Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「7月3日」と学会精神 輝く『人間勝利の世紀』は始まった

2006.7.7 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  イギリスの詩人バイロンは叫んだ。
 「世の見栄っぱりを
 容赦はしない」(『ドン・ジュアン』下、小川和夫訳、冨山房)
2  七月の三日――。
 それは、昭和二十年、戸田城聖先生が、獄死なされた牧口常三郎先生の偉大な遺志を継がれて、出獄した記念の日である。
 そして、その十二年後の昭和三十二年、戸田会長の直弟子である私が入獄した日でもある。
 「開目抄」には、仰せである。「国主の王難必ず来るべし
 厳しき御聖訓の通りに、創価学会の初代、二代、三代の会長は、みな王難を受け切ってきた。
 これこそ、日蓮大聖人から、わが学会のみに「立正安国の血脈」、そして「広宣流布の血脈」が、滔々と流れ通っている厳たる正義の刻印といってよいのだ。
3  「人間を不正に投獄する政府のもとでは、正しい人間が住むのにふさわしい場所もまた牢獄である」(『市民の反抗 他五篇』飯田実訳、岩波文庫)と、アメリカ・ルネサンスの哲人ソローは宣言した。
 青春時代に読んだ、私の胸に刺さっている言葉の一つである。
 私が今日まで出会いを結んできた多くの世界の指導者たちは、この″投獄の難″を経ている。
 ローマクラブの創立者のペッチェイ博士もそうであられた。そして、周恩来総理、アメリカの人権の母パークス女史、ロシアの芸術の母サーツ女史、インド独立の闘士バンディ博士、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁も、皆そうであられた。
 さらに、南アフリカの人権の父マンデラ前大統領は、二十七年半・一万日に及ぶ獄中闘争を耐え抜き、出獄されたその年(一九九〇年)に、私ども創価学会を訪問してくださった。
 歴史に誉れ高く、九回にもわたって投獄されたインドのネルー首相は言った。
 「入獄はいろいろな仕方で人々に影響をあたえるものである。あるものは挫折し、弱気になる。他のものは一そうたくましくなり、抱く信念はいよいよ堅固になる」(『インドの発見』下、辻西四郎・飯塚浩二・蠟山芳郎訳、岩波文庫)と。
 あまりにも有名な言葉だ。
 そして、牢獄で強くなった勇敢なる人間こそが、無数の民衆に強く影響を与えていくと結論している。
 現在、私が対談を重ねているアルゼンチンのエスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者)も、獄中での過酷な拷問に屈しなかった。
 その支えは、何であったか。「身体は拘束できても、精神を幽閉することはできない」「自由は、私自身の中にある。民衆の側に立って戦う決意や誓いに脈打つ」という確信であったと断言されている。
 だからこそエスキベル博士は、大聖人の「撰時抄」の一節に心からの共感を示されていた。
 それは、「王の権力が支配する地に生まれたのであるから、身は従えられるようであっても、決して心は従えられない」(御書二八七ページ、通解)との御聖訓の一節であった。
 その精神を体現してきた、創価学会の歴代会長の闘争に、博士は感動し、感謝するとも語ってくださった。
 そして博士は、創価の青年に厳然と打ち込まれた。青年が今、何をしているかで未来は決まる。人権を蹂躙する悪に対しては、迅速に反応し、断固と応戦せよ、と。
 ともあれ、「七月三日」を貫く師弟の歴史を、世界の良識は、正しく、深く、見つめているのだ。

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