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日蓮大聖人・池田大作

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本因妙法蓮華経の本 本因の妙法弘通を本迹に立て分け

「百六箇抄」講義

前後
1  全く余行に分たざりし妙法は本・唱うる日蓮は迹なり、手本には不軽菩薩の二十四字是なり、又其の行儀是なり云云。
 表題の「本因妙法蓮華経」とは、法華経寿量品の文底に秘沈された本因下種の南無妙法蓮華経のことです。南無妙法蓮華経は一切衆生が成仏するための本源の種子である故に、本因の妙法と称するのであります。
 この法は久遠元初自受用報身如来の大生命に脈打つ宇宙生命の根本法則であり、末法今時においては、日蓮大聖人の所持し弘通されていく一法なのであります。
 故に「本因妙法蓮華経の本迹」とは、末法において日蓮大聖人が、本因の妙法である南無妙法蓮華経を弘通されることに関して、本迹を立て分けるとの意味であります。
 末法に入って、まず「全く余行に分たざりし妙法は本・唱うる日蓮は迹なり」と記されている「全く余行に分たざりし妙法」とは、成仏本果の種子である久遠元初の一法を、全く余行に分かつことなく、そのまま末法へと移した南無妙法蓮華経のことです。
 この場合「全く」とは「少しも」という意味である。少しも余行に分割していないことが肝要だというのです。たとえ少しでも、妙法という根源の当体を分かち、余行を交えれば、それはすでに一切衆生を成仏せしめる本因の直体ではなくなってしまうからであります。
 すでに述べてきたように、本果妙の仏つまりインドの釈尊は四教八教にわたって法を説きました。つまり、妙法を直ちに説くことができず、これを間接的に示すために、四教八教、迹本二門として説かざるを得なかったのです。
 これらの法門は、妙法という宇宙生命の当体を分かつ故に、妙法の絶対なる働きを部分的に説明する「部分的真理」ではありえても、成仏本因の当体にはなりえないのです。
 それに対して、久遠元初の自受用報身如来の再誕であり本因妙の教主である日蓮大聖人は、久遠本因の妙法を直ちに末法の衆生に与えられた。宇宙生命の当体を直ちに示されたが故に、宇宙大の力用によって凡夫の色心を本源的に変革することが可能なのです。
 末法の衆生にしてみれば、宇宙生命の直体である御本尊を信受し妙法を唱えることにより、即身成仏が可能にあったのであります。
 言い換えれば、余行に分かたぬ妙法を日蓮大聖人が弘通された仏法は、余行に分かたぬ妙法であるからこそ、この大聖人の仏法のみが直達正観の仏法と呼びうる力を得たのであります。
 さて、末法に出現された日蓮大聖人は、妙法を弘通する立場では、上行菩薩の再誕という姿をとられました。これ、大聖人の外用のお姿であります。
 しかし、いうまでもなく大聖人の本地は久遠の本仏です。その偉大なる生命には、本因妙の妙法である南無妙法蓮華経が脈動していた。これ、大聖人の内証の悟りにほかなりません。したがって大聖人の生命に脈打つ妙法を「本」とすれば、上行菩薩の再誕としての外用のお姿は「迹」になります。
 このような理由から、現文には妙法が本、唱うる日蓮が迹と記されているのです。
2  生命内在の仏性を礼拝した不軽
 次に、本文の後半には「手本には不軽菩薩の二十四字是なり、又其の行儀是なり云云」と述べられている。
 周知のごとく、法華経の常不軽品には、威音王仏の像法の末に、不軽菩薩が二十四字の法華経を唱え、但行礼拝の行をなし、上慢の四衆は悪口罵詈・杖木瓦石の難を受けたと記されております。
 現文にある「不軽菩薩の二十四字是なり」とは、不軽が「我深く汝等を敬う」等の二十四字を唱えたことを指します。また「其の行儀是なり」とは但行礼拝の行相を意味することでありましょう。
 この二十四字の法華経並びに但行礼拝の行いついて「御義口伝」には次のように明言されております。
 まず二十四文字の法華経については「此の廿四字と妙法の五字は替われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり」(第五我深敬汝等不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏の事)と述べられています。
 法華経には広略要の三種がある。広説の法華経とは一部八巻二十八品の法華経であり、略説の法華経とは方便・寿量等であり、要説の法華経とは五字七字の南無妙法蓮華経になります。二十四文字の法華経にも略法華経であるといわれているわけですが、不軽菩薩が唱えた二十四文字のあらわす究極の意は、まさしく南無妙法蓮華経にほかならなかったのであります。
 また但行礼拝については「御義口伝に云く礼拝とは合掌なり合掌とは法華経なり此れ即ち一念三千なり、故に不専ふせん読誦経典どくじゅきょうてん但行礼拝たんぎょうらいはいと云うなり」(第六但行礼拝の事)とあります。
 ここで明らかなように、礼拝とは合掌である。事の一念三千の御本尊に合掌するとき、我が身がそのまま事の一念三千の合掌の姿となるのです。
 故に、不軽菩薩の但行礼拝の行義は所詮、大聖人の仏法において妙法の当体たる御本尊に合掌することをあらわしていたのであります。
 だが不軽菩薩の事実のうえに一念三千の当体をあらわすことができず、ただ、一切衆生の生命に脈打っている仏性を礼拝せざるをえなかったのです。
 それにしても、衆生の生命に内在する妙法の当体に合掌することが、不軽の修行であり、但行礼拝の意味だったのであります。
 このような不軽菩薩の修行において本と迹を論ずれば、不軽が二十四文字の法華経を唱え但行礼拝をなす行儀の姿は迹でありましょう。しかし不軽の口唱する二十四文字の究極の意、元意であり、同時に不軽が礼拝したところの、一切衆生の生命の内奥に実在する南無妙法蓮華経それ自体は体の本となるのでありあす。
3  心底を揺さぶった実践を手本に
 ところで「百六箇抄」の現文では、大聖人の妙法弘通の文と不軽の修行を示す文のあいだに「手本には」記されております。
 すなわち大聖人の本因の妙法を弘通するにあたって、不軽の修行を「手本」にすべきであるとの仰せと拝せる。「手本には」とは、そこから学ぶべきであるとの意味であります。不軽の言動をそのまま末法の実践として取り入れるとうことではありません。
 ちなみに不軽菩薩は、迹仏である釈尊の過去因位の修行の姿にすぎません。故に、不軽が事実のうえに妙法の当体をあらわすことができず、ただ理として衆生に内在すする仏性を礼拝せざるをえなかったことは、今述べたとおりであります。
 日蓮大聖人とは仏としての力も資格も全く違っております。それにもかかわらず、不軽の修行から何を学び取れと仰せなのでしょうか。
 それは一言にしていえば、不軽菩薩が、種々の迫害にもかかわらず、上慢の衆生の生命に内在する仏性、妙法蓮華経に直接的に肉薄しようとした事実であります。
 常不軽という名前自体が、一切の衆生の生命は三世常住の妙法の珠を包んだ尊極なる当体であり、決して軽んずべきではない、という内容をはらんでおります。
 不軽菩薩は、その名前のとおり、但行礼拝をなしつつ人々の生命に内在する仏性に肉薄し、相手の心を奥底から揺さぶり続けたのであります。
 たとえ仏法を求めない衆生の心底の元品の無明を激発させることがあっても、またそれ故に迫害を被ることがあっても、衆生の仏性を開発し、妙法による生命変革を成し遂げさせずにはおかないという不退の決意が、不軽菩薩の実践に脈々と流れていたと思うのです。まさしく折伏という仏法弘通の方軌にほかなりません。
 日蓮大聖人の本因の妙法を弘通する方軌も、勧持品に説かれるように、折伏の行相を根本としております。ここに日蓮大聖人と不軽の姿は全く一致するのであります。
 故に「手本には」とは、本因の妙法の弘通において衆生の仏性そのものに直接的に肉薄し、その生命を根底から揺さぶった不軽菩薩の修行の在り方に学ぶべきであるとの意味と拝せましょう。
 いうまでもなく大聖人の仏法においては、事の一念三千の直体である御本尊の受持により、我が生命の内奥から妙法の血潮を顕現させることができます。また誰人であれ、御本尊の受持により直達正観が可能なのであります。
 大聖人の仏法は本因の妙法を直ちに行ずる大仏法であるからこそ、なおさらのこと、一切衆生の生命の底に脈打つ仏性に迫り、尊極たる当体を輝かせる折伏行を実践の根本にすべきなのであります。
 いかなる人とえども、妙法の珠をいただいた生命である。たとえ煩悩・無明の埃におおわれていても、その埃をぬぐいされば、まばゆいばかりの光明を放つ当体へと変革しうるはずです。
 衆生の心に堆積した無明の障壁を突き抜けて、その底流に脈動する妙法の当体に肉薄するには、それこそ不屈の決意と、血と汗の戦いが要請されるでありましょう。一人の人間の心底を電撃的に揺さぶる行為は、決して簡単なことではありません。不撓不屈の不軽の実践を手本とするとは、まさしくこの大実践をいうのであります。

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