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日蓮大聖人・池田大作

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八、乾燥化と砂漠化  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  八、乾燥化と砂漠化
 池田 農業は気温、降雨量、土壌の質等自然条件によって大きく左右されます。かつては肥沃な穀倉地帯といわれた地域が、いまでは見るかげもないほど生産力が落ちているという例が少なくありません。
 そうした自然条件の変動は、人間の力が関与しない原因から起こった場合も少なくないでしょうが、いくつかの地域では、人間による乱開発が引き金になったケースがあります。ごく最近の例としては、エジプトの工業化と農業開発を目的としたアスワン・ハイ・ダムの建設によって、逆に農業が深刻な打撃を蒙った事実があります。いわゆる、定期的洪水がもたらした土地の肥沃化がなくなり、数千年来つづいてきたナイル川流域の穀倉地帯は、ひどい塩害に悩まねばならなくなってしまったのです。古く遡れば、メソポタミア地方は、牧畜のために草や木が食べ尽くされて大地の乾燥を招いたという説があるようです。北アメリカ中西部も、牧畜のためにピューマ、狼などの肉食獣を狩猟したことから、やはり牛や羊、野生の草食獣が増えすぎ、草原や森林の枯死から砂漠化に陥ったといわれています。
 自然界は、動物と植物との微妙なバランスのうえに成り立っており、そのどこかに破滅的な損傷を加えると、つぎつぎとドミノ・ゲーム式に生物は滅びていく恐れがあります。それはとりもなおさず、人間にとっても、生存を支えてくれる基盤の破壊になっていくわけです。
 植物が繁茂して地表面を覆っているときは、降った雨は地中に浸み込み、蒸発も急激でなく、長く蓄えられます。ところが、枯死した裸の大地の場合、雨は降っても地表面を流れ、浸み込んだ水もたちまち蒸発して、大地は乾ききってしまいます。そのような大地では、農業も営むことができないわけです。
 アジア・アフリカ諸国の食糧難の根源には、人口の急増とともに、雨量の減少による不作が原因になっているといわれます。とくにアフリカでは、エチオピアやスーダン等の諸国においてここ数年ひどい不作がつづいており、砂漠化が進行していると聞きます。サハラ砂漠の拡大は、むしろ数千年来つづいていることだとさえいわれますが、これに対してなすべき手だてを、博士はどうお考えでしょうか。
2  ペッチェイ たしかに、アフリカの大部分の地域でも、世界の他の地域でも、このさき幾年かのうちに砂漠化が一層ひどくなることを示す十分な徴候が、すでに明らかにみられます。この砂漠化の結果として起こる種々の変化のうち、いくつかは取り返しのつかないものとなるでしょう。進行しつつあるサハラ砂漠の状況は、まさにあなたが述べられたとおりなのです。事実、サハラの砂漠化は、ある地域では、年間五十キロの速度で進んでいます。
 これは、ある程度までは、こうした地域に住む遊牧民たちの文化的態度に責任があります。これらの遊牧民たちは、できるだけ多くの牧畜類を飼うことが、声望を高めることだと考えています。しかし、動物たちは、過度に数が増えると、草木を根元から破滅させてしまいます。
 この状況をさらに深刻にしているのが、農業移住の粗悪な計画です。現在、動物への給水と作物栽培のために、おびただしい数の井戸が掘られていますが、その結果、地下水面が下降し、地表の植物が枯死して、かつては生命を維持させる土地であったのが、いまや砂漠と化しているのです。この自己増殖的な悪循環に対して戦うのは、困難なことです。なぜなら、そこには伝統的信念、身についた習慣、人口の絶対的需要などが結合しており、これに加えて、もたらされる結果には少しも配慮せずにいかなる犠牲を払っても開拓するという、現今の一般的な衝動があるからです。これらすべてが、土地や水の資源管理の重大な失敗という結果をもたらしているのです。
3  池田 砂漠化という、一見、純粋に自然界の異変のように思われる現象を、より深刻に拡大しているのは、人間の自然に対する無認識であるともいえますね。これを改めるには、人びとの生き方を根底的に啓発して改めさせていく必要があります。
 いままでの人間の利益中心主義は、人間のエゴイズムを無制限に拡大しつづけてきました。この内面世界の不毛化が、環境世界の破壊という具体的事実の姿となって現れてきているように思われるのです。

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