています。これらの大企業は、通例、もろもろの事項に関する決定権を分散して、それが実施される重層的組織の現場レベルに一任し、そこで全体の調和・調整を保つような方法・方策を設けて実施させるようにしています。これと同様の方法が、政治・行政機構にも考案され、採用されるべきでしょう。そうすれば、これは、新流行の「地球的に思考し、地方的に行動する」方式が、より良く適用できることの実例となるでしょう。政治・行政上の機能や決定権を分散して、これを直接利害が絡んでいる、したがって問題点や可能性をより実感している人びとの手にゆだねるというこの方針は、すでに北アメリカでも西ヨーロッパでも応用されており、うまくいっているものもあれば、試験段階のものもあります。

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