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日蓮大聖人・池田大作

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勝利の一年を共々に(下) 世界に「人間革命」の希望の光を

2009.1.7 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

前後
1  この一月二日、おかげさまで、私は元気に八十一歳の誕生日を迎えた。
 日本中、世界中からお祝いのメッセージを頂戴している。学会本部にも、多くの方々がお越しくださった。ただただ、心から深謝するものである。
 フランスの著名な作家アンドレ・モロワは、八十一歳となった一九六六年、一冊の新著を発刊した。タイトルは『初めに行動があった』である。
 八十歳を越えて、"行動のなかにこそ幸福がある"と、高らかに宣言したのだ。
 このモロワが、声を大にして訴えた一点もまた、「人間革命」であった。
 「最も深い革命は精神的なものである。精神的革命は人間を変革し、こんどはその人間が世界を変革する」
 しかも、彼は、"一人の人間革命"が真の出発点だと洞察した。
 「ただ一人の人間も、──それが英雄であれ聖者であれ、──大衆に一つの手本を提供することができるし、その手本の模倣は地球をもくつがえすであろう」(『初めに行動があった』大塚幸男訳、岩波書店)
 二十一世紀を「人間革命の世紀」に!──人類は今再び、この根本軌道に立ち返っていかねばならない。これは、世界の心ある学識者の一致した洞察である。そして、その方々が異口同音に、創価の「人間革命運動」に絶対の信頼を寄せてくださっている。
 「今、世界の人びとに『自身の人間革命』を促し、励ましを送り続けているのは、創価の師弟です」とは、デンバー大学のナンダ副学長の期待である。
2  「第一歩を踏み出せば、"困難"を一つ一つ克服することなど、ずっとたやすいことです」(『家族への手紙─謝冰心の文革』萩脩二・牧野格子訳、関西大学出版部)
 私と妻が忘れ得ぬ交友を結ばせていただいた中国文学の母が、謝冰心しゃひょうしん先生である。謝先生は、苦難に満ちたある年の一月、こう力強く手紙に書かれたのである。
 「青年・勝利の年」私たちは若々しく、勇気凛々たる行動の一歩また一歩を踏み出していきたい。
 金色に輝く「勝利」の二文字をめざして、我らは前へ、さらに前へと邁進していくのだ。
 それは、私が第三代会長に就任した翌年であった。一九六一年(昭和三十六年)の十一月五日、戸田先生との師弟の誓いを果たさんと、東京・国立競技場に、若き精鋭十万が大結集した男子部総会の時のことだ。
 ふだん、国立競技場には、広大なフィールドを見つめるように巨大な電光掲示板が立っている。だが、この日の総会では、電光掲示板を覆うかたちで、「勝利」という文字が墨痕鮮やかに踊っていたのだ。
 縦六メートル、横十八メートル──およそ畳七十校分である。桁外れに大きい文字が躍動していた。「勝利」──勇んで参加した十万人の青年の目に、その二文字が焼き付いた。
 皆が心の中で、「そうだ、俺たちは勝った!」と勝鬨をあげた。そして「これからも勝ちまくってみせるぞ!」と快哉を叫んだ。
 私も、わが弟子たちと共に、胸のすく感動をもって仰ぎ見たものである。
 実は、この設営も、陰には人知れぬ労苦があった。
 当初、競技場側の担当者からは、「勝利」の文字の設置をはじめ、男子部が希望する設営を、頑として拒否されていたのだ。
3  あれも駄目、これも駄目──けんもほろろの対応であった。あの人が動かない限り、どうしようもないと、厚い壁に突き当たったその時、一人の男子部が燃えた。
 "これは、戸田先生が、池田先生に託された、師弟の勝利の象徴となるものではないか。俺は絶対にあきらめないぞ! ここが外交戦の勝負だ。正念場だ。断じて実現させてみせる!"
 何度でも、ぶつかった。一対一、男と男が、腹を割って話し込んだ。やがて、ついに競技場側の担当者の心が動いた。青年の熱意と誠実が、固い扉を聞かせたのである。
 そして五十人もの青年たちが、雨に打たれながらも、懸命の突真作業で、「勝利」の文字を設営してくれたのだ。
 この不屈の魂は、今も、各種の設営担当の方々に、厳然と受け継がれている。
 あの日、あの時──"十万結集"という師弟の夢の実現へ、一心不乱に戦い、集った全同志は見た。快晴の空に浮かぶ、あの「勝利」の大文字を!
 ともあれ、広宣流布は戦いだ。仏と魔の熾烈な攻防戦だ。遊び半分では、絶対に勝てるわけがない。
 だからこそ、勝つために信念を貫くのだ。勝つために智慧を絞るのである。そして、勝つために死力を尽くすのだ。
 特に、人間外交の哲学を、戸田先生は教えてくださった。
 「心の世界は、いくらでも変化することを忘れるな!
 礼儀正しく、誠実に、心から粘り強さをもって接していくことが大切だ」

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