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日蓮大聖人・池田大作

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第十一章 生と死――はてしな…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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1  一枚の名画をめぐって
 ログノフ この『国立ロシア美術館』の写真集を、池田先生にお贈りいたします。サンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)の国立ロシア美術館が所蔵している作品の写真集です。
 池田 すばらしい。第二次大戦のさい、レニングラードはナチス・ドイツによって、二年半も包囲されています。よくぞ、これほどの美術品を残せましたね。
 ログノフ 多くの餓死者を出しながらも、市民は徹底して戦い、祖国の独立を守り抜きました。これらの文化遺産は、ロシア人が命がけで守ったものといえます。
 池田 よくわかります。
 ログノフ この絵(「サパロージエのコサック」)は、十九世紀の巨匠レーピンの作品で、南ロシアのサパロージエ(ドニエプル河畔のコサック本営地)の民を描いたものです。彼らは自由な精神の人たちで、共和国のようなものをつくり、ロシア皇帝にも従属していませんでした。
 池田 有名なコサックの部族ですね。
 ログノフ たいへん屈強な人たちでした。トルコのスルタン(皇帝)は彼らをとりこもうと、自分に仕えることをうながす手紙を送ってきました。しかし、彼らは決して隷属しようとせず、皇帝の要求を拒絶する書面を送りつけるのです。
 この絵は、その手紙を書いている人の周りで、“ああ書け”“こう書け”と、みんなが言葉を挟んでいる場面です。
 池田 誇り高き民衆の心意気が伝わってくる、歴史のひとコマです。
 ログノフ 「お前になんか従属するものか。断固、戦うぞ!」そういう内容をユーモアを交えながら、できるだけ侮辱した表現で書いているのです。
 池田 愛する故郷の大地に立って、何ものにも支配されず、毅然と生き抜いていったサパロージエの民の生活を、ゴーゴリが『隊長ブーリバ』で生き生きと描いていたのを思い出します。
 ログノフ そのとおりです。ロシアを理解するには、やはりゴーゴリを読むべきだと思います。彼は民族的にはウクライナ人ですが、ロシア語で作品を書いています。ウクライナ人を文化的・芸術的に非常に高いレベルに引き上げた優れた作家です。
 池田 主人公ブーリバの生き方をめぐって、私たちも青年時代に恩師である戸田城聖先生を囲んで論じ合ったものです。自分の信ずるもの、また同志を守るためには何ものも恐れない。それが指導者です。
 ―― 敵との壮絶な戦闘のドラマのなかには、愛する息子や仲間の「死」に出合った、主人公ブーリバの苦悩が描かれています。そして、最後にはブーリバ自身が敵の手によって処刑されるところで、物語は結ばれています。
 さまざまな人間群像のなかで、「生」と「死」の深淵が鮮烈に浮かび上がってきますが、ここではこの生死の問題をテーマに、論じていただきたいと思います。
 池田 「哲学をきわめるとは死ぬことを学ぶこと」(『エセー①』原二郎訳、岩波文庫)――これはモンテーニュの有名な言葉ですが、仏法でも「臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と教えています。
 ログノフ 仏法も「死」を重視しているのですね。
 池田 そうです。“尊厳なる死”は、“尊厳なる人生”を生きた証でもあります。そこから翻って、「臨終只今にありと解りて」生きていく姿勢を、仏法は説いています。今この瞬間に死んでも悔いはない――そういえる生き方を、一瞬一瞬、積み重ねていくことである。
 ログノフ キリスト教社会でも、中世には“メメント・モリ(mementomori=死ぬことを憶え)”といって、「生」を高めていくために「死」を深く見つめていこうという態度がありました。
 池田 「生」と「死」に対する、確固とした視点のない人生は、あまりにはかない。
 たとえば、「大学生活をどう生きるか」を考える場合、「卒業後の進路をどうするか」について展望がなければ満足な答えは出ない。それと同様に、“人生の卒業後”すなわち死後の生命という問題を考えずに、「人生をどう生きるか」を問うたとしても、明快な解答を得ることはできない。
 ―― 「死」について学ぶことは、この人生をより豊かなものにしていくうえで、必要不可欠の課題だということですね。
 池田 ですから、真実の人生の意義は、三世という永遠の視点からしかとらえられない。
 “理性的に生きるかぎり、人はなんらかの永遠性を求めざるを得ない”というトルストイの思想が、光彩を放つ理由もここにあります。
 ログノフ 洋の東西を問わず、「生」と「死」の問題が、古来、宗教と哲学の根本課題となってきたことが、わかるような気がします。
 池田 しかし、近代合理主義が広がるにつれて、“死を憶う”ことは避けられていった。それだけでなく、「死」を忌み嫌い、タブー視するような風潮が広がっていきました。
 ログノフ ロシアでも、十八世紀後半のエカテリーナ二世の時代になると、近代合理主義の影響が強まってきます。それは、一方で、ロシアの伝統精神との対立をもたらしました。
2  ロシア文学の「生死観」を読む
 ―― ロシアの文学作品や作家自身の生き方には、ロシア人の生死観がよく投影されていると思います。たとえば“近代ロシア文学の父”プーシキンも印象的ですね。
 ログノフ プーシキンは“ロシアの精神”が結晶したような詩人です。小学校二年生のころ、読書好きの祖父に買ってもらって初めて読んだのが、プーシキンの童話でした。読むのが楽しくて、大家さんの老夫婦に、ランプの下で読んで聞かせてあげたことも、懐かしい思い出です。
 池田 ゴルバチョフ元大統領も、プーシキンの詩を子どものころから、暗記するほど親しんだと言われていました。
 プーシキンは当時のロシア社会に起こっていた近代化と伝統の葛藤を鋭敏に感じ取り、その悩みを昇華させていくなかで、優れた作品を生みだしていきました。
 ログノフ まさにそのとおりです。プーシキンは、西ヨーロッパの啓蒙主義が、ロシアの社会に根づかず、貴族たちの表面的な飾りにしかなっていないことを揶揄しています。(『オネーギン』池田健太郎訳、岩波文庫を参照)
 ですから、ラテン文学の牧歌詩人ホラティウスの詩句“O rus!”(オー・ルス=おお、田園よ)と対置する形で“O pycb!”(オー・ルス=おお、ロシアよ)と謳っています。ロシアの伝統精神と、その源であるロシアの農村を讃え、ロシアの誇りを鼓舞したのです。
 池田 残念なことに、プーシキンは、決闘によって三十七歳の若さで亡くなっている。
 臨終の様子を、友人のヴラジミール・ダーリが記しています(「同時代人の回想」中田甫訳、「ソヴェート文学」第99号所収、群像社)が、重傷を負って苦しみながらも、彼は周囲の人たちへの配慮を忘れなかった。妻や友人たちに別れを告げ、子どもたち一人一人に心から祝福をおくっています。晴れやかな微笑さえ浮かべ、「命が終わったんだ」と、はっきり「死」を自覚して、静かに臨終を迎えたといいます。
 ログノフ 笑みをたたえて、永遠の別れを告げる。じつに凛然たる最期です。彼の「死」を悼む数千人の市民が、家の周囲を取り巻いたといいます。
 池田 彼はその前年、みずからの「死」を予感していたかのように、「私は記念碑を建てた」と題する詩を詠んでいます。
 断じて私の全てが
 死に絶えることはもはやないのだ。
 たとい身は死灰と化して朽ち果てようとも、
 わが詩魂は聖なる竪琴に宿って、
 この世にただ一人の詩人でも生きてあるかぎり、
 わが名声を伝えるであろう。
 (『井筒俊彦著作集3ロシア的人間』中央公論社)
 青春の魂を悔いなく燃焼した、すがすがしさが伝わってきます。
3  ログノフ そのとおりです。また、ロシア人の生死観を考えるとき、プーシキンと並んで、文豪トルストイの作品を忘れるわけにはいきません。
 たしか、池田先生はモスクワで「トルストイの家」を訪問されたことがありましたね。
 池田 ええ。もう十二年も前(一九八一年)のことになりますが、館長のルビモア女史に案内していただいて、資料館も拝見しました。その折、トルストイが最後に家出をしなければならなかった理由は何だったのか、「死」の瞬間はどのような状況だったのか――年来の疑問をおたずねしたことを覚えています。
 女史は、トルストイの「死」は肺炎による自然死であり、その家出は彼の内面の危機を転換するための試みであったと、言われていました。
 ログノフ そうでしたか。彼は『イワン・イリッチの死』(米川正夫訳、岩波文庫)という作品で、平凡な一人の男性の「死」を取り上げました。ごくありふれた「死」の風景の中に、人間の本質に迫る問題があったのです。
 池田 トルストイは生涯、「死」を凝視しつづけた作家です。文壇での確固たる地位と名声を得た五十代半ばになって、彼は深刻な精神的危機を迎えています。実際、十年近くも創作活動を中断していますが、そうした内面の格闘を経て結実された作品が、この『イワン・イリッチの死』だと思います。
 ログノフ 主人公イワン・イリッチは、物質的な充足を求め、社会的な地位や名誉を追求する、小市民の典型ともいえる人物です。ところが、ある日梯子から落ちたことがきっかけで、不治の病にかかってしまう。
 それまで大切に守ってきた地位や財産、そして最後には自分の命まで手放さなければならなくなる。主人公の「死」への恐怖と孤独が、克明に描かれています。
 池田 イワン・イリッチが「死」の不安から解放されたのは、亡くなる直前のことでしたね。
 ログノフ ええ。わずか二時間前のことです。苦痛のあまり暴れる彼を抱きとめ、その手に口づけするわが子と傍らの妻を見て、「そうだ、おれはこの人たちを苦しめている」「彼らをこの苦しみから救わなければならない」と感じる。その瞬間、あれほど彼を苦しめた激しい苦痛が消えていることに気づくのです。
 そして、「死」の恐怖は消え、その代わりにまばゆいばかりの「光」を見いだす。「ああそうだったのか!」「なんという喜びだろう!」――彼はそう声に出し、安らかに死んでいきます。
 池田 トルストイが苦悩のすえに到達した生死観が、見事な芸術として表現されている。読者の魂を揺さぶる一節です。

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