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日蓮大聖人・池田大作

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一、成長の限界に対して  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  一、成長の限界に対して
 池田 資源、エネルギー、食糧、人口増加に関して人類の未来を厳しくみつめ、現代世界に対して警告を発したローマ・クラブの報告書『成長の限界(注1)』は大きな反響を呼び、科学技術や産業の発展に対する人びとの考え方を変えさせることになりました。
 しかしながら、一方では依然として楽観論を唱え、科学技術の進歩によって現代のあらゆる危機は乗り越えられると主張する人も少なくありません。とくに現実の政治、経済、技術等に携わっている人びとは、その多くがこうした楽観論にしがみついています。
 政治家は、失業者を減らすために、ある場合には軍備を増強するためにも産業を活発化しようとしますし、また、より豊かな社会への夢を訴えつづけようとします。経済人は、企業の成長・発展がより直接的に自分に対する評価に結びつきますから、さらに成長をめざしていきます。技術者もまた同様です。
 これらの人びとの中には、成長こそ自らの地位を支え、高めてくれる拠りどころであると頑なに信じ、ガムシャラに成長を追求している人も多く見受けられます。彼らは、厳しくいえば、自分の地位保全という利己的な目的のために、未来の世代に残しておくべき資源や美しい自然、生命の健全な営みの条件を消費し、破壊し、汚染しているといえないでしょうか。
 安易な楽観論にしがみつき、また、そうした楽観論を人びとに教え込もうとすることは、もはや未来の世代に対する罪悪であり、絶対に許されないことだと私は思うのです。
 ところが彼らの中には、現状を厳しく指摘して警告する論議に対して、人びとに不安を与え、成長と発展への意欲を喪失させる有害なものであるとして非難する人がいます。とくに日本では、小・中学校の教科書をめぐって、原子爆弾の被災者の絵が悲惨すぎるから掲載を中止せよとか、企業公害の記述を修正せよ等と、文部省が教科書の出版社に注文をつけたことが問題になりました。
 これは語るも愚かしい本末転倒の議論であり、たとえば原爆被災の絵が悲惨だというなら、そうした悲惨を生みだす原爆の製造・保持・使用をこそ中止せよと注文すべきです。このような本末転倒の議論が、資源・エネルギー等の問題について楽観論を唱える人びとにみられるのです。こうした風潮について、ペッチェイ博士はどうごらんになっていますか。
2  ペッチェイ かいつまんで言えば、ローマ・クラブへの最初の報告によって、一九六〇年代末期から一九七〇年代初期にかけて世界中にみられたような、高度の経済成長は長つづきするものではないこと、それは、そうしたますます速度を増す成長に比して、われわれの住む地球は有限であるという単純な理由によるものであることが確認されました。
 この報告は、人類がそうした状況にもかかわらず、生産や消費の増大をさらに強行しようとしても、自らの手に負えなくなった力のためにそれは阻止され、苦労して築き上げたシステムは、おそらく崩壊にまで追いやられるであろう、と警告しています。
 いま、あなたが適切に述べられたように、かなりの数の企業経営者や労組指導者ばかりでなく、経済人や政治家までが、この報告の推論に反駁して、経済は回復できるしその好況期の水準に保つことができると主張しているのは、目先の私利私欲に動かされているからなのです。経済成長最優先を主唱するこれらの人びとは、人類の長期的利益とか、この地球をわれわれが先代から受け継いだころに比べてさほど悪化していない状況でつぎの世代に引き継がねばならないという現代人の道徳的義務とかを、一蹴してしまっているのです。そのうえ、彼らは、異例の経済成長期が一九七〇年代の半ばには終わりを告げたこと、そしてその成長を可能にした条件を再び生み出すことはもはやできないということを、認めようとしないのです。
 事実、いたるところで努力が払われていますが、世界経済が以前のような異例の離れ業を繰り返せる兆しは、いまのところどこにもみられません。したがって、世界の生産と消費が、過去数十年間の年間成長率に見合ったような、強力な好転をするのをみたいという願望は、はかない希望に終わりそうです。われわれは、もっと現実に即した考察で、自らの考え方と方針を正しく方向づけなければなりません。われわれは、長い目でみて、人口と経済の全体的規模と地球の扶養能力との間になんらかの持続的均衡が不可欠であること、そしてその均衡をつくりだす方法や手段を見つけだすことがわれわれの責務であることを、自らに納得させなければなりません。
 話をローマ・クラブへの最初の報告に戻しますが、この報告の基本的要旨を予見可能な将来にわたって有効なものと考えることには、それなりに十分な根拠があります。成長の限界に関する同報告の論考は、私がいま述べてきたような事柄についての理解に磨きをかけるのに役立ちました。成長は──いかなる種類の成長であれ──それ自体善であるという神話が、長い間われわれの心を汚染しておりました。そして、いまなおこの思い違いは根強くわれわれを焦燥させているのです。
 しかし、ローマ・クラブ報告(注1)は、成長のための成長を立派な目標であるとする考えを否認し、“有機的成長(注2)”、“持続的成長(注3)”、“開発(デベロップメント(注4))”等の新しい概念が生まれる道を開きました。そして、そうした概念が、われわれの考え方をより健全な方向に向けるのに役立ったのです。
 注1 『成長の限界』(デニス・L・メドウズ他著、大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社)=一九七二年発刊。ローマ・クラブ「人類の危機」第一報告。人口の増加や経済成長を抑制しなければ、地球と人類は環境汚染、食糧不足等によって百年以内に破滅すると警告し、世界に衝撃を与えた。
 注2 有機的成長論=ローマ・クラブ第二報告『転機に立つ人間社会』(M・メサロビッチ、E・ペステル著、大来佐武郎・茅陽一監訳、ダイヤモンド社、一九七五年発刊)において、たんなる機械論的な成長の概念でなく、地球上のあらゆる有機体やシステムの中の成長現象を総合的にとらえ、生物・物理学的な環境と調和し、よい均衡状態を保つべきことを指摘したもの。
 注3 持続的成長の概念=同じく、経済成長の追求も、適正な地球管理と両立しうるやり方で、かなりの長期間にわたって維持されるときに初めて望ましい成長となる、というもの。
 注4 “開発”の概念=一般の“開発”とは異なり、ペッチェイ博士の“開発”の概念は、人間の資質、能力、創造性の開発に向けられている。すなわち、人間の精神、知能、知識、創造性、技能、理解力、愛する能力、詩的感受性、芸術性、審美性といった多面的な「人間開発」(ヒューマン・デベロップメント)であり、それは「人間革命」(ヒューマン・レボリューション)の概念と結びつくものである。

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