Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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尊き広布の天使 希望の母は「心」の勝利者

2007.6.25 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

前後
1  ある著名な哲学者が断言していた。
 「『母』という言葉を聞いただけで、平和である。平穏である。心が温かくなる。
 『母』という言葉を語れば、まったく戦争という二字が消え去る」と。
 青春時代に知った、この深き万感の叫びが、私の脳裏から離れない。
 ロシアの文豪コロレンコは言った。
 「烏が飛翔のために創られているように、人は幸福のために創られている」(『パラドックス』斎藤徹訳、『コロレンコ短編集』所収、文芸社)
 味わい深い言葉である。
 そもそも、鳥が飛翔できるのも、そして、人間が幸福になれるのも、誰のおかげか。
 すべて母のおかげである。
 ゆえに、母たちが誰よりも幸福と平和の笑顔に輝く時代を築いていかねばならない。
2   晴れやかに
    勝ちに勝ちたり
      広布かな
    婦人部 万歳
      スクラム 万歳
 草創より、来る日も来る日も、真剣に広宣流布のため、先頭を切って歴史を創ってくださった偉大な婦人部の方々のことを、私も妻も絶対に忘れない。
 その仏の振る舞いがあればこそ、今日の創価学会の土台が盤石にできあがったからだ。
3  「私には、"日本のお母さん"がいるんです。それは創価学会の婦人部の方です」
 フランスの著名な大ジャーナリストである、ロベール・ギラン氏の思いがけない言葉に、私は身を乗り出した。
 一九七四年(昭和四十九年)の師走に、お会いした折のことである。
 ギラン氏は、戦中戦後の延べ二十年近く、「アバス通信(後にAFP)」や「ル・モンド」紙の敏腕記者として日本に駐在された。
 そのギラン氏が慕う"日本の母"とは、金森クニさんという、氏の家で働いていた女性であった。親愛を込めて、「おクニさん」と呼んでおられた。
 戦時中、日本と対立する連合国のフランスの特派員であったゆえに、ギラン氏は絶えず当局から尾行された。事務所も捜索を受けた。
 同じ時代に、牧口・戸田両先生も、あの悪名高き特高警察から苦しめ抜かれている。
 「おクニさんは、外国人に対する軍部の弾圧のなかで、いつも私を温かく支えてくれたのです。まるで息子に対する母親のようでした」
 ギラン氏は、本当に懐かしそつな顔をされた。
 おクニさんは、憲兵が秘密情報を探ろうと執拗に家に押しかけても、毅然とギラン氏を守り切ったのである。
 「私は無学です。でも、よその国の人を戦争に巻き込んでは絶対にいけないと、誠心誠意、頑張っただけです」
 おクニさんは、こう述懐されていたそうだ。
 母の慈愛の心、女性の正義の心に、国境などない。
 終戦後、フランスに帰国してからも、ギラン氏は"日本の母"の恩を忘れなかった。
 昭和三十年代半ば、再度、日本に駐在した時も、おクニさんはギラン氏の家で働かれている。ちょうどそのころ、おクニさんは学会に入会していたのである。
 さらに、昭和四十四年に三度の日本駐在となってからも、ギラン氏は家族で、三鷹のおクニさんの家を訪ね、心から感謝を伝えられている。
 「おクニさんの純粋な信仰の姿を通して、私は池田会長を知りました。そして、創価学会の真実を理解するようになったのです」──そうギラン氏は、私に打ち明けてくださった。
 ああ、こういうお母さん方こそが、創価学会の大使として、信頼を広げてくださっているのだ! 私は感動した。
 ──ギラン氏との語らいの直後の本部幹部会に、私はおクニさんと娘さん、そして地域の同志の方を招待した。
 「お母さんのことは、一生涯、忘れませんよ」と握手を交わすと、おクニさんは美しい涙を流して喜ばれていた。
 「私は幸せです」
 あの所願満足の神々しき笑顔は、今も私の胸から消えることはない。
 日本中、世界中、「おクニさん」のように、尊き婦人部の方々が、喝采のない人知れぬ舞台で、私と心を一つに、学会を厳然と護り、広宣流布を推進してくださっているのだ。
 たとえお会いできなくとも、私と妻は、そのお母さま方に届けと、題目を送りゆく
 日々である。

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