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日蓮大聖人・池田大作

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五、国連と真の平和  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  五、国連と真の平和
 池田 人類を滅亡におとしいれるかもしれない危機はいくつかありますが、最も悲惨で最も愚かしいのは戦争であると私は考えています。仏法の業(カルマ)の考え方からいえば、戦争で殺すのも殺されるのも、その人自身の業であるということになりますが、これは絶対に変えられない業と定まっているわけでなく、人間の意思で変えられるのです。さきにも述べましたように、すべての場合がすでに過去に決まっている業であるわけではないのです。むしろ現在の意思で憎しみ合い、傷つけ合うことによって、未来のために恐るべき悪業をつくっていくことこそ恐れなければなりません。
 とくに現代の戦争においては、戦う意思ももたず、わが身を守る用意もない非戦闘員までが、大量に殺傷されます。原水爆を使用した場合は、何百万もの非戦闘員が、悲惨な犠牲になるわけです。もとより、戦闘員同士の殺し合いも悲惨であり、仏法上大きな悪業をつくる行為ですが、身を守る術もない一般市民の生命を奪うことは、もっと大きな悪業になります。
 中世ヨーロッパにおいて戦闘員であった騎士──日本ではサムライ──は、自分の命を守るために、重い頑丈な鎧で身を包みました。現代の戦闘員である兵士は鎧こそ身に着けませんが、身を守る工夫もしますし、訓練も施されます。ところが、現代の戦争は、そのような訓練をされない一般人をも、無差別に殺傷するのです。
2  私は、人間の行為の中で最も破壊的なこのような戦争を、なんとしても避けなければならないとの気持ちから、アメリカ、ソ連、中国など各国の首脳とも会って、平和のために話し合いを重ねてきました。しかし、平和を守るためにより大事なことは、民衆相互の信頼と理解の絆を強めることであり、そのうえに立った平和への協力体制の確立です。そして、私は、その基本となるのが、第二次世界大戦の悲惨な教訓から生まれた、各国の話し合いの場としての国際連合であると信じています。これに対して、ペッチェイ博士はどうお考えでしょうか。また、博士は恒久平和をもたらすために、世界政府のつくられる可能性、さらにそれが平和への道となりうるかという問題について、どのようにお考えでしょうか。
3  ペッチェイ 私は、国連は、現在の形態のままでは、現代の切迫した諸事態に十分対応しうる、世界的政治機構の礎として機能することはできないと思っています。また、さまざまに異なる生活水準をもち、他国を犠牲にしてまで自国の利益を求める国家主義的精神が染み込んだ数十億の人類にとっての、理想的な話し合いの場ともなりえないと考えています。
 とはいえ、現在、国連に比肩しうる重要性をもち、ほぼ全地球的な代議制をもつ国際的な討論の場が他にないため、その仕事ぶり全般がいかに緩慢で、とくにその平和維持の成績がいかに悪くとも、われわれは国連を維持し、強化していかなければならないわけです。
 人類はこれまで、この惑星上で急激に自らの状況を変容させ、その物質的装備を途方もなく向上させてきましたが、一方では、時代遅れの政治哲学や政治制度からいまだに脱皮できないでいます。これは、国連の過失ではありません。国連は、あらゆる国内的な抗争や国際的な緊張や欠乏や欠陥などの、事実上の貯蔵所になってしまっているだけなのです。こうした状況のもとでは、国連は、世界の秩序を立て直すことも、あるいは、平和を脅かすもろもろの紛争に権威をもって介入し、処理することすらも、ほとんどできないわけです。

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