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日蓮大聖人・池田大作

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二、未来のエネルギー源  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  二、未来のエネルギー源
 池田 石油や石炭といった、現在、主流を占めているエネルギー資源は、大気汚染等の深刻な問題を抱えているばかりでなく、やがていつかは枯渇してしまう有限な資源です。
 そこで、原子力がこれからの主要エネルギー資源の一つになるであろうと期待する人びとが少なくありませんが、その危険性は計り知れないほど大きいことが、すでに種々の事故によって実証されています。
 かつて、アメリカのスリーマイル島での事故は世界的に大きい波紋を呼びましたが、その後日本でもいくつかの放射能漏れの事故が起こったり、かつて起きていたことが明らかにされました。これらの事故は人間の操作ミスによるものですが、今後も同様の事故が起こる危険性は多分にあります。人間にミスはつきものだからです。だからといって、人間の操作部分を極力減らして、コンピューターによる機械操作に切り替えたとしても、コンピューターも万能無謬でないことは、言うまでもありません。いままでのところは人命にかかわる事故が起こっていないといっても、大きな事故になれば、どれほど悲惨な事態になるかしれません。
 そればかりでなく、放射性廃棄物の処理の仕方が、いまや重大な問題になっています。よほど厳重に密閉された容器に詰めて投棄したとしても、腐食・破壊の危険は、どのような物質で作られた容器にもつきまといます。
 宇宙ロケットに載せて太陽に打ち込んではどうか、などといったアイデアも出たようですが、推進力として要するエネルギーから考えれば、少なくとも現在の技術では夢物語でしかありません。
 結局、大地に穴をあけて埋め込むか、海洋に投棄するかということになるわけですが、このどちらもきわめて危険です。日本政府は太平洋の海底に沈めることを考えており、それがポリネシア諸島民のみならず、日本国民の激しい抗議運動を呼び起こしました。
 このように、原子エネルギーは、この地球の陸地も海洋も放射能で汚染する危険性をもっています。したがって、代替エネルギーが開発されるまでの“つなぎ”として、ある程度やむをえないかもしれませんが、今日の石油に代わる主エネルギー資源として、原子力に期待することはむずかしいと私は考えます。あなたは、未来のエネルギー問題についてどのように考えておられますか。
2  ペッチェイ エネルギー問題は、言うまでもなく全地球的な大問題であり、それにどう対処すべきかは、いまだ世界中で論争を呼んでいる難問題です。この数十年間、人類は、過去の地質年代の数千万年にわたって形成された巨大な埋蔵物を不当に利用し、枯渇させることによって、エネルギー供給源を炭化水素──なかんずく石油と天然ガス──に依存することができました。この状況が、種々の理由から、今後数十年の間に変化するであろうことは確かです。われわれは、素晴らしく便利ではあるが再生不可能なこれらの資源に、これまでやってきたと同程度に依存することは、もはやできないでしょう。
 まず第一に、われわれの分割された世界に政治的困難が生じる可能性があります。たとえば産油国は、機会さえあれば値上げという常套手段にでるか、あるいは、この貴重な資源を長期間もたせるために、保護政策をとって産油量を制限することが考えられます。
 一九七三、四年の第一次オイルショックでは、これらの諸国は石油輸出国機構(OPEC)を通じて供給制限に成功し、石油価格を一挙に三倍に吊り上げ、日本やヨーロッパの一部の国々を窮地におとしいれたものです。これはある程度までは、それまでの先見性のない浪費の余波でした。事実、一九五〇年代と六〇年代には、われわれの産業社会は、パイプラインや他の手段によっていたるところへ容易に輸送でき、低廉で好きなだけ利用できる石油に酔いしれていました。そして産業社会は、この幸運に半永久的に依存できるものと思い込んでいたのです。
 この幻想からのめざめは手荒い形でやってきましたが、そのショックはかえってためになりました。あの経済的好況の明るさに満ちた時期には、ほとんどだれもが、石油の埋蔵量は無尽蔵であり、人間の需要がいかに膨張しても、それをすべて満たすことができると考えていましたが、いまやそれがいかに辻褄の合わない考えであったかを思い知らされたのです。その後、石油とガスの価格は、どんどん跳ね上がりました。一九八三年には、買い手市場でいくらかは値下がりしましたが、おそらくあまり遠くない将来に、より一層高騰することは避けられないでしょう。
3  ここで重要な事実は、人びとが、世界の石油資源は無限ではないということ、あと三十年から四十年ぐらいはもつとしても、永久にはつづかないだろうということに気づき始めたことです。このためわれわれは、なんとしても適切な代替エネルギー源を研究し、探し求めなければならないのです。
 石油に代わりうるものとして、まず最初に頭に浮かぶのは石炭です。石炭は世界中に豊富にあるからです。しかし、石油や天然ガスに比べて、石炭はとても理想的な燃料と呼べるような代物ではありません。石炭は、よりひどい汚染をもたらし、その採取も困難で、輸送や使用も不便です。そのうえ、採炭は仕事としてもあまり魅力がないところから、喜んで炭坑に入る人びとを探すのがむずかしくなっています。
 この問題を解決するために、さまざまな構想が練られています。たとえば、採掘現場で石炭を気化あるいは液化し、それをポンプで地表に送ることや、また場合によっては地下でそれを燃焼させることなどが考えられています。しかし、そうした解決法は、技術的・産業的にはたぶん実現可能でしょうが、いますぐに実行に移せるものでは決してありません。
 今日の経済の大きな部分を占める燃料を、石油・ガスから石炭へと転換するのは、いずれにしても長い時間と複雑な過程、それに莫大な費用が必要です。しかも石炭の使用が増えることは、おそらく甚大な──どの程度かをいまから見積もることは困難ですが──環境破壊をひきおこすこととなり、結局はその使用は、大幅に制限せざるをえなくなるでしょう。

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