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註解  

「平和と人生と哲学を語る」H・A・キッシンジャー(全集102)

前後
 
1  〈あ行〉
 アイゼンハワー
 (一八九〇年―一九六九年)ドワイト・デイヴィド。アメリカ第三十四代大統領。第二次大戦の欧州連合軍最高司令官として、ノルマンディー上陸作戦を指揮。一九五二年共和党から大統領に当選。五六年再選、在任中、朝鮮、インドシナの休戦を成功させ冷戦を緩和させたが、U2型機事件の発生でソ連との関係をふたたび悪化させた。
 愛別離苦
 八苦の一つ。死やさまざまなことによって、愛するものと離別しなければならない苦しみのこと。八苦の他の苦は生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎会苦(怨み憎んでいるものと会う苦しみ)、求不得苦(求めて得ることのできない苦しみ)、五盛陰苦(色・受・想・行・識の五陰にあらゆる苦悩を盛んに受ける苦)。
 アインシュタイン
 (一八七九年―一九五五年)アルバート。理論物理学者。ドイツに生まれる。一九〇五年に特殊相対性理論を提出、一五年に一般相対性理論を完成させた。ユダヤ系ドイツ人で、ナチスに追われて三三年にアメリカに渡る。平和にも強い関心を寄せ、世界政府を提唱した。
 光量子概念にもとづく光電効果の解明でノーベル物理学賞を受賞。時間や空間、あるいは質量やエネルギーなど革命的な物理的成果によって、哲学界、思想界にも大きな影響を与えている。
 アウシュヴィッツ
 ポーランド南部の都市オシヴェンチムのドイツ名。第二次大戦中、ナチス・ドイツによって強制収容所が造られ、多くのユダヤ人などが、強制労働、栄養失調、伝染病で死亡、銃殺や毒ガスなどにより虐殺された。
 アキレウス
 ギリシャ神話の英雄。古代ギリシャの詩人、ホメロスの大叙事詩『イリアス』の中でトロヤ戦争の主人公として語られている。
 息子の不死身を願って、女神である母テティスが冥界の川スティクスにアキレウスをつけたが、母がつかんでいたアキレウスの踵だけは水につからず、唯一の弱点となり、その弱点を敵の矢に射貫かれて死んだ。後世になって、踵にある歩行運動に不可欠な腱をアキレス腱と呼ぶようになった。
 アジア・太平洋平和文化機構
 一九八六年一月二十六日、「第十一回『SGIの日』記念提言」の「恒久平和へ対話の大道を」で構想を提示。本全集第1巻収録。
 アデナウアー
 (一八七六年―一九六七年)コンラート。西ドイツの政治家。一九三三年、ナチによりケルン市長を解任され、第二次大戦中に二度投獄されている。四六年、キリスト教民主同盟の創設に参加。党首となって、四九年から十四年間首相。在任中、ヨーロッパ諸国と協調することに努め、西ドイツの奇跡的な復興を成し遂げた。
 アラビア
 八世紀から数世紀にわたって、アラビア半島を中心に、東は中央アジアから西はイベリア半島まで、南は北アフリカにわたる広大な地域がイスラム文化圏となった。この時期、アラブ世界では、ギリシャをはじめとして先進文明国の遺産を積極的に吸収し、融合・発展させるなかで、当時としては最高水準の科学が形成された。アラビア科学はヨーロッパに伝えられたが、インドで考案された数字もアラビア経由でもたらされたので、アラビア数字と呼ばれることになる。
 アリストテレス
 (前三八四年―前三二二年)古代ギリシャの哲学者。イデアという超感覚的な存在へ向かった、理想主義者である師のプラトンとは異なり、形而上学を視野に入れながらも、厳密な用語規定から出発し、論理的な体系をつくりあげることを試み、経験的な、歴史的・科学的思考にもとづいて、感覚的事物の分類・総合を学問的に遂行。広範囲にわたって諸学を組織化して、後世の諸学の発達の基礎をつくった。著書に『形而上学』『自然学』『詩学』『政治学』など。
 アレキサンダー大王
 (前三五六年―前三二三年)アレクサンドロス大王。マケドニア王国の王。フィリッポス二世とオリュンピアス妃との間に生まれ、哲学者アリストテレスに学び、父王が暗殺されると二十歳で即位した。ギリシャを支配するとともに、二年後、東方遠征を開始し、ペルシャ王ダレイオス三世の軍を撃破。
 さらに東征を続けてエジプト、バビロニア、インド北西部にいたる古代最大の世界帝国を建設したが、遠征の帰途、三十二歳でバビロンにて病死し、帝国も崩壊する。その東征を通じて東西文化の交流がなされ、ギリシャとオリエント文化の融合であるヘレニズムと呼ばれる新しい、普遍的な文化の時代が始まった。
 安保常任理事国
 国連(国際連合)安全保障理事会を構成する米・英・仏・ソ連(現ロシア)・中国の五カ国のこと。第二次大戦後の一九四五年、サンフランシスコ平和会議で国連憲章が採択されたさい、戦勝五大国が安保理の常任理事国として発足した。常任理事国には、その反対によって決議が成立しなくなる「拒否権」が与えられている。
 EEC
 「EC」の項を参照。
 イザベラ
 (一四五一年―一五〇四年)イザベラ一世。カスティリャの女王。アラゴン国の王である夫のフェルナンドとともにスペイン国家を統一し、近代スペイン成立への発端を開いた。また、コロンブスの新大陸到達を援助した。
 イザヤ
 紀元前八世紀のユダ王国最大の預言者。強敵に圧迫されて動揺する人々に、神ヤハウェの力と正しい信仰の勝利を説く。メシア(救世主)の出現を預言。旧約聖書のイザヤ書は三部からなり、イザヤの他に第二イザヤ、第三イザヤと呼ばれる無名の預言者によってつくられた。
 EC
 欧州の平和のために統合がめざされるなかで、一九五八年にフランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの六カ国によって、関税同盟や共通農業政策をもって広域経済圏を形成するEEC(欧州経済共同体)が発足、六七年に、さらに他の共同体と統合するなど強化されてECと改称された。
 その後、イギリス、デンマーク、スペイン、ポルトガルなど加盟国も増加し、九三年に発効したマーストリヒト条約によってEU(欧州連合)となった。
 イスラム原理主義派
 イスラム法(シャリーア)を厳格に適用し、実行することによって、アラブ・イスラム諸国の西欧型にもとづく近代化を批判し拒否する、イスラム教の復古運動、政治思想を実践する派。テロに走る過激な行動も見られる。
 イラン・イラク戦争
 一九七九年二月に、パフラビー王朝を倒したイラン革命が波及することを阻止するために、八〇年九月に、イラク軍がイランを攻撃して始まった戦争。戦争は長期化し、欧米諸国やソ連(当時)がイランに圧力をかけ、八八年七月に、国連による停戦の呼びかけをイランが受け入れて終結した。
 イラン革命
 一九七九年二月、パフラビー王朝を倒し、新政権を樹立した革命。同年四月にホメイニを最高指導者とする新政権は「イスラム共和国宣言」を発し、十二月にはイスラム共和国憲法を制定した。
 印象派
 印象主義によって表現しようとする芸術家の一派。印象主義とは、一八六〇年代にフランスの画家たちの間から起こった運動で、「印象」の名は、七四年のドガ、マネ、ルノアールらのグループ展に出品されたモネの「印象―日の出」から、新聞記者が“印象主義者たち”という言葉を使ったことによる。
 印象主義の画家たちは、古典主義的な描き方に抗して、光や動きの変化に注目し、固定的な輪郭や色彩を否定して、対象に対してもった感覚的、主観的な印象をキャンバスに描いた。印象主義は、絵画にとどまらず、音楽などの他の芸術、あるいは文学など多方面に影響をおよぼした。
 インドシナ戦争
 第二次大戦後、旧フランス領インドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)で起こった民族解放戦争。第一次インドシナ戦争は旧植民地の復活を策したフランスとの間で一九四六年に始まり、五四年にフランス軍が敗退して一応の終結をみた。
 しかし六〇年以降、第二次インドシナ戦争はベトナムへの介入を強めたアメリカ軍との間で戦われ、一般的にはベトナム戦争と呼ばれた。アメリカ軍は激しい空爆を行ったが、軍事的勝利を得られず、ベトナムから撤退、南部の重点都市サイゴンが陥落して終了した。
 インドシナ紛争
 前項「インドシナ戦争」を参照。
 ウィルソン
 (一九二六年―)ブライアン。イギリスに生まれる。オックスフォード大学社会学名誉教授、オールソールズ・カレッジ名誉研究員、元・国際宗教社会学会会長。著書に『セクト―その宗教社会学』『現代宗教の変容』など多数。池田SGI会長との対談は『社会と宗教』(講談社。本全集第6巻収録)にまとめられた。
 ウィルヘルム二世
 (一八五九年―一九四一年)プロイセン王も兼ねる。即位してすぐに鉄血宰相ビスマルクをやめさせて、海軍の拡張に力を注ぎ、積極的な海外政策を進める。その結果、ロシアやイギリス、フランスと対立を深め、モロッコ事件を引き起こすなどして、第一次世界大戦に突入した。大戦の敗北、終了間際に起こった一九一八年のドイツ革命で退位し、オランダに亡命。
 ウーマン・リブ
 一九六〇年代の後半、アメリカを中心に起こった女性の地位向上のための運動。現代産業社会において、家庭に入って男性を支えるという役割をもたされた女性の地位が従属的だと自覚されたとき、六〇年代後半の黒人や学生運動に触発され、性の差別に対する個々の意識の目覚め、改革の運動として急速に世界的広がりを見せた。
 国連でも一九七五年を「国際婦人年」とし、初めてメキシコ市で世界会議が開催された。「フェミニズム」の項を参照。
 ウ・タント
 (一九〇九年―七四年)ビルマ(現ミャンマー)の政治家、外交官で第三代国連事務総長。ラングーン大学を卒業し、ビルマ独立後は情報局長などを歴任。一九五七年から駐米大使、国連代表となり、六一年に事故死したハマーショルド事務総長の後を受けて暫定事務総長、つづいて六二年十一月から七一年末まで事務総長を務めた。その間、キューバ危機、コンゴおよびキプロス紛争、ベトナム問題など調停者として力を発揮した。
 ウパニシャッド
 古代インドの宗教的色彩をもった一群の哲学書。『奥義書』と訳される。大宇宙の絶対者、本体であるブラフマン(梵)と、個人の実体であるアートマン(我)との一体化(梵我一如)が人間の究極の目的であると説き、このことによって輪廻を脱して解脱できるとする。
 ウラジオストク演説
 一九八六年七月二十八日、①八六年末までにアフガニスタン駐留のソ連軍六個連隊を本国に帰還させる②モンゴル駐留ソ連軍のかなりの数の撤収を検討中③中ソの善隣関係構築への補足措置を、いつ、いかなるレベルでも真剣に検討する用意がある、等を明らかにした。
 ABM協定
 ABM(弾道弾迎撃ミサイル)は、ICBM(大陸間弾道ミサイル)を迎撃、撃破する防衛兵器。一九七二年、米ソそれぞれ二カ所(二百基)に設置を限定。七四年には米ソそれぞれ一カ所(百基)に制限。
 エコノミック・アニマル
 経済的利益を追求するのにあくせくして、人間として大切な他の諸価値に目を向けない日本人を軽蔑した言葉。
 SDI
 レーザー光線などエネルギービームに関する先端技術を駆使し、敵ミサイルがアメリカ本土に到達する前に破壊してしまおうという、弾道ミサイル防衛システムの研究構想。
 エッカーマン
 (一七九二年―一八五四年)ゲーテの秘書。晩年のゲーテに仕え、その会話を記録して『ゲーテとの対話』を残した。
 エッセネ派
 紀元前二世紀頃に成立したと言われる。厳格に規律を遵守した禁欲生活をおくり、財産の共有を特色とする。
 NGO
 政府間の協定によらない非営利の民間団体。草の根レベルでの民間外交、人権擁護、軍縮、国際開発協力、開発途上国に対する援助等に取り組んでいる。
 エリヤ
 紀元前九世紀のイスラエルの預言者。バアル神の礼拝を攻撃し、唯一神ヤハウェの信仰を説いた。ユダヤ人はメシアの先駆者として彼の再来を期待する。
 エリザベス一世
 (一五三三年―一六〇三年)イギリス(チューダー朝)の女王。ヘンリー八世の子として生まれたが、母が処刑され、自身も投獄されるなど、波乱の幼年、青春期をおくる。聡明な心と頭脳をもち、姉メアリーの死後、二十五歳で即位、生涯を独身で通した。
 英国国教会を確立し、また産業、貿易を奨励して、保護貿易である重商主義政策によって国力の充実を図っている。一五八八年にはスペインの無敵艦隊を撃滅した。その四十五年間におよぶ治世は輝かしいイギリス・ルネサンス時代とされ、シェークスピアなど多くの文人が輩出した。
 オーウェル
 (一九〇三年―五〇年)イギリスの小説家、ルポルタージュ作家、批評家。税関吏の子としてインドに生まれ、八歳で帰国。
 長じて、大学に進学せず、ビルマ(当時)の警察官となって植民地の醜状を体験。その後、パリ、ロンドンで放浪生活をしている。全体主義諷刺の作品『一九八四年』『動物農場』、スペイン内乱参加の体験による『カタロニア讃歌』がある。
 オーストリア・ハンガリー帝国
 一八六六年の普墺戦争(プロイセン対オーストリア。プロイセンが大勝)の敗北で、ハプスブルク家がハンガリーのマジャール人貴族の独立要求に妥協して六七年に建国された帝国。オーストリア皇帝が盟主になることによって、ハンガリー王国の存立を認め、連合によって成立しており、それぞれの議会と内閣をもつ二重帝国。第一次大戦に敗れ一九一八年に解体した。
2  〈か行〉
 カー
 (一九三二年―)一九五四年、南カリフォルニア大学卒業。海兵隊を経て海軍大学卒業後、プリンストン大学に進み、六二年、航空工学の修士号取得。六六年、宇宙飛行士第五期生に。七三年、スカイラブ四号の船長として宇宙へ。八十四日間、二千時間を超える宇宙滞在記録を樹立したほか、太陽表面の広範囲観測や宇宙遊泳など多くの実験に成功した。七六年、セントルイス大学の名誉理学博士に。
 カーソン
 (一九〇七年―六四年)アメリカの女性科学者。発生遺伝学、海洋生物学を専攻。農薬による自然の破壊を鋭くついた著作『沈黙の春』(初めは『生と死の妙薬』として訳されたが、後に改題。原名「サイレント・スプリング」)は、公害告発の書として、世界的なベストセラーとなった。
 「核軍縮および核廃絶への十項目提言」
 一九七八年五月二十四日、ワルトハイム国連事務総長あてに書簡を送る。提言内容は国連のイニシアチブによる①首脳会議の早期開催②核エネルギー管理③核兵器不使用の宣言を義務づける協定④非核平和ゾーンの設置⑤核装置削減計画の提出⑥新型兵器開発の停止・禁止協定⑦軍備状況報告の義務⑧軍縮研究情報センターの設置⑨平和のための資料館開設⑩軍縮のための経済転換計画委員会の組織化。
 学究生活
 一九五〇年ハーバード大学大学院に進み、国際関係を研究。博士論文は「復元された世界―メッテルニヒ、カースルレイと一八一二年~二二年の平和の諸問題」(サムナー賞受賞)。五五年同大政治学部講師。五九年同大政治学部準教授。六二年同大教授。
 寡頭制
 少数の者が国家の権力を握って行う政治体制。寡頭政治。オリガーキー。
 寡頭政治
 前項の「寡頭制」を参照。
 カトリック
 ローマ教皇を首長とする教会。カトリックとは、元々、ギリシャ語の普遍的、一般的という語から由来し、古くからとくにキリスト教会で用いられていた。一〇五四年にキリスト教会は東西に決定的に分裂、東方は東方正教会(オーソドックス教会)と呼び、西方は、ローマ教皇を中心にカトリックと称するようになった。ちなみに、その後、教皇グレゴリウス七世は「教皇令」を出して「ローマ教会と共にしないものはカトリックではない」と宣言している。さらに、十六世紀、宗教改革により、プロテスタント(新教)諸教会が離れ、その区別を意識したうえでもカトリック(旧教)という。
 カリスマ支配
 カリスマとは、ギリシャ語に由来し、奇跡を行い、預言を行う神の賜物の能力を意味した。
 このカリスマという言葉を宗教に限定せず、より広い学的な意味で用いたのがマックス・ウェーバーである。ウェーバーによれば、支配には合法的支配、伝統的支配、カリスマ的支配の三つがあり、カリスマ的支配の典型として、預言者としての宗教的教祖、軍事的英雄、偉大なデマゴーグとしての政治的英雄を挙げている。個人は、カリスマの権威に帰依し、全人格的な関係が築かれる。
 カルヴァン
 (一五〇九年―六四年)ジャン。フランスの宗教改革者。大学時代にルターの思想の影響を受け、その後、迫害によってフランスを追われながらも、宗教改革をつづけ、プロテスタントの明確な立場をとった。
 一五四一年からは、カトリック主義に反対して、スイスのジュネーブで、教会のみならず、一般市民の生活をも聖書の権威をもって厳格に改革しようとする神権政治を遂行。主著に『キリスト教綱要』。
 ガルブレイス
 (一九〇八年―)アメリカの経済学者。進歩的自由主義者の一人で、ハーバード大学教授。ケネディ大統領時代、学者大使としてインドに駐在。著書に『豊かな社会』などがある。池田SGI会長とは一九七八年十月、九〇年十月、九三年九月に対談。
 カルロス一世
 (一五〇〇年―五八年)神聖ローマ皇帝としてはカール五世。母は王位継承権をもったスペイン王女。ドイツを中心として、帝国の勢力の伸張に力を注いだが、帝国拡大を脅威とするフランスのフランソワ一世(神聖ローマ皇帝の帝位をカルロス一世と争ったが敗れた)とは長年にわたって確執がつづいた。
 また、国内では、新教勢力の台頭による問題にもあたらなければならず、ヨーロッパで最大の国の皇帝として、内外に続発する課題に精力を使い果たした一生でもあった。
 感化してくれた教授
 ウィリアム・Y・エリオット教授。同教授の指導を受け、十九世紀外交史を専攻。
 ガンジー
 (一八六九年―一九四八年)インド独立運動の指導者。非暴力主義の立場から非暴力、非協力、不服従の全国的な反イギリス独立運動を展開。一九四七年インド独立後は、ヒンドゥー、イスラム両教徒の融和のために献身、努力したが、ヒンドゥー極右団体の一青年の凶弾に倒れた。
 ガンジー首相
 (一九一七年―八四年)インディラ。インドの女性政治家。インド共和国の初代首相J・ネルーの娘として生まれ、スイス、イギリスで学ぶ。父ネルー首相を助けるとともに、インド国民会議派の総裁となる。一九六六年一月に首相となり、十一年後に総選挙で敗北して政権を退いたが、八〇年の選挙で首相に復帰した。だが、その強権政治に反発も強く、首相在任中に暗殺された。
 ガンダーラ文化
 ガンダーラは現在のパキスタン北東部、ペシャワール地方の古名。ギリシャの影響を受けた仏教美術が二、三世紀頃に栄え、仏像を初めて造った。
 カント
 (一七二四年―一八〇四年)イマヌエル。ドイツの哲学者。認識論における経験主義と合理主義を統合して従来の形而上学の独断的なあり方を批判。理性を分析して理性の能力と限界を示し、認識が対象のたんなる模写によるものではなく、主観側の構成によるものであることを主張するとともに、学的認識の成立条件を画定した。
 また、同じく理性の探究から、本来の形而上学的なものを否定することもできないことを明らかにして「実践理性」の地平を開示し、道徳の原理を良心の自律に求め、その上に宗教を基礎づけようとした。著書は『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』『永久平和論』など。
 カンブレー
 フランス北西部、エスコー川上流部にある町。母とはサヴォワのルイーズ、叔母とはオーストリアのマルガレーテ。
 騎士団
 主として西欧中世に十字軍が生まれる過程で、騎乗して戦闘する身分の騎士たちが、修道会則の戒律を保ち修道者的要素をもって結成した。代表的な騎士団として、十二世紀初めのヨハネ騎士団、その後身のマルタ騎士団、テンプル騎士団などが知られる。また十二世紀末
 にはドイツ騎士修道会が結成された。
 キッシンジャーの道
 マービン・カルブ、バーナード・カルブ著、高田正純訳、徳間書店。
 キャサリン
 (一七二九年―九六年)エカテリーナ二世。ドイツのアンハルト・ツェルプロスト公家に生まれ、ロシア皇太子ピョートル三世に嫁すが、無能の夫にとってかわって即位。
 即位前からフランス啓蒙思想を学び、ボルテールなどとも文通し、啓蒙専制君主として知られる。しかし、ロシアの勢力増強に全力をあげる現実的政策を実行し、農業を重視して、途中から貴族の特権を大幅に認めるとともに領土を拡大した。また教育を重視して、学芸・出版を奨励している。
 キャンプ・デービッドでの……
 一九七八年九月、アメリカのカーター大統領はサダト、ベギン両首脳をメリーランド州のキャンプ・デービッドに招き、九月五日から十七日まで三首脳会談が行われた。その結果、「エジプトとイスラエルの平和条約締結のための枠組み」「中東における平和の枠組み」の二つの合意文書が発表された。
 キュリー
 (一八六七年―一九三四年)マリー。ポーランド生まれのフランスの物理学者、化学者。パリ大学に留学。物理学者のピエール・キュリーと結婚、夫とともに放射能の研究を行い、一八九八年にウラン鉱から放射性元素ポロニウムを分離。翌年にはラジウムの分離に成功した。一九〇三年、夫とノーベル物理学賞を受賞。夫の事故死の後、パリ大学教授に就任。一〇年に純粋な金属ラジウムの単離に成功、翌年にノーベル化学賞を受賞した。
 教授を……
 「学究生活」の項を参照。
 拒否戦線
 「アラブ・エジプト解放のための拒否戦線」の略。イスラム過激派。
 ギリシャ正教会
 東方正教会、正教会などともいう。キリスト教の古代教会は、一〇五四年に西方カトリック教会と東方正教会に分裂し、東方正教会はロシア正教会とギリシャの正教会がよく知られている。神秘主義的、民族主義的
 などの特色がある。
 クーデンホーフ=カレルギー
 (一八九四年―一九七二年)リヒャルト。全集本巻『文明・西と東』の略歴(一二ページ)を参照。
 クメール・ルージュ
 フランス語で「赤いクメール」の意。カンボジアの解放勢力の中核をになった一派。クメールはカンボジア人口の大部分を占める民族。
 クローデル
 (一八六八年―一九五五年)フランスの詩人、劇作家、外交官。北フランスの小村の生まれ。父は地方官吏。早くから詩人として活躍するとともに、劇作にも着手した。一八九〇年には外交官試験に首席で合格し、外交官となる。ニューヨーク、ボストン、上海、北京、プラハなどの領事館勤務を経て、一九二一年から二七年まで駐日大使を務めた。
 外交官を辞した後、世界的規模の豊富な経験により、その創作活動の幅は大きく広がった。詩集に『東方の認識』、戯曲に『真昼に分かつ』などがある。
 グローバリズム
 今日、国家のかかえる諸問題の多くは、その国だけで解決できない問題となってきており、全人類的、地球的視野と自覚に立って対処しようという主義、運動。
3  ゲーテ
 (一七四九年―一八三二年)ヨハン・ヴォルフガング・フォン。ドイツの詩人、小説家、劇作家。法律学を修めた父と市長の娘である母をもつ。
 革新的文学運動のシュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒涛)を主導し、後に古典主義を完成。ワイマール公国の政治の要職にも就くとともに、植物学、解剖学など科学の分野、また哲学と多方面に視野を広げた。『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』『詩と真実』『西東詩集』等の作品がある。
 ケネディ
 (一九一七年―六三年)ジョン・F。アメリカ合衆国の第三十五代大統領。ハーバード大学で政治学を学ぶ。海軍に志願して、第二次大戦中は魚雷艇長として日本軍と戦った。
 戦後、政界入りして下院議員から上院議員に。一九六〇年の大統領選挙に民主党から立候補し「ニュー・フロンティア」をかかげ、共和党候補ニクソンを破って当選。国民に国家への貢献を強調し、アメリカの新たな前進を訴えた。大統領に在任中、六一年九月の第十六回国連総会において核戦争の危機を訴え、六二年のキューバ危機を乗り切り、六三年には部分的核実験停止条約をソ連(当時)との間で結んだ。六三年十一月、テキサス州のダラスで凶弾に倒れる。
 ゲルマン民族
 インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属する民族で、北ヨーロッパを原住地として部族国家を築いた。四世紀末から六世紀中頃にかけて民族の大移動を行って西ローマ帝国の没落の原因となった。「民族大移動」の項を参照。
 黄禍論
 黄色人種の台頭が将来、白色人種に対して文明的、社会的に悪影響を与え、脅威をおよぼす、あるいは取って代わるであろう、とする白人側からの差別意識にもとづいた議論。主として十九世紀後期から二十世紀初頭にかけてヨーロッパで起こり、アメリカやオーストラリアでも黄色人種排斥の根拠とされた。
 政治論としては、日清戦争末期にドイツ皇帝ウィルヘルム二世が唱え、日本の国際進出に対して警戒を呼びかけた。第二次大戦後は人種的偏見として影をひそめた。
 孔子
 (前五五一年―前四七九年)中国春秋時代の思想家。儒教の祖。孔子の言動、思想は弟子たちの編んだ『論語』の中に記されている。最も重きをおいた徳が仁(人を愛すること)で、仁にもとづく家族道徳をさらに政治におよぼして、天下を治めることを主張した。
 コーラン
 イスラム教の聖典で、正しくは「クルアーン」(読誦されるもの、の意)という。ムハンマド(マホメット)が神アラーから下されたという啓示を記録し、収録したもの。百十四章から成る。神に従うことは具体的にはコーランの言葉に従うことであり、日常の全生活の究極的基準となっている。
 「コーランか剣か」というのは、勢力拡大のために信仰的情熱をもって戦いを繰り返したイスラム教徒を象徴的に言ったものだが、実際は改宗を強制したもので
 はなかった、と言われている。
 五回……
 一九七二年五月(モスクワ)、七三年六月(ワシントン)、七四年六、七月(モスクワ)のニクソン・ブレジネフ会談。七四年十一月(ウラジオストク)、七五年七月(ヘルシンキ)のフォード・ブレジネフ会談。
 黒鉛チャンネル型
 黒鉛減速軽水冷却チャンネル型のこと。減速材と冷却材に黒鉛と軽水(普通の水)を使用。
 国際戦略研究所
 一九五八年、核時代の国際安全保障問題を研究するために、ロンドンに設立された民間の戦略研究機関。「戦略概観」や「ミリタリ・バランス」の定期刊行物を出している。
 国際連盟
 第一次大戦後、アメリカ大統領ウィルソンの提唱により、一九二〇年一月に創設された国際機関。本部はスイスのジュネーブに置かれた。世界平和の確保と国際協力の促進を目的とする。原加盟国が四十五カ国(実質は四十二カ国)に達したものの、アメリカは最初から加わらず、後に、日本、ドイツ、イタリアが脱退、ソ連が除名となり弱体化した。第二次大戦後、国際連合が誕生して解散。
 国連
 国際連合の略称。第二次大戦後、国際平和機関の国際連盟を強化する意図をこめて、一九四五年十月二十四日に同連盟に代わって発足した組織。国際平和と安全の維持、経済・社会・文化・人道の問題について国際協力の達成を目標としている。本部はニューヨーク。
 辜鴻銘
 (一八五七年―一九二八年)中国の清から中華民国にかけての学者、文明批評家。華僑の子として英領のペナン島に生まれる。十三歳の時に渡欧。エジンバラ大学卒業後、ドイツ、フランス、イタリアなどにも遊学して西洋文明に通暁した。中国に帰国後は清朝の官僚・張之洞の秘書として外交事務を担当。儒学を深く学び、国粋主義をもとに中国古典を西洋人に宣揚した。
 コスイギン
 (一九〇四年―八〇年)旧ソ連の政治家。赤軍に従軍後、一九二七年から共産党員。三九年から党中央委員。戦後は財務相、軽工業相などを歴任し、フルシチョフ解任後に首相となり、ブレジネフ書記長とともに集団指導体制を担う。米英など西側首脳と平和共存のための会談を行ったほか、中国の周恩来と話しあうなど、緊張緩和へ国際面でも活躍した。七四年九月に初訪ソした池田SGI会長とも会見し、中国を攻撃する意思のないことを池田会長に託して伝えている。
 コペルニクス
 (一四七三年―一五四三年)ニコラウス。ポーランドの天文学者、聖職者。地動説の提唱者。当時の天文学を支配していた天動説であるプトレマイオスの天文学に疑問をいだいて、ギリシャの古文献を学んで太陽中心説を知り、観測と計算から、みずからの地動説を発展させていった。
 彼の地動説はキリスト教会側からの猛反発を受けたが、中世的宇宙観・世界観から近代的宇宙観・世界観へと人々をうながし、近世につながる思想界にも多大の影響をおよぼした。主著『天球の回転について』。
 「コペルニクス的転回」とは、元々、哲学者カントが、天動説から地動説へ全く逆に転回した天文学説を、みずからの認識論において、主観と客観の関係を逆転させたことにたとえて言った言葉。そこから見方、考え方が正反対に変わることをいう。
 ゴルバチョフ
 (一九三一年―)ミハイル・セルゲーヴィチ。ロシア連邦共和国のスターブロポリ地方(北カフカス)生まれ。モスクワ大学法学部卒業。ソ連邦の共産党中央委員会書記長、最高会議議長、初代大統領として「ペレストロイカ(再建、改革)」を旗印に憲法改正など根本的な内政改革を断行。また「新思考外交」を打ち出し、米ソ冷戦を終結させるなど世界平和に大きく寄与した。
 九一年、ソ連邦の解体とともに大統領を辞任。ノーベル平和賞をはじめ多数の賞を受賞。創価大学などの名誉博士、ゴルバチョフ財団総裁、グリーンクロス・インターナショナル初代会長として世界各地で活動を展開している。池田SGI会長と『二十世紀の精神の教訓』(潮出版社刊。本全集第105巻収録)と題する対談を行った。
 コロンベ・レ・ドゥ・ゼグリーズ
 東部フランス、シャンパーニュ地方の村。ド・ゴールは大統領を辞してここで回想録を執筆し、亡くなるまで過ごした。
 混合経済体制
 国家が国営の企業などによって市場経済の安定化を図って民間の経済活動に介入し、資本主義の構造的欠陥を補っていこうとするもの。

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