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日蓮大聖人・池田大作

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旭日の男子部・結成55周年を祝す 未来に輝く君よ勇敢に勝ち進め!

2006.7.11 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  大河小説『永遠の都』で、革命児ロッシィは叫んだ。
 「勇敢であれ。自信を持て。忍耐強くあれ」(ホール・ケイン『永遠の都』中、新庄哲夫訳、潮出版社)
 わが広宣流布の革命児たちも、勇敢に自信満々と、そして忍耐強く、戦い進んでいる。
 男子部・結成五十五周年のこの時、猛然と、創価の若き丈夫が邁進する足音に、日々、私の胸は熱く高鳴ってきた。
2  「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」――「撰時抄」の冒頭の一節である。
 今、どういう時か。今、いかなる戦いを起こす時か。
 私は、万年の広宣流布のために、学会精神を永遠ならしめる「時」は、今しかないと定めている。
 古今の歴史を振り返っても、″あの時が決定的だった″という重大な時が必ずあるものだ。
 第二次世界大戦の初期、ナチスの侵攻によって、英国は苦しめ抜かれた。
 一九四〇年の五月に首相となったチャーチルは、その一カ月後の演説をこう結んだ。
 「しからば我々は、心して為すべきことを為し、もしも英帝国並びに英連邦が千年先まで続くならば、その時代の人びとからも、『この時こそが、彼らの最も栄光輝く時であった』と讃えられるように振る舞おうではないか」(The Churuchill War Papers, col2: Never Surrender, May 1940-December 1940,Compiled by Martin Gilbert, W.W.Norton)
 最も苦しい時に放たれた、この獅子吼に、人びとの不屈の魂は、炎と燃え上がった。
 それから五年――。英国の民衆は、幾多の悪戦苦闘を乗り越え、傲れる独裁者ヒトラーを打ち倒した。大逆転の勝利を勝ち取ったのだ。
 まさに、世界史上、不滅の五年間となったのである。
3  わが青春の「最も栄光輝く時」は、一体、いつか。それは、戸田先生の事業が破綻し、学会存亡の危機にさらされたなか、一心不乱に戦い抜いた日々であった。
 当時、先生にお世話になりながら、ひとたび事業が窮地に陥るや、罵声を浴びせて去っていった先輩も多くいた。
 先生の恩を忘れたのか! 一体、広宣流布の決意はどこにいったのか!
 先生をお護りすることが、学会を護り、広宣流布の尊き命脈を守ることではないか!
 御聖訓には、仰せである。
 「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず
 ″まことの時″にこそ、臆することなく、師子奮迅の力で戦い抜くことだ。
 それが、永遠の誉れの歴史と輝くのだ。
 「逆境に対しては、勇気は大いなる力を発揮する」(『ベレロポンテース』安村典子訳、『ギリシャ悲劇全集』12所収、岩波書店)と、古代ギリシャの詩人エウリピデスも語っている。
 五十五年前の厳寒の一月七日、私は日記に綴った。
 「未来、生涯、いかなる苦難が打ち続くとも、此の師に学んだ栄誉を、私は最高、最大の、幸福とする」(『若き日の日記』上、本全集第36巻収録)
 戸田先生が死さえ思い詰めたほどの最大の試練にあって、私は阿修羅の如く戦い、先生を厳護した。
 そして、一切の難局を打開して、晴れわたる五月三日(一九五一年)の、戸田先生の第二代会長就任を迎えたのである。
 その日、戸田先生は、七十五万世帯の大折伏を誓願なされた。わが師は、「これは創価学会の″発迹顕本″である」と、心に定めておられた。
 学会は、いよいよ本格的に仏意仏勅の広宣流布を遂行する大信念を現したのである。
 偉大な師匠が一人、久遠元初の使命に立ち上がった。崇高なる広宣流布という決意の旗を高らかに持った叫びである。
 真の弟子ならば、どうして奮起せずにいられようか!
 生き生きと走り抜いている我ら青年門下にも、″発迹顕本″の時が来ていた。
 その永遠に忘れることのできぬ大決意の出発こそ、男子部結成という儀式であった。
 先生の会長就任から二カ月後のことである。
 一九五一年(昭和二十六年)の七月十一日、水曜日の夜であった。
 西神田の小さく簡素な学会本部には、師匠・戸田先生のもと、百八十余人の学会健児が馳せ参じた。皆、貧しき身なりであった。しかし心は、いかなる富豪よりも、いかなる帝王よりも、誇り高き魂をもっていた。
 意気軒昂な若々しき決意発表に続いて、最後に戸田先生が指導に立たれた。
 それは、皆の全く予想もしない第一声であった。
 「きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや、次の創価学会会長が現れるであろう」
 そして、その方に最敬礼申し上げたいと、深々と、頭を下げられたのであった。
 峻厳な空気が部屋いっぱいに流れた。あまりにも不思議な音声に、皆の心が天まで上がった。
 その師の声を、私は会場の一角で、若き生命に刻みつけていた。それは、大難を勝ち越えた師と弟子との二人の儀式であったからだ。
 男子部の誕生という意義は、それ自体が、「第二代」から「第三代」への厳粛なる授記の儀式でもあったのである。
 先生は真剣に「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であり、各自に、その尊い地位を自覚してもらいたい」と仰せになった。
 師の心を心として、「広宣流布」を断固として完遂することが、使命深き男子部一人ひとりの誓願であると、全生命に響きわたった。

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