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日蓮大聖人・池田大作

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勇敢なる わが同志に感謝 共に「広布の最高峰」を登りゆこう

2007.12.29 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

前後
1   我が人生
    価値ある山を
      共々に
    断じて登らむ
      哲学持ちて
 「なぜ山に登るのか」
 「そこに山があるからだ」
 ──世界最高峰のエベレストに挑みゆく、英国の大登山家マロリーの熱き心が凝結して生まれた言葉である。
 一九八一年(昭和五十六年)の師走に、九州・大分の天地で、私が一気呵成に詠み綴った詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」も、この名言から始めた。
 あれから二十六年──。
 私たちは、「そこにある」難関の山また山を登ってきた。一つ越えれば、すぐ次の山へ、ありとあらゆる「青春の山」「人生の山」「広布の山」に挑んできたのだ。
 あの長編詩が発表された、大分県青年部幹部会に参如していた「大分二十一世紀会」の戦友たちから、今年も、スクラム固く使命の山を登攀しゆく、嬉しい近況が届いた。
 ともあれ本年も、師弟共戦と異体同心の勇敢なる前進また前進で、学会は勝利の山を登り切った。
 愛する青年部の諸君に、そして尊き同志の皆様方に、私は心からの感謝を捧げたい。
2  登山家のマロリーが、世界で最初にエベレスト登頂をめざしたのは、一九二〇年代のことであった。
 実は、彼はパブリックスクール時代、トインビー博士の先輩であった。前人未到の大目的に向かい、敢えて苦難に挑みゆかんとする雄々しき魂は、トインビー博士とも響き合っていた。
 マロリーは三度、標高約八千八百五十メートルのエベレストに挑んだ。そして最後の挑戦の時、同行者と消息を絶つ(一九二四年)。
 彼の遺体が発見されたのは七十五年後であった。
 それは、高度約八千二百メートルの地点で、頭を山頂に向け、両腕で山肌をつかむような姿勢であったという。
 死してなお、最高峰の頂をめざしてやまぬ、壮絶な執念を感じるのは私一人ではあるまい。
 その不屈の一念は、一九五三年にエベレスト初登頂を成し遂げたヒラリー氏など、後に続く登山家たちに強く深く受け継がれていった。
 マロリーは、自らの信条をこう語り残している。
 「道が困難であればあるほど、また危険が多ければ多いほど、勝利も大きい」(デイヴィド・ロバートスン『ジョージ・マロリー』夏川道子訳、山洋社)と。
3  蓮祖大聖人は、仰せになられた。
 「悦ばしいかな経文に任せて五五百歳・広宣流布をまつ
 この御本仏の御心のままに、一閻浮提への広宣流布の「時」を創ったのは、いったい誰か。
 創価の師弟である。
 わが師・戸田城聖先生は、第二代会長に就任して間もなく、千載一遇の広宣流布の時が来たことを、高らかに宣言された。
 「不自惜身命の大願をたてて、ここに大折伏を強行するの一大確信に立ち、生きたよろこびを感じて、成仏の道を直行するは、なんたる幸福であろうか」
 今再び、この満々たる喜びをもって、創価の「本門の時代」という、壮大なる「広布第二幕」を開きゆくのだ。
 法華経の前半の十四品を「迹門」、後半の十四品を「本門」という。
 この本門に至って、大地を破って地涌の菩薩が躍り出る。そこで初めて、釈尊の偉大な境涯が明かされる。
 それは「永遠に戦い続ける仏」という本地である。
 そして、その師に応えて、久遠の直弟子・地涌の菩薩が、末法永遠にわたる広宣流布を誓うのだ。
 師と弟子が「永遠に戦い続ける生命」を光り輝かせているのか否か、ここに、法華経の本門と迹門の決定的な違いがある。
 この意義を踏まえて、「永遠の師弟共戦」を誓った弟子が総立ちし、勝利を打ち立てていく時代を、創価の「本門の時代」と呼ぶのである。

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