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日蓮大聖人・池田大作

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わが師の思い出の歌 ──"五丈原"と"… 共に歌え 共に舞え 師弟の曲

2008.5.18 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

前後
1   勝ち誇る
    人生築かむ
      今日もまた
    自由だ希望だ
      勝利の歌あれ
 私の大師匠である戸田城聖先生は、二つの歌が好きであられた。
 先生の前では、さまざまな折に、さまざまな人が、さまざまな歌を歌った。
 先生は、皆の心を大切にされ、領きながら歌を聴かれていたが、重ねて望まれる歌は稀であった。先生が格別に愛されて、幾たびも幾たびも、青年たちに歌わされたのは、"大楠公"と"五丈原"の歌である。どちらも、先生に最初にお聴かせしたのは、私であった。
2   大桶公
    父子の正義の
      魂か
    勝利の歴史を
      馬上豊かに
 先生は「少年たちが歌ってきた歌かもしれないが」と微笑まれながら、"大楠公"の歌を、よく所望なされた。
  青葉茂れる桜井の
  里のわたりの夕まぐれ……(落合直文作詞)
 南北朝時代の関西の名将・楠木正成と、その後継の子・正行の父子の劇である。父は、大義を掲げ、死を覚悟して、足利尊氏との決戦に臨む。その死出の旅に御供を願い出た、わが子・正行に、父は故郷に帰れと諭す。
 なおも供を願い続ける息子に、父は、早く生い立て!断じて生き抜け! そして父に代わって大業を果たせ!と厳命するのである。
 父の心も、子の心も、生死を超えて、深く強く一つに結ばれていった。
 「父子同道」──父と子が、同じ使命の道を、不二の心で戦い進みゆくことは、人生の究極の劇といってよい。
3   大楠公
    我が弟子嬉しや
      正行が
    後を継ぎゆく
      広布の舞台よ
 戸田先生が発願され、わが創価学会が全力を注いだ「御書全集」は、一九五二年(昭和二十七年)の春に完成した。その祝賀の集いで、先生と二人して、この"大桶公"の歌を舞ったことも、忘れ得ぬ思い出である。
 御年五十二歳の先生は、父・正成であられた。
 齢二十四歳の私は、子の正行であった。
 先生が、流麗に舞われる。
  正成涙を打ち払い
  我子正行呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん
  彼方の浦にて討死せん
  いましはここ迄来れども
  とくとく帰れ故郷へ
 続いて、先生の舞に、私がお応えする。
  父上いかにのたもうも
  見捨てまつりてわれ一人
  いかで帰らん帰られん
  此正行は年こそは
  未だ若けれ諸共に
  御供仕えん死出の旅
 師弟は一体となり、不二の舞を織り成していった。
 この年の五月三日、私と妻の質素な結婚式の折にも、先生は、この"大桶公"の歌の合唱を求められ、じっと聴き入っておられた。

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