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第十二章 二十一世紀の科学と…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
1  モスクワ大学で講演を
 ―― 北米への平和旅、ご苦労さまです。
 池田 いや、どうも。
 ―― ハーバード大学では、「二十一世紀文明と大乗仏教」と題して、講演されるとうかがいましたが。
 池田 ええ。今回は二度目になりますが、とくに哲学的、宗教的側面からの講演を、とのことで招聘をいただきました。
 ―― そうですか。新聞を楽しみに読まさせていただきます。
 ログノフ ロシア語の翻訳ができましたら、私もぜひ読まさせていただきます。池田先生が示される道は、決して袋小路におちいらない道です。人類を行き詰まりのない、無限の進歩へと導く道だと思います。これはサドーヴニチィ総長をはじめ、モスクワ大学全体の希望なのですが、わが大学の名誉博士である池田先生に、なるべく早い時期に講演をお願いしたい。モスクワ大学の歴史に、新たな一ページを刻んでいただきたいのです。
 池田 ありがとうございます。これ以上の栄誉はありません。私はモスクワ大学の一員ですから、ログノフ博士や総長閣下のおっしゃることであれば、逆らうことはできません。(笑い)
 ログノフ 池田先生が前回、モスクワ大学で行われた記念講演(「東西文化交流の新しい道」一九七五年五月二十七日)を、私は今でも印象深く覚えております。
 池田 二度目の貴国訪問のときでした。歴史あるモスクワ大学からみれば、“孫”のような創価大学の私どもを、皆さまは真心で歓待してくださった。私にとっても忘れえぬ思い出です。
 ログノフ 池田先生の講演は、ロシア文学に描かれる“民衆群像”に鋭く光を当てた、格調の高いものでした。人間と人間の交流で“精神のシルクロード”を築こう、と先生は訴えられました。
 あれから二十年近い歳月を経た今、先生の言われていたことの意味の深さと、先見性をあらためて実感しています。
 ―― こうした平和と友好の主張を、共産主義体制が確固としていた旧ソ連の時代から、一貫してつづけてこられたのが池田先生です。
 中国との関係にしてもそうです。あるアメリカの著名な教育者が、池田名誉会長は二十世紀の“民間外交史”に不滅の名を残すでしょう、と語っておりました。
 ログノフ 今ロシアは、経済の破綻、民族紛争、またモラルの低下に象徴される社会秩序の混迷など、どれ一つとってみても抜き差しならない状況にあります。なかでも、ソ連邦解体後の既成の価値観の崩壊、いわば精神的な基盤の喪失が、目に見えない大きな問題としてのしかかってきております。
 池田 新しい価値観の探究は、お国だけの問題ではありません。日本にとっても、世界にとっても、二十一世紀に向けての最も重要な課題です。
 ログノフ ロシア社会の繁栄と安定のためには、新たな精神文明の確立が不可欠です。モスクワ大学にも“人間学部”をつくってはどうかという、アイデアがあります。先生の講演が実現すれば、私どもにとってこれほどうれしいことはありません。
 池田 心から感謝いたします。どこまでご期待にそえるかわかりませんが、真剣に取り組んでまいります。
2  歴史のなかの科学と宗教の対立
 ―― 次に歴史における科学と宗教のあり方にふれながら、二十一世紀に向けて両者の関係はいかにあるべきかといった問題について、論じていただきたいと思います。
 池田 宗教も科学もその淵源をさかのぼれば、決して相反するものではありません。しかし、現代において“科学と宗教”というと、矛盾するもの、対立するものといったイメージが、一般に定着している観があります。
 ―― 昨年(一九九二年)の秋でしたか、ローマ法王は公式にガリレオの破門を解きましたね。これによって、じつに三百五十九年ぶりにガリレオの名誉が回復されました。
 ログノフ ローマ法王が誤りを認めたのはよいことであり、正しいことだと思います。しかし、ジョルダーノ・ブルーノをはじめ、迫害を受けた科学者はほかにもたくさんいます。そうした過去のすべての誤った行為について、教会は反省すべきだと思います。
 池田 「地動説」を支持したガリレオが宗教裁判にかけられ、自説の放棄と生涯にわたる幽閉を命じられた事件――この「ガリレオ裁判」は科学と宗教の対立の歴史において、象徴的な出来事といえます。
 ログノフ 裁判は前後二回にわたって行われています。ガリレオは第一次の審問によって、「地動説」を唱えたコペルニクスを弁護してはいけないとの訓告を受けます。その後、主著『天文対話』を書き上げますが、その内容が「地動説」を支持しているという理由で、さらに二回目の異端審問が行われました。
 そして、ついに“最後通牒”が突きつけられます。火刑に処せられて死ぬか、それとも異端であることを認め、邪義を改めることを誓うか――七十歳のガリレオは殉教をあえて避けました。
 池田 たしかに、ガリレオは表面的には教会の権威に屈した。しかし、みずからの科学への確信と信念はいささかも揺らぐことはなかった。
 “私は、まだ死ねない。人類のため、世界のため、やり残したことがある”――彼の胸中には、炎のごとき使命感が燃えていたにちがいない。
3  ―― こうしたキリスト教会による科学の弾圧は、いつごろから始まったのでしょうか。
 ログノフ 十二世紀ごろからです。ちょうどヨーロッパに、学問の府としての大学が誕生した時期と重なっています。
 池田 オックスフォード大学やパリ大学、イタリアのボローニャ大学ができたころですね。
 ログノフ ええ。古代や中世において、科学はカトリック教会にとって危険なものではありませんでした。
 しかし、十二世紀になると、ローマ教皇アレクサンデル三世は教書を発して、聖職者の「科学と自然法則の研究」を禁じています。当時、そうした研究活動にたずさわることができたのは聖職者だけでしたから、それは事実上、科学研究の全面的な禁止を意味するものでした。さらに十四世紀には、ヨハネス二十二世が“錬金術”を禁止しています。
 ―― コペルニクスの「地動説」は、ガリレオより一世紀近くも前に発表されていますが、このときも教会からの弾圧はあったのでしょうか。
 ログノフ コペルニクスの『天球の回転について』は、一五四三年に刊行されました。しかし、それに対して、教会から特別な干渉は起きていません。
 ―― そうですか。ちょっと意外な気もしますけれども……。
 池田 コペルニクス自身は教会の反発を懸念して、出版を躊躇したといわれていますね。
 ログノフ そのとおりです。ただ、レティクスという若い弟子が、この論文は絶対に世に出すべきだと信じて、出版をうながしつづけました。
 ようやく本が完成したのは、コペルニクスが亡くなる寸前のことでした。枕元に届けられたとき、コペルニクスは衰弱のため、もはや手に取ることもできなかったようです。
 池田 もし「地動説」が世に知られることなく、歴史の闇に葬られていたら、その後の科学の歴史は違ったものになっていたでしょう。青年の勇気ある行動が、師匠の正しさを証明したともいえる。

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