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第五章 光と鏡と「量子」の不…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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1  平和への友情のネットワーク
 ログノフ 北米・南米訪問の大成功、おめでとうございます。
 池田 ありがとうございます。長い旅でしたが、おかげさまで元気に帰ってきました。
 ―― 今回のチリで、五十カ国目の訪問国になったとうかがいました。
 池田 ええ、そうです。
 ログノフ 五十カ国ですか。たいへんな歴史です。ロシアにもぜひ、近いうちにおいでください。
 池田 ありがとうございます。ゴルバチョフ元大統領もたいへんお元気のようですね。また必ずおうかがいします。私たちは貴国の変わらぬ友人ですから。
 ログノフ それはうれしいニュースです。楽しみにしています。
 池田 日本とロシアは、もっとお互いに知り合うべきです。より良い友好関係のために、文化交流、人間交流が必要です。
 ログノフ 私たちもそれを望んでいます。
 池田 仏法の根本は、いうまでもなく「慈悲」の精神です。「慈」というのはサンスクリットの「マイトリー(maitri)」から出た言葉で、「真実の友情」という意味をもっています。
 ログノフ すばらしい言葉です。
 池田 「真実の友情」ほど強いものはない。それを結ぶのは行動です。ゆえに、勇気と誠実の行動で、世界中に友情のネットワークを広げ、平和に貢献したい。それが仏法者としての私どもの原点です。
 ログノフ まさにその信念のとおり、池田先生は平和への行動を続けておられる。私たちのこの対談も、ロシアと日本の懸け橋となり、また友情のメッセージとなれば、これ以上の喜びはありません。
 池田 私のことはともかく、博士の今のお言葉には千鈞の重みがあります。
 ログノフ 時代は変化しています。私たちは次の世代への責任があります。その責任を果たすためにも、ともかく行動し、何かを残さなければなりません。
 その意味でも、広範なテーマになると思いますが、一つ一つ努力して取り組んでいきたいと思います。
 池田 ありがとうございます。幅広い科学の問題を、わかりやすく表現するために、いろいろご無理をお願いしてすみません。
 ログノフ いえいえ、私も楽しく対談させていただいています。何でもおっしゃってください。
2  宇宙の森羅万象を映す鏡
 池田 私はマイアミにいたのですが、日本の新聞によると、二月四日の夜、ロシアの宇宙船に大きな鏡をつけて、太陽の光を地球に送る実験があったそうですが。
 ログノフ 宇宙ステーション「ミール」から分離された貨物船「プログレス」が直径二十メートルの巨大な鏡を広げ、太陽光線を反射して地上に送りました。
 夜間の照明などに使い、電力の節約に役立てたいと考えているようです。
 池田 壮大な発想です。実験は成功ですか。
 ログノフ モスクワでは光をキャッチしたと発表されました。
 スイスのジュネーブでは、あいにく曇り空でとらえられなかったようです。
 ―― 日本では、五日の明け方、札幌周辺で見えたと聞いています。
 池田 ああ、そうですか。宇宙空間に鏡を浮かべるとは、よく考えましたね。
 ログノフ ええ。そういう意味では、月も一種の鏡の役割をしているといえます。ちょっとアバタがありますが。(笑い)
 池田 鏡というのは、おもしろいですね。いろいろな目的に使うことができる。
 ログノフ 鏡について、ロシアには、「自分の顔が曲がっているのに、鏡を責めて何になろう」という諺もあります。(笑い)
 池田 鏡には、事象をありのままに映す性質があるということですね。
 ―― ノーベル物理学賞を受賞した、日本の朝永振一郎博士は著書『鏡の中の物理学』(講談社)の中で、「じつは、物理学者には、やはり鏡に興味をもつ人がひじょうに多いようで、(中略)鏡の向うの世界と現実の世界との間の関係が物理学者の興味の対象になるのです」と述べています。
 ログノフ 鏡は物理法則の対称性を考えるうえで、示唆を与えてくれます。鏡や光は、量子力学の世界からみても、たいへん興味深いものです。
 池田 鏡は古くから、認識、なかんずく自己認識の手段として用いられてきました。
 哲学者プラトンは、「鏡を手に取ってあらゆる方向に、ぐるりとまわしてみる気になりさえすればよい」と言っています。
 そうすれば、「君はたちまち太陽をはじめ諸天体を作り出すだろうし、たちまち大地を、またたちまち君自身およびその他の動物を、家具を、植物を、そしていましがた挙げられたすべてのものを、作り出す」(『国家』藤沢令夫訳、岩波文庫)――と。
 このように、鏡が宇宙の森羅万象を映す働きに着目していたようです。
 ―― 新聞の名前で、英語なら「ミラー(mirror)」とか、ドイツ語ですと「シュピーゲル(spiegel)」と、「鏡」という言葉が多く使われているのも、「鏡のように世相を鋭く映す」ということを強調していると思います。
 ログノフ ラテン語で「鏡」を意味する「speculum」は、英語の「speculation(瞑想)」の語源に関係があるそうです。これなど哲学的な意味あいを感じます。
3  生命を磨く「自浮自影の鏡」
 池田 仏法哲学でも、鏡の譬えを用いて、じつに多くの法義が説かれています。「惣じて鏡に付て重重の相伝之有り」とあるとおりです。「相伝」とは、師から弟子へ伝えられる教法ということです。
 中国の天台大師は『摩訶止観』に、「譬へば明鏡の如し、明は即空に譬へ、像は即仮に喩へ、鏡は即中に喩う。合せず散せず、合散宛然たり」と、「空・仮・中」という三つの真理(諦)の側面が同時にそなわることを、鏡と像の関係に譬えています。
 ログノフ それはどういうことを説いているのですか。
 池田 まず、鏡にはもろもろの万法の姿――太陽も月も、人間や動植物も含めた森羅万象――が“像”として映る。しかし、これらの“像”は鏡に映せば見えるが、鏡を裏返したりすると映らない。その意味で、鏡の“像”は“仮のもの”であり“仮”に譬えられる。
 また、鏡の面にはすべてをありのままに映し出す“くもりのないこと”すなわち“明るさ”という特性がある。この“明るさ”は、一切を平等に差別なく映し出すことができる。この鏡の面のもつ性質は、物事の一貫した性分を示す“空”の概念に譬えられる。
 ログノフ なるほど、そういうことですか。
 池田 そして、鏡それ自体は、“像”と“明るさ”、すなわち「仮」と「空」をともに統合し、万物を映すという働きを顕現している。
 「合せず散せず、合散宛然」――合せずしかも散ずることもなく、しかも厳然と三つが合しつつ、かつまた散じてある。その統合性を「中」に譬えるのです。この「空・仮・中」の「三諦」は別々のものでなく、鏡と像の関係のごとく、融合し相即している。
 ログノフ 仏法の哲理は、緻密な思索に裏づけられているのですね。
 池田 さらに「三諦」に関して、もう少し哲学的にいえば、「仮諦」とは森羅万象は因と縁の和合によって、仮に成り立っているがゆえに、変化・流動を免れがたい。「空諦」とは森羅万象をつらぬく平等の性分であり、すべての物事は変化しゆくものであるという真理です。
 ログノフ おもしろい。
 池田 最後の「中諦」とは、「仮諦」と「空諦」の統合。すなわち、森羅万象は表面的には移り変わるものであるが、因果の法則にのっとりながら、因縁和合の現象として現れているという事柄そのものの真理をいいます。そして、これらの「三諦」はどの一つを欠いても真理が成り立たないし、さらにはどの一つにも他の二つを含んでいることから「円融の三諦」ともいいます。
 ログノフ 科学的にも、まことに興味深いものの見方です。

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