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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 人生の道  

「平和と人生と哲学を語る」H・A・キッシンジャー(全集102)

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1  青年に贈る言葉
 青年は未来に生きる。青年を語らずして人類の未来はない
 池田 それでは、これから「人生の道」「平和の橋」「哲学と世界」という三つのテーマにそって、この対談をつづけたいと思います。まず初めに「人生の道」から進めたい。
 青年は未来に生きる。青年を語らずして人類の未来はない。仏法でも「現当二世」という原理があり、現在から未来を志向する人生の生き方を最重要視している。ともあれ、博士に青年に贈る言葉を願いたい。
 それは、二十一世紀も間近である。そのときのリーダーとして活躍すべき彼らに、何か先輩として残していきたいと思うからであります。ま、ともかく、一国においても、世界においても、いかなる時代においても、いずこの社会においても、未来を展望するとき、青年に期待する以外ない。
 われわれは老いていく。その意味から、私も折に触れて、未来を託す青年たちにいくつかの指針を贈ってきた。また、さまざまな激励の言葉も贈ってはきた。
 しかし、それはそれとして、ぜひ博士が、二十一世紀を担い生きゆく彼ら青年に言葉を贈っていただきたい。
 キッシンジャー 人類の歴史が始まって以来、青年は何をするにも従来と違ったやり方でできるはずだ、とつねに信じてきました。これは当然のことであり、進歩するための条件でもあります。現状を変革できるという信念がなければ、変革を企てることなど思いもよりません。
 池田 そのとおりです。
 古今東西を問わず、その純粋な信念と情熱こそが青年らしさの特質であり、象徴と言ってよいでしょう。
 キッシンジャー 一方、歴史から二つのことがわかります。まず第一に、変革をするには、客観的現実を考慮しなければならないこと、そしてその現実は容易に克服できるものではない、ということです。変革は可能ですが、時間がかかります。
 第二に、社会も、個人個人と同じように、国民性をもっています。したがって、そこにはなんらかの行動様式があります。とくに、日本を訪問すると、文化と伝統の果たす役割を強く意識するようになります。
 池田 なるほど。
 キッシンジャー しかし、これは中国にも、またその点に関してはアメリカにも、当てはまることです。もっとも、日本の場合ほど自明ではありませんが……。
 文化や伝統は制約的条件です。青年がそうした事実を知っていることは期待できません。青年はみずから経験しなければ知ることはできませんが、心にとどめておくべきことはいくつかあります。
 池田 それはそうでしょう。「経験」を大切にしなければならない。経験を積んでいかなければ、真実はつかめない。その意味において私も、さまざまな経験を尊んできたし、また経験を積んだ人々を大切にし、学んできたつもりです。
 キッシンジャー というのは、歴史上、永続的な変化は大部分、徐々に起きたものです。急激な変化があった場合は、たいてい、まず極端な暴力行為が起こり、次いで逆行現象が生じて、旧来のパターンに戻ってしまいます。
 しかし、行動している当事者はこれに気づかないのが歴史のリズムであります。皮肉なことに、最大の変化をもたらしたのは、往々にして急進的伝統の政治家ではなく、保守的伝統の政治家でありました。
 急進的伝統の人々が変革を行った場合には、必ず極端な暴力をともなうものです。たとえば、ロシアとか、ドイツとか……。
 池田 よくわかります。博士のおっしゃる漸進的な変化、あるいは漸進主義という志向性には、じつは大変な哲学が含まれています。この点は、のちほどさらに論じあい、深めていきたいと思います。
 月日のたつのは早いもので、戦後もはや四十一年を経た。激動しゆく世界はつねに新しい平和のあり方を求めている。また模索から一歩前進すべき段階に入ってきているようにも思われます。
 これは私だけではなく、多くの識者の一致するところであると思う。とともに、戦後生まれの人々が過半数を占めるようになった時代である。
 何回も申し上げるように、青年たちの役割はますます大きい。青年たちの動向によって、これからの平和もある。世界もある。展望も決まる。青年のもつ未来のビジョンは、きわめて重要となってきつつあると思いますが、どうでしょうか。
 キッシンジャー 核時代においては、たんに平和を望むだけでは、とうてい偉大な業績とは言えません。平和を求めることは当然なのです。
 なぜならば、一つの核爆発にも比すべきチェルノブイリの結果を見れば、仮に一年後に、それ以上の大型核兵器を動員した核戦争が勃発するとすれば、その結果の凄まじさは予測すらできないほどだからです。
 したがって、青年は平和を志向すべきです。しかし、平和を標榜する場合にも、世界を過激で残酷な人々の手に渡すことのないよう、注意を怠ってはなりません。
 池田 まったく私も同感だ。
 過去の歴史においては、槍とか、銃とか、機関銃とか(笑い)、少数の殺しあいであったが、今は核の時代である。人類はすべての英知を結集し、そのボタンを押すような事態だけは絶対に回避しなくてはならない。
 仮に過激で残酷な人々に世界を渡したら、これはもう取り返しがつかない。絶対に渡してはならないし、それらを見破っていく英知、知性が必要である。ともかく、人類が生き延びていくには、確かなる生命尊厳の潮流を全世界にもっと浸透させなければならないと思う。
 キッシンジャー だれ人であれ、戦争を始める用意のある者が、やりたい放題のことができるような状況をつくってはならないと思います。なぜなら犠牲にされる人々は恐れて抵抗することができないからです。
 したがって、われわれが青年に求めるものは、献身的努力であります。
 池田 いいですね。確かに今の青年は受け身かもしれない。積極的に何かに貢献しようという精神がなくなりつつある。また強く、正義の心をもって抵抗し抜いていこうという情熱も少ない。これは大変なことであると心配します。
 それは当然、いたずらに抵抗せよとか、いたずらに既成のものと戦えとかという次元ではない。
 本来的な意味から、青年は青年らしい新しい「建設」、新しい「平和」への戦い、新しい「正義」への旗をもった、勇気ある行動と挑戦がつねになければならない。これは国家、民族、時代を超えた青年の素晴らしき権利であり、特質であるからです。
 青年は青年らしく、純粋に未来を築いていくという魂の精髄をもってもらいたいということです。
 キッシンジャー 同時に、大局的な価値観も必要です。過去の時代には、経験を通してそれを身につけることができましたが、今日、経験をしながらそれを身につける時間が十分にあるかどうか、私にはわかりません。
2  青年とビジョン
 日本は、国家権力が愛国心という美名のもとに、国民を戦争にかりたてた、という歴史があります
 池田 そこで、二十一世紀に生きゆく、現代の青年に対して、どういうビジョン、いかなる人生観を与えたらよいか。今の平和という問題に全部含まれてはきますが、たとえば具体的に、日本では昔、「末は博士か大臣か」(笑い)というようなことが言われました。そういう意味で、いかなる目標を与えるべきか、簡潔にお願いしたい。
 キッシンジャー 青年は、自分より大きなことに挑戦すべきでしょう。たんに金儲けや巨大な組織を運営するだけが――もちろん、それは必要なことではありますが――人生の目的ではない、と私は思います。
 池田 本来、青年の青年たるゆえんは、その理想の大きさにこそある、と言ってよいと私も思う。
 しかし、高度に管理化された社会にあっては、青年がかつてのように、明快な目的も理想もいだきにくくなってきている。いな、そのめざすべき目標を自信をもって示せる指導者が少ない。それは一言で言えば、哲学がないからでしょう。
 キッシンジャー ですから重要なことは、自分より大きい大義につくす国家的、国際的伝統をつくることです。
 池田 現代社会は平和、環境汚染、エネルギー等、どれ一つとってみても、一国の枠を超え、グローバルな視点に立たなければ、根本的な解決はむずかしいものばかりです。その意味で、今日ほどグローバリズムが要請されている時代はないと思います。
 しかし、私たちは“地球人”であると同時に、どこかの国に所属しています。自分が現に属して生活している国を愛する心をもつことは、自然の姿でもある。
 日本では、愛国心といえば、ともすれば偏狭なナショナリズムとなり、グローバリズムは抽象的・観念的なスローガンへと拡散しがちです。
 博士はアメリカ市民であり、かつ国際社会の平和をめざして、広く世界的な視野に立ってご活躍されていますが、ご自身の体験をふまえて、愛国心とグローバリズムの関係について、どう考察されますか。
 キッシンジャー 私は、国民に自信がなければ、グローバルな視点に立てないと思います。
 池田 現実的な観点ですね。
 キッシンジャー 自分たちの国家と文化を破壊する人々には賛同しかねます。
 池田 そうですね。当然の道理です。
 それとともに過去の深刻な反省として、日本は、国家権力が愛国心という美名のもとに、国民を戦争へかりたてた、という歴史があります。
 また、その偏狭な愛国心の歯止めとなる各国の民衆との深い交流もなかったわけです。
 その苦い教訓のうえからも、各国間の民衆次元の長期的かつ幅広い文化交流が、この問題を考えるうえでのポイントになると私は思います。
 キッシンジャー まず、自分たちの社会と文化を尊重するところから出発すべきです。
 次に、真の英知をもって、それがグローバルな文化の一部であることを自覚しなければなりません。他にも、それぞれの価値観を信じている人々がいるわけですから。
 自分たちの価値観を他国の人々に強制して、グローバルな秩序を築くことはできません。
 しかし、自分が価値観をもたなければ、やはり世界の秩序を実現できないことも事実であります。
 池田 納得です。それが現実でしょう。やはり、現実をふまえない行き方は、足をさらわれるでしょう。
 と同時に、時代の進歩とともに、ますます国境、民族を超えた一体感が人々の現実感覚となりつつあることも間違いない。それをどう深め、より確かな流れとするかは二十一世紀の重大課題の一つでしょう。
3  人生に必要な徳目
 強制は長つづきしない。反感を生む。悪循環はまた悪循環を生み、最後は破滅するのが法則です
 池田 次に人生の徳目ということについて……。歴史の激流の中に身を置き、生き抜いてきた人物は、人間の徳目について、必ずといってよいほど傾聴に値する一家言をもつものであります。
 たとえば、イギリスの宰相チャーチルが、その著『第二次大戦回顧録』において、「ローマの平和は、ローマの寛容と勇気に由来する」との言葉を引用し、“寛容”と“勇気”を繰り返し強調しているのはよく知られています。
 キッシンジャー もちろん、勇気は非常に大切であると思います。私が言いたいのは、たんに身体的勇気のみならず、道徳的勇気であります。道徳的勇気が大切な理由を述べましょう。
 すべての社会が直面している恒久的な問題が一つあります。それは、いかにすれば現在の諸問題に可能なかぎり適切に対処できるかということで、これには専門家の力が必要です。
 さらに、より重要なことは、現在の社会から未知の社会へいかに移行するかということで、この場合、過去の経験は頼りになりません。前人未到の道を独り征くには、勇気が必要です。
 池田 道理です。勇気のないところには新しい展開は決して生まれないでしょう。
 現在わが国でも、社会の行動様式において、文化、芸術、スポーツなどの世界においてもさまざまな次元において、既成のものを打ち破る勇気ある若者の行動があります。
 これはこれで私は評価したい。とともに、大切なことはそれがイコール、平和につながるかどうかという、深い問題も生じてくるということでしょう。
 ですから、どうしても哲学が必要となってくる。思想が必要となり、理念が必要となる。
 それをまったく無下にした、まったくそういうものをもたない勇気だけであった場合、年をとるとともに消滅してしまう。必ず行き詰まりがある。
 やはりすべての行動の裏付けになる思想なり、哲学なり、信仰なりをもったうえでの勇気が、大きい課題になってくると考えたい。
 キッシンジャー いずれにしても、真に新しいものは、何事であれ人々の不評を買うものです。だから勇気が必要なのです。
 第二に必要とされる徳目は、人の個性や文化的、哲学的特性を尊重する態度です。
 最後に、進歩を遂げるには二つの方法しかありません。説得と強制です。もし強制の道を選ぶならば、大変な苦しみがともなうでしょう。
 しかも、果てしなき道程です。強制すればするほど、ますます敵が増え、敵が増えれば、いちだんと強制を強めざるをえなくなります。これはとどまるところを知らないプロセスです。しかし、説得力をもつには、人の人生観や心理を理解し尊重しなければなりません。
 池田 確かに強制は長つづきしない。反感を生む。悪循環はまた悪循環を生み、最後は破滅するのが法則です。

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