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日蓮大聖人・池田大作

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国家と世界平和  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  国家と世界平和
 国家は、戦争という、人間の最も残虐な大量殺戮行為の主役を務めてきました。国家の機能は、その内側に対しては、言うまでもなくその国家に属する人びとを統治することですが、外側に対しては、外交を行い、それを解決できない場合は武力をもって戦争を繰り返したという歴史があります。
 ですから、この内外両面の機能の中でも、内側の国民の統治ということも、極論すれば、戦争をより強力に行うための準備的手段にすぎないとさえいえるようです。少なくとも、第二次世界大戦にいたるまでの国家のあり方は、このように言っても差し支えないような歴史を歩んできました。したがって、国家において最も高い栄誉を与えられたのは、ほとんどいずれの国においても、外国との戦争で自国の勝利をもたらした将軍たちでした。その陰に失われた多くの人びとの生命、流された大量の血は、むしろその栄誉を支えるものとされたのです。国家──とくに近代国家──は、戦争という大量殺戮行為を、いかに効率的に遂行できるかを目的として組み立てられた、巨大機械であるといっても過言ではないように思われます。
 そもそも国家の機能をいかに効率的に高めるかという点については、中国が最も早くから成功してきました。幾度か王朝の交代があり、主役は代わったものの、あの広大な土地にわたって多様な民族を含む巨大な国家が一つの統一体を形成してきたのは、この技術に中国人がいかにすぐれた天分をもっているかを証明しています。ただ、中国の場合は、同等の規模で並立する敵がなく、周囲は国家としての機能をもたない部族集団か、または、中国に倣って国家を形成しても、属国として入貢してくる弱小国しかなかったということもあり、国家同士の熾烈な競合、戦争の明け暮れということは比較的なかったのです。
 それに対し、ヨーロッパでは、近世以後、中国と同じような官僚機構を整えた機能的な国家が形成され、しかも、互いに並存する形で形成されたため、相互の激しい争いが繰り返されることになりました。第一次世界大戦は、この大量殺戮機械としての国家の恐ろしい威力が明確に発揮された、人類の悲劇でした。
2  しかし、その国家という機械の脅威への認識の不十分さと、大戦の結果を戦勝国の栄光という視点でしかとらえられなかったことのために、さらに悲惨な第二幕を演ずる愚を犯したのです。しかも、この第二幕、すなわち第二次世界大戦においては、国家と国家の複合が強められて殺戮機械はさらに巨大化し、科学技術の大幅な応用によって、実際の殺戮・破壊手段もはるかに巨大化し、残虐性を増したわけです。
 第二次世界大戦後、いわゆるニュルンベルク裁判、東京裁判によって、敗戦国の戦争責任者の罪が裁かれました。その本質は、勝者の敗者に対する処罰であったにせよ、人道主義等の超法規的理念を大義名分に、それに反する罪を裁いたこの裁判は、国家こそ正義であるとするそれまでの概念を、根本的に問い直させるという一面もありました。
 戦後の交通通信技術の発達は、国境をまたいで広範な地域を基盤とする、巨大企業の成立を可能にしました。そうした多国籍企業は、たしかにいくつかの問題点を抱えてはおります。しかし、少なくともそれを受け入れる側にとっての経済的刺激、雇用問題への利益、さらに、人びとの外国に対する違和感を取り除き、視野を国家の枠から広げる結果をもたらしたことは否定できないでしょう。
 さらに、近代国家が勢力拡大のためにとった低開発地域の植民地化は、幾多の人間抑圧の悲劇を生みましたが、二度にわたる大戦による先進諸国の疲弊、低開発地域に芽生えた民族自立の息吹などによって、植民地の解放と民族国家の成立がもたらされました。しかし、政治的・経済的・文化的連携はその後も多くの国家間でつづいており、これも、現代において、国家意識の閉鎖性を打ち破る働きになっているといえましょう。その他、資源の獲得、物資の流通、平和維持のための努力、情報の交換、学問研究の協力体制等々、国際的な交流・協力が活発になったことも、国家意識を和らげる結果となっています。
3  しかし、国家意識の稀薄化が、権力支配の魔性を弱化し、人間が人間として互いに尊重し合っていく“愛”や“慈悲”の優越をもたらしているかといえば、残念ながら、そうはなっていないのが実情です。最近のナショナリズムの台頭をみると、国家意識の稀薄化といっても、それ自体、決して楽観できませんし、権力の魔性は、国家から離れた分だけ、それに代わる別の組織機構に移動し、相変わらず人間性の抑圧をつづけているといっても過言ではないでしょう。
 この根本原因は、私は、人間自身の内なる覚醒と、それに基盤をおいた戦いがなされてこなかったところにあると考えます。抑圧の排除のために戦って勝利を収めても、その後に樹立された新しい体制や機構にともなって、権力の魔性は、以前と同じ力で支配をつづけているのです。それは、たとえば、フランス革命の後に現れたナポレオンの独裁政治にみられるとおりであり、ロシア革命ののちに実現したスターリン政治に認められるとおりです。
 他の人間を自分の意思のままに従わせようとする本性こそ、人間を最も残忍で非情な生き物にする根源であり、他の人びとの幸せと尊厳のために献身していこうとする“愛”や“慈悲”こそ、人間の世界を真実に尊く美しいものとする力であることを、われわれ人類は正しく認識していかなければなりません。この認識のうえに立った自己の変革──人間革命──こそ、人類の一人ひとりになによりも先に、なによりも強く、深く、求められる作業なのです。

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