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日蓮大聖人・池田大作

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「大三国志展」を見て(下) 若き英雄たちよ 歴史の大舞台へ!

2008.7.7 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

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1   日中の
    友好永遠
      万万歳
 「大三国志展」は、一昨年(二〇〇六年)、日中友好の新たな未来を開くため、私が王毅おうき・駐日中国大使(当時)と対話を重ねるなかで、具体化していった展覧会である。
 当時、両国の間に不協和音が高まっていた時だけに、私は希望の一石を投じておきたかった。
 ことに「三国志」の世界を歴史と文学と美術を包括して伝える展示は、これまで中国でも例がなかったようだ。
 このたび、出展してくださった博物館・美術館は、中国側で三十数館、日本側も二十館に上る。まさに、「三国志」の世界を愛し、平和友好を願う両国の心と心が結び合って実現をみたのである。
 東京富士美術館の創立者として、感謝に堪えない。
 連日、多くの方が鑑賞され、二十四万人を突破したと伺った。学術界、教育界、政財界、言論界など、各界の名士の方々も、深い共鳴と感銘を語ってくださっている。
 また、東京に続き、北海道(旭川)、関西(神戸)、九州(福岡)、四国(高松)、中部(名古屋)、関東(前橋)で巡回展が行われる。各地の期待も大きく、ありがたい限りである。
 今回、中国側からは、実に五十三点もの国家一級文物が海を越えて到来した。国家文物局、中国文物交流センターのご尽力によるものだ。
 過日の大地震で被災された四川省の博物館などからも、出品をいただいた。
 「日本で展示されているので、貴重な文化の遺産が護られました」との声も寄せてくださり、恐縮の至りである。
 改めてお見舞いを申し上げるとともに、不屈の復興を懸命に祈っている。
 なお、現在、「中国遼寧歌舞団」の民音公演も、全国各地で華麗なる美の舞台が繰り広げられており、感動の報告が多数届いていることを付言しておきたい。
2  展示では、「赤壁の戦い」の古戦場で発掘された「やじり」や、同時代の「刀剣」なども見ることができた。
 「赤壁の戦い」は、西暦二〇八年、攻めてきた曹操軍を、劉備と孫権の連合軍が、水軍戦などで圧倒的に打ち破った名高い合戦である。
 小説の『三国志演義』では、劉備に仕える諸葛孔明の超人的な知謀が描かれている。
 それはそれとして、この時の孔明の最大の功績は、劉備と孫権の同盟を実現した外交戦にある──慧眼の歴史家たちは、こう指摘している。
 この「赤壁の戦い」の直前、劉備は、曹操軍に追い詰められていた。そこで、孫権との同盟に活路を求め、孔明が交渉の使者に立ったのである。
 客観的に見れば、この時の劉備は敗軍の将であり、孫権の支援を仰ぐ状況であった。
 しかし、孔明には、孫権の下に劉備を置くような卑屈さは全くなかった。王者と王者の対等の立場、いな、それ以上の誇りをもって交渉をリードした。
 そして「勝負の分かれ目は、今日にかかっている」と力説し、遂に劉備と孫権の同盟を成功に導いたのである。
 それは、ただ雄弁や智略の成果ではない。自己の信ずるところを誠実に生き、大義のために劉備と共に戦う誇りこそが、孔明の堂々たる外交を貫いていたといえまいか。
 「誠実に勝る外交なし」だ。
3   君たちの
    世紀の舞台は
      来たりけり
    厳と指揮執れ
      勝利勝利と
 戸田先生は、外交を単なる「策」と勘違いして、狡賢く立ち回る人間には厳しかった。
 「青年らしく堂々と、誠実にぶつかれ! 法を下げてはならない」と。
 日蓮大聖人は「いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」と仰せである。
 戸田先生の事業が危機に陥った時、私は毎日、誠意を尽くして顧客を回り、頭を下げた。それでも怒鳴られ、嫌みや文句を言われた。
 だが、師に対する悪口中傷は、毅然と打ち返した。
 「戸田先生は、私の偉大な師匠です! あなたが言われるような方では、断じてありません!」
 そして、師の真実を厳然と語り抜いた。幾人もの人が誤解を解き、納得してくれた。
 「真剣な君の姿で戸田先生の偉さがわかったよ」
 誠実一路、師のために戦い切った弟子の胸は、常に晴れやかであった。
 ともあれ、二十八歳の孔明の水際立った名外交は、「赤壁の戦い」を大勝に導き、「天下三分の計」の実現への突破口となった。
 青春の力は無尽蔵である。
 一九五六年(昭和三十一年)、あの「大阪の戦い」で″まさか″を実現し、師匠の大理想の道を開いた時、私も二十八歳であった。

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