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日蓮大聖人・池田大作

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尊き婦人部の皆様に贈る 母を幸福に! それが平和の大道

2006.6.10 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  私の偉大なる師である戸田先生が、ある時、私の母の近況を尋ねてくださった。
 元気な私の母の様子をご報告申し上げると、先生は、慈愛あふれる声で仰せになられた。
 「母の笑顔は、一生涯、心から消えない。僕も、そうである。
 君もまた、同じだろう」
2  世界を本当に明るくするものは、いったい何か。
 ある人が、「それは太陽でしょう」と答えかけて、あわてて、訂正した。
 「いやいや、間違えた。
 それは、母の笑顔! お母さんの笑顔である!」と。
 たとえ、梅雨空が太陽を覆い隠そうが、吹き荒れる嵐の夜であろうが、わが母の笑顔がある限り、私たちの生き抜く世界は、永遠に明るい。
 何ものにも屈せぬ、あの平凡にして偉大な私の太陽!
 私の全生涯にわたって、わが母の慈愛の心は、決して沈むことはないであろう。
 母の笑顔! あの母の笑顔こそ――
 「和楽」と「平和」と「幸福」への不滅なる一家の太陽であるのだ。
 その母の楽観主義の光は、地域の太陽となり、世界平和の太陽として、昇り輝いている。
 ある哲人が叫んだ。
 「母を大切に!
 母が笑顔でいる日々――
 その一日一日こそが、最良の日であり、最善の日である」
 そしてまた、ある世界的な女性作家は語った。
 ”母は、わが家の太陽です。もし母が陰気になってしまえば、わが家から晴れわたる天気の日は消えてしまいます”(オルコット『続 若草物語』吉田勝江訳、角川文庫、参照)
 私たちは、この健気な母を幸福にする「責任」がある。いな「使命」がある。これが「人生」だ。
 この平凡にして偉大な母を幸福にしていくことこそが、全世界の平和への第一歩なのである。
 戸田先生は、親不孝の青年に向かって、「母の涙を知らないのか!」と烈火の如く叱られた。その姿が、私の脳裏から離れない。
 ある時、親に心配をかけ、不良仲間に堕ちていこうとした青年がいた。
 先生は私に対し、「おまえは先輩なのだから、あの青年をビンタしてこい!」とまで言われた。
 それほど、親不孝に対しては厳しかった。
 「親孝行をできぬ者が、なんで幸福に、なんで偉い人になれるのか!」
 平和とは、遠くにあるのではない。政治の中にのみあるのでもない。
 それは、「母を大切にする」という人間学の真髄の中にこそあるのである。
 教育者も、政治家も、多くの著名人も、母たちへの賞讃を、さらに深く深く訴えてもらいたい。いな、書き残してもらいたい。
3  ともあれ、不滅の正義の大道を進みゆく、わが創価の婦人部の皆様方は、忍耐強く、使命を胸に、晴れ晴れと生き、戦い抜いてこられた。
 そして、ついに結成五十五周年の晴れやかな記念日を迎えられた。
 私たちは、ご恩返しのために、「婦人部の皆様、ありがとう! 一生涯、幸福であっていただきたい。永遠に幸福であっていただきたい」と、滂沱の涙をふるいながら、祈りの万歳を叫び抜いていきたいのだ。
 いな、叫び抜いていかねばならないのだ。
 アメリカでは、この二月、三月に、友人や女子部も交えて、五万人の婦人部総会をにぎやかに開催した。
 ブラジルでも、今月、十万人の総会がたけなわである。
 一九五一年(昭和二十六年)の六月十日、戸田先生のもとに、婦人部の代表五十二人が集い、女性の宿命からの解放を誓い合った、あの日から五十五星霜。
 今や婦人部は、世界第一の「平和と幸福の女性のスクラム」に大発展したのである。
 「広宣流布は、婦人の力でできる」と言われた恩師が、どれほど喜ばれていることか。本当に嬉しい。
 文豪トルストイは、人生の探求の末に、「信仰のなかにのみ生の意義と可能を見いだしうる」(『懺悔』中村融訳、『トルストイ全集』14所収、河出書房新社)と確信した。
 まさに、最極最善の人生の意義と可能性を知り、それを最大限に発揮されているのが、わが創価の婦人部であると讃えたい。

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