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日蓮大聖人・池田大作

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今こそ生命の極理を学び抜け(下) 「御書根本」で人生に勝て!

2007.10.20 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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1   三類の
    強敵出でなむ
      御聖訓
    正しき修行に
      我等は佛と
 日蓮大聖人が、命にも及ぶ大難のなかで認められた御書を拝し行じゆくことが、いかに素晴らしいことか。
 それは、何ものをも恐れず、何ものにも負けぬ、御本仏と一体の「師子王の心」を、わが生命に奮い起こすことだ。
 「佐渡御書」に仰せである。
 「強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし
 この御書の一文一句を拝すれば、戦い抜く勇気があふれてくる。生命の最強の力が満ちてくる。
 正法を行ずる正義の人に、なぜ、悪口罵詈が浴びせられ、権力等からの大難が競い起こるのか。
 その理由も、迫害の構図も、御書には明らかである。
 例えば「弥源太殿御返事」には、わかりやすく譬喩を引かれて、こう示されている。
 「石は玉をふくむ故にくだかれ・鹿は皮肉の故に・殺され・魚はあぢはひある故に・とらる・すいは羽ある故にやぶらる・女人は・みめかたちよければ必ずねたまる・此の意なるべきか
 「日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへりしかるにかかる者の弟子檀那とならせ給う事不思議なり
 弾圧の根底には、あまりにも偉大な正義の存在に対する嫉妬が渦巻いているのだ。
 さらに「最蓮房御返事」にも、正義が世に出るのを妨げる魔の働きを、こう喝破なされている。
 「第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして・王臣を始として良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり
 御書という「明鏡」に照らして、あらゆる事象を鋭く見通して、信心の確信を深め、真の人間的な成長に結びつけていく力こそ、行学の実践であり、体験なのだ。
 御書を色読した人は、人格が囲まる。幸福が固まる。金剛不壊の生命となる。
 ともあれ、日本の「憲政の父」尾崎咢堂がくどうは叫んだ。
 「思想が進歩すれば云う迄もなくその国は隆運に向い、又思想が退歩すれば即ち滅亡に傾く」(『尾崎咢堂全集』6、公論社)
 だからこそ、「立正安国」が必要なのだ。
 その実質は、仏法を持った人間で決まる。この仏法の大哲学を、自らの人生観として確立した大人材が、日本中、世界中に躍り出ることが、広宣流布なのだ。
2   大願に
    生き抜く勝利の
      女人かな
    御書に光らむ
      三世の功徳を
 「偉大なる思想は、つねに生ける生命の流れ出る源泉です」(『未成年』米川正夫訳、『ドストエフスキイ全集』11所収、河出出版書房)とは、ロシアの大作家ドストエフスキーの洞察だ。
 先日、山梨県の同志と懇談した折のことである。
 語らいの最後に、女子部の代表が、清々しい声で決意を語ってくれた。
 「山梨女子部は御書が大好きです!」
 「日本一の『教学の山梨』を築いてまいります!」
 私も妻も、本当に嬉しかった。戸田先生が指導されていた通りの女子部の英姿である。
 「女子部は全員が幸福に」
 この戸田先生の激励と表裏一体の指針こそ、「女子部は教学で立て」であったのである。教学は、幸福を広げる力であり、光線であるからだ。
 一人の乙女が教学で立てば、暗夜に光る灯台の如く、家族も友人も、地域も職場も、明るい希望で照らしていくことができるからである。
 私は語った。
 「御書を拝せば、聡明になる。心が美しくなる。立派な一家になる。
 題目をあげれば、福運も、智慧も、ちりばめた星の煌めくように、自身の生命に輝き広がる。その人の人生は、最後は必ず勝利する」と。
 大聖人は、真剣に仏法を求め、学び、そして行じている女性の弟子、日女御前に対して、こう綴り残しておられた。
 ──法華経の宝塔品の会座には、多宝如来も、釈迦如来も、十方の諸仏も、一切の菩薩も集まっておられた。
 この宝塔品の世界は、只今、いずこにあられるのか。
 「日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」──と。
 おとぎの国のような、仏法の荘厳な世界は、どこか遠くにあるのではない。
 それは、行学に励む女性の胸中にこそ、明るく賢く光り輝いている。そして縁する人びとをも、包み込んでいけるのだ。
 今、婦人部の皆様方の「平和の文化フォーラム」も、地域社会に爽やかな共感を広げておられる。
 「豊かな思想をもっている者は、それを口に出して語る必要がある」(「演劇について」波多野茂弥・三木原浩・玄善允訳『ロマン・ロラン全集』19所収、みすず書房)
 このロマン・ロランの言葉を体現した、幸福と平和の大哲学者こそ、わが高貴なる婦人部、女子部の皆様である。
3   異体をば
    同心せよとの
      御聖訓
    背かず励めや
      功徳の城にて
 二祖・日興上人の遺誡置文には、「五人の立義一一に先師の御弘通に違する事」と書き留められている。
 五老僧の邪義は、一つ一つ、大聖人の御心に背くことを峻厳に宣言なされているのだ。
 この道誠置文を記されたのは、元弘三年(一三三三年)、蓮祖の御入滅から五十一年後のことであったとされる。
 師弟違背の五老僧への破折の大闘争──それは、実に半世紀を超えて、烈々と貫き通されたのである。
 師匠が残された正法正義を、一点の狂いもなく、万年へ令法久住していけるか、どうか。それは、ひとえに、後継の弟子の「破邪顕正」の執念の戦いにかかっていることを、知らねばならない。
 ここにこそ、「師弟不二の教学」の魂がある。
 大聖人が庶民の門下のために、わかりやすく「かな文字」で記された御書を、驕慢の五老僧は蔑視し、焼き捨てさえした。
 その御書を、宝の中の至宝として、最大に大切になされ、心血を注いで残されたのが、日興上人であられる。
 日興上人は、この「かな文字」の御書が、世界で翻訳される時代が来ることを予見しておられた。
 そして、それは、わが創価学会によって、現実となった。
 今、世界中で、創価の友が、御書を真摯に学び合っておられる。
 今年一年だけでも、海外での教学試験は、四十の国々と地域で行われる。受験する求道の同志は、十三万五千人を突破する予定である。
 大聖人の仰せのままに戦ってきた、創価の師弟の教学は、断固として勝ったのだ。
 「結局、洪大な思想は偏狭な思想よりも永く生き残るであろう。また正義は不正よりも永く生き残るであろう」(森島恒雄訳、岩波書店)
 私が青春時代に繙いた、ベルギー出身の科学史家サートンの『科学史と新ヒューマニズム』の忘れ得ぬ一節である。

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