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後記 「池田大作全集」刊行委員会  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
1  二十世紀が終わりを迎えようとしている今、政治、経済、科学技術……これらはさまざまな課題をかかえ、その解決の糸口を見いだせないでいる。混迷の闇を破るものは、詰まるところは人間である。新しき地平を開く強き人間の意志、現実の行動によってのみ、二十一世紀は、真に輝く世紀となり、希望あふれる「新たな千年」が人類の眼前に立ち現れてくるにちがいない。
 本巻に収録された二編の対談は、池田SGI会長が、まさに二十一世紀を展望し、「対話」を武器に、現実の行動をつづけるなか、積み重ねた珠玉の対談集である。本全集の対談編としては、十四巻目となる。
 対談者はモスクワ大学前総長で、ロシアの世界的物理学者のアナトーリ・A・ログノフ博士である。一九八一年の最初の出会い以来、二人の対話はじつに十数回の多きを数える。この間、倦むことなくつづけられた対話は八七年に対談集『第三の虹の橋』として毎日新聞社から出版。また対談集『科学と宗教』は、月刊誌「潮」の九三年一月号から九三年十二月号に連載され、その後、潮出版社から上下二巻として刊行された。
 ただし、この二編の間には、旧ソ連邦の崩壊、東西冷戦時代の終結という大変動が横たわっており、各対談集には、それぞれ異なる時代背景が存在する。したがって読者は両対談集に多少の論調の相違を感じられるかもしれない。しかしながら、社会の体制を超え、「人類の未来と平和」を志向しつつ、地球的課題に対し真摯に思索を積み重ねた対談は、いずれも今日の要請にも十分応えうる知見を包含している。そのような意味もあって、今回、本全集に二編を併せて収録させていただいた。また、対談で取り上げられた項目は、それぞれに日進月歩で研究・開発が進められる領域でもあり、単行本が発刊された当時に比べてデータが増加し、それにともなって展開できる部分があることも事実であり、その点は若干、加筆されていることをご了承いただきたいと思う。
2  ところで、池田SGI会長の対談者のなかでも、ログノフ博士ほど当初、思想的に対極にある対談者は珍しかったのではないだろうか。東と西、自由主義と社会主義、仏教者と唯物論者。これらの際だった違いを持つ両者の議論に共通点は見いだせるのか、また議論そのものが成り立つのか――その疑問に応えたものが一冊目の対談集となった『第三の虹の橋』である。
 読者は、対談を読み進めていくとき、人間にはいかに共通する財産が多いか、世界平和と人類の幸福をめざす心情においては、ほとんど一体とも感じられる共通性を対談の随所に見いだされたのではないだろうか。
 しかし、これらは短時日になったものでは決してない。ログノフ博士は対談集の完成にふれ、「私は科学者、物理学者である。池田先生は哲学者であられる。立場の違いがあった。しかし異なるアプローチをしながら、一つの共通点に達したことに意義があると思う。それは全人類のために、より高き『英知』を結集しなければならないということだ」と語っている。『第三の虹の橋』の完成までには、両者の間でさまざまな意見、書簡が何度も交わされた。さらにそれらが推敲され練り上げられ、刊行までに六年以上の長い歳月を要したのである。
 とくにログノフ博士は当時、モスクワ大学の総長で、ソ連科学アカデミーの副総裁である。公的な見解を踏まえて、何度も原稿に手を入れざるをえなかったであろう。しかし、こうした苦労によって、「自由主義国家の宗教者と社会主義国家の唯物論者との初の対談集」がソ連でも発刊された。これが突破口となって、その後、米ソの学者の対談集も実現したという。
3  日本国内でも同対談は大きな反響を呼んだ。例えば、国際問題の研究家でソ連について造詣の深い青山学院大学の木村明生教授は「いわば対極にいる対話者が、それぞれ相手の領分と思われるところに相互乗り入れして、存分に議論しているところが貴重である。真の対話とはこういうのをいうのであろう」との声を寄せている。
 こうした対談を支えたものは両者の深い理解と信頼であることは言うまでもない。また、それは初の訪ソ以来、たゆむことなく貫いてきたSGI会長の人間主義の外交を見ずしては理解することはできないであろう。
 SGI会長が、ロシア(旧ソ連)の地に第一歩を印したのは一九七四年。冷戦の真っただ中であった。寒い“冬の時代”。日本国内ばかりではない。ソ連でも“日本の宗教団体の指導者”の訪問に、賛否が分かれていた。そのような状況下、SGI会長は「どんなにイデオロギーが違おうと、人間は人間である。対話できるはずである。否、違いがあればあるほど『対話』を避けてはならない」(『私の世界交友録』)との信念でソ連を訪問。その後、教育、美術、音楽、舞台芸術の交流、平和のための展示会、教育者や青年、婦人の代表の交流団など、次々と“虹の橋”を架けていった。
 「信義」を貫き、「約束」を一つ一つ現実のものとしてきたSGI会長のこうした人間主義の行動のなかに、ログノフ博士との出会いも生まれ、対談が実現した。そして、『第三の虹の橋』はSGI会長の四度目の訪ソ、さらに「核兵器――現代世界の脅威」展のモスクワ展開催と時を同じくして刊行された。その意義もまた計り知れないほどに深い。

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