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第三章 哲学と世界  

「平和と人生と哲学を語る」H・A・キッシンジャー(全集102)

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1  愛好する作家と作品
 青年に一度は読ませたいという一冊を挙げるとすれば、どういう本ですか
 池田 今回から「哲学と世界」の章に入りたいと思います。
 以前、ガルブレイス教授とお会いした折、談弾み、文学論に花が咲きました。そこで、お互いに最も愛好する作家の名を紙に書いて見せあおうということになり、紙を交換してみたら、ともに「トルストイ」と書いてあったのは、楽しい思い出となっております。
 学生時代、博士の猛勉強ぶりはつとに有名であったと聞いておりますが、最も愛好した作家、ならびに作品について、まずうかがえればと思います。
 キッシンジャー 私はトルストイより、ドストエフスキーに心を魅かれます。
 池田 アメリカの作家では、どうですか。
 キッシンジャー 小説家でですか。
 池田 そうです。
 キッシンジャー フォークナーです。彼は私にとって最も魅力のあるアメリカの作家です。
 若いころは、ヘミングウェイに感銘を受けましたが、今も感銘を受けるかどうかは確信がありません。
 池田 日本でも、若い世代にヘミングウェイはよく読まれています。ヘミングウェイの文学が流行ったのは、戦後十年ぐらいたってからですから、もう三十年ぐらい前です。
 キッシンジャー フォークナーの作品ははなはだ深いけれども、(それを理解するには)アメリカの南部を知らなければなりません。
 南部が興味を起こさせるのは、わが国において、社会として悲劇を経験した唯一の土地だからです。
 池田 よく背景もわかりました。多くの人が青年時代から、読書を一つの心の糧としてきた人生体験をもっています。
 優れた書物が、私たちに与えてくれるものは、たんなる知識のみでないことは、いうまでもありません。
 読書は、人々の心に、生きることへの自信と人間としての深み、そして限りない知恵と勇気を呼びさましてくれる。
 どれでも結構ですが、青年に一度は読ませたいという一冊を挙げるとすれば、どういう本ですか。
 キッシンジャー フォークナーがノーベル文学賞を受賞したとき、本当に感動的なスピーチをしました。短いスピーチでありましたが、彼の小説よりは翻訳しやすいと思います。
 池田 わかりました。私も必ず読んでみます。フォークナーは有名ですから、多分、翻訳されていると思います。
 キッシンジャー 青年に読ませたい一冊というのは、小説の中でですか。
 池田 なんでも結構です。ジャンルは問いません。
 キッシンジャー 最近読んだ本で面白いと思ったのは、ポール・ジョンソンの『モダン・タイムズ』です。この本は、ヨーロッパにおける第二次世界大戦以降の出来事を分析したものです。
 池田 古典ではどうですか。幾世紀にもわたって、現代にまで伝えられてきた古典は人類の知的財産であり、人間の精神を豊かにするうえで、きわめて貴重な存在と言えます。
 ヨーロッパの大学教育が、伝統的に、最も重視してきたのも、ギリシャ、ラテンの古典文学でした。
 古典について、なにか印象に残るものがあれば、お聞かせください。
 キッシンジャー 最初に告白しなければならないことは、私の読書はほとんど西洋の古典である、ということです。
 池田 そうだと思います。
 キッシンジャー 最近ようやく、私のために日本や中国の作品を収集してくれた人がおりますが、私もまだ読み始めたばかりですので、コメントは差し控えたいと思います。
 大学時代、哲学を専攻しましたから、プラトンやアリストテレス、スピノザ、カント、シュペングラーの影響を強く受けました。トインビーの影響も少し受けました。
2  信仰に到達したスピノザ
 なぜスピノザなのか
 池田 うーん。そうでしょうね。
 スピノザについては、種々の人物論があるようです。今日においては、かのスピノザは青年時代から一貫して意志強靭で、決断力に優れ、その性格も情熱的であった、とされているのではないでしょうか。
 彼は、オランダに生まれ、オランダで暮らし、オランダで没しましたが、オランダ人ではなかった。ポルトガルから亡命してきたユダヤ人の子孫だったわけです。しかしスピノザはのちに、ユダヤ人社会から追放されております。
 彼の著名な主著は哲学の体系書ですが、それは『エティカ』つまり『倫理学』と名づけられました。そこに見られる追究の方法は、感情的なものはむろん、情緒的なものも一切排除し、冷徹というべき合理性に貫かれている。
 それには、ユダヤ的と思われる特徴も認められるが、しかしスピノザ自身はユダヤ教を離脱したと言われている。そうしたところに、ユダヤの人であり、かつまたユダヤの人を超えた存在としてのスピノザを見る思いがするのですが……。
 たとえば、なにゆえにスピノザはそうした離脱、あるいは超越の道を歩いたのか、一信仰者として私は関心をもってきました。
 キッシンジャー スピノザには大きな影響を受けましたが、大変感銘を受けたことが三つあります。
 第一は、スピノザが知識の全体を非常に合理的に説明しようと試みたこと。
 第二は、その説明を人間の価値の問題に応用しようとしたことです。
 池田 そうですね。
 キッシンジャー 第三は、スピノザが数学的理論の緻密さをもって全体を構成した後に結論したことは、最終的には、彼が「神への知的な愛」と名づけたものに到達するということでした。それは信仰と言ってもよいでしょう。
 ですからスピノザは、合理主義から出発して信仰で結末をつけたのです。彼は、信仰こそ人間存在のあらゆる形態の本質をなすものである、と考えたのです。
3  宗教復権の可能性について
 「人間にとっての信仰とは何か」「人類史にとって宗教とは何であるのか」
 池田 今のお話に、私もなるほど、と感じる点がいくつかあります。というのは、西欧の近代化の歴史は、大まかに言えば、理性が優位に立って科学的知見が進むにつれ、徐々に宗教的迷妄が取り払われてくる過程でもあった。
 そのプロセスを通じて、人間は華々しく歴史の主役の座に躍り出たかに見えましたが、その栄華も束の間、現在では、ことに先進諸国において、さまざまな人間疎外現象が露になりつつあるからです。
 そうした時流を反映してか、近代化とは一見、逆行するかのような、信仰もしくは宗教復権の動きが最近は顕著であります。
 たとえば、イスラム圏などにおいては、イラン革命というドラスチック(徹底的)な事例に見るまでもなく、イスラム教の土着的な力の強さは、われわれの想像を超えるものがあるようです。
 また、先進諸国に見られる、カウンター・カルチャー(現在の体制や文化に対して反抗する若者の文化)的な現象にしても、やや玉石混交の感は免れませんが、反近代ということをテコにして、なんらかの精神的、宗教的なものを志向し、また実際に結びついている場合も多い。
 私はそうした動きを、たんなる進歩や近代化に対する逆行ととらえる「単眼的視野」で見るべきではない。むしろ、人間存在を全体的にとらえ直していく「複眼的視野」こそ、今、要請されていると思われてならない。
 また、その複眼的視野に立ち、「人間にとっての信仰とは何か」「人類史にとって宗教とは何であるのか」といった問題を、あらためて検討してみる段階にさしかかっているのではないでしょうか。
 周知のようにドイツの哲学者ヤスパースは、古今東西の人類史を展望しながら、「枢軸時代」ということに言及しております。
 一言で言えば、枢軸とは、人類史の回転軸という意味になります。ヤスパースは、紀元前五百年を中心とした前後、ほぼ紀元前八百年から二百年にかけて起こった精神的変革過程を、第一の枢軸時代としている。
 彼の説によれば、そこでは、中国における老子や孔子、インドのウパニシャッド、そして釈尊、イランではゾロアスター、パレスチナではエリヤから第二イザヤにいたる一連の預言者たち、そしてギリシャではホメロスやソクラテス、プラトン、アリストテレス等々の巨人が、ほぼ同時代的に出現した。
 そのうえでヤスパースは、第一の枢軸時代になされた精神変革の影響は遠く近代にまでおよんでいる、と述べております。
 しかしながら、その影響力も、人類史上第二のプロメテウス時代ともいうべき未曾有の科学技術文明の中で、ようやく衰微しつつある。
 そうしたなかで要請されることは、いまだ定かな形をとっていないものの、第二の枢軸時代と名づけることのできる精神変革の流れである、というのであります。
 私は、このヤスパースの示さんとした予兆が、彼の脳裏に確かな像を結んではいなかったにせよ、なんらかの世界宗教的なるものの出現を彼自身は、予期していたのではないかと推察しております。
 キッシンジャー 宗教心が、一つの宗教の儀式と教義を無条件に認めることを意味するのであれば、私は自分に宗教心があるとは思いません。もっとも私はユダヤ民族の歴史と苦悩には共感をいだいておりますが。
 しかし私が確かに信じていることがあります。それは人間の宇宙に対する認識能力はきわめて限られたものである、ということです。その意味で、私は人間が理解できないさまざまな力の存在を信じていますし、本質的に不可知の部分があることも信じております。
 したがって、人間はつねに畏敬の念と謙虚さをもつ必要があるのです。
 かつてスピノザは、終極的に知識は神への知的な愛へと昇華する、と喝破しました。私も同じ考えです。
 そうした尊敬の念がなければ、国家権力の執行にも歯止めがなくなり、産業社会の結合力が失われ、人間の個性が真に認識されることもないでしょう。

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