Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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本門の師弟の出発 三世永遠に晴れ晴れと指揮を執れ!

2006.5.10 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  諸天が喜んでいた。
 我も、わが友の心も、勝利の歓喜に晴れ渡っていた。
 五月三日、私は、八王子の東京牧口記念会館で、青空にそびえる王者の富士を嬉しく見つめた。
 私には、初代会長・牧口常三郎先生という偉大な先師がある。第二代・戸田城壁先生という永遠の恩師がある。
 そして、第三代の私には、日本中、世界中に、宿縁深き弟子がいる。わが後継者である本門の青年がいる。
 私は、無上の幸福を感じながら、永遠の勝利のために、新たな闘争を決意した。
 フランスの思想家ボーブナルグは、「すべての計画のなかで最大の計画は決心することである」(『省察と箴言』竹田篤司訳、『世界人生論全集』9所収、筑摩書房)と言った。
 さあ、近くは創立八十周年へ、さらには百周年、百五十周年へ、私と共に、創価学会と共に、怒濤の大前進を開始する時は来た。
2  大聖人は、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」と仰せである。
 末法万年尽未来際まで一切衆生を救いきっていく、永遠不滅の妙法を一閻浮提に広宣流布するのだ!
 この尊き仏意仏勅の使命を誓願し、勇んで戦乱と苦悩に満ちた現代に出現したのが、偉大な創価学会である。
 ある時、戸田先生は、その「創価」の誉れを、私に語ってくださった。
 「『創価学会仏』――未来の経典には、こう学会の名が記されるのだよ」
 五体に感動が走った。
 法華経の不軽品に、「威音王仏」という名前の仏が登場する。実は、この仏は"一代限り"ではない。
 最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も威音王仏と言った。そして「是の如く次第に二万億の仏有し、皆な同一の号なり」(法華経五五六ページ)と。
 つまり、二万億もの仏が、みな同じ「威音王仏」という名前で、長遠なる歳月、衆生を救済してきたことが説かれているのだ。
 先生は、これは、威音王仏の名を冠した「組織」「和合僧団」とはいえまいか――と鋭く洞察されていた。
 個人の今世の寿命は限られている。しかし、広宣流布に戦う根本精神をば、師匠から弟子へ脈々と受け継ぎ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは「民衆を救済し続ける」恒久的な仏の生命力をもつことになる。
 わが創価学会には――
 民衆の苦悩の暗闇を破り、勇気と希望を与えゆく慈悲の大光がある。
 敢然と邪悪を打倒し、正義を叫び抜く師子吼がある。
 宿命を転換し、自他共の幸福を築きゆく、信心の大確信がある。
 そして、いかなる三障四魔の大難にも打ち勝つ、異体同心の和合があり、金剛不壊の師弟の大城がある。我ら創価の師弟に、三世永遠に途切れることなき「仏に成る血脈」が滔々と流れ通うことは疑いない。
 ゆえに戸田先生は、もしも未来に仏が経典を作られるならば、大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団――創価学会に、「仏」の名を冠されることは当然であろうと断言されたのだ。
 かくも崇高なる使命と大偉力をもった、創価学会なのである。
 大聖人はある門下に、もし亡くなったら、梵天・帝釈等に「日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なり」と名乗りなさいと、教えられた。
 私たちもまた、日蓮大聖人の末弟として、偉大な創価学会の師弟として、一生涯、いな三世永遠に戦い抜くのだ。晴れ晴れと指揮を執るのだ!
3  ところで、大聖人の御在世当時、「日蓮」の御名前は、「悪名一天にはびこれり」と仰せの通り、あろうことか、あたかも"悪僧"の代表のごとく日本中に喧伝された。
 大聖人一門も、悪意と偏見の標的となった。
 竜の口の法難の直後、「日蓮の弟子たちが放火した!」と、事実無根のデマが流されると、「彼らならやりそうなことだ」と、世間は何ら検証もせずに信じ込み、門下を重罪の者のように迫害したのである。
 うち続く大難のなかで、臆病な弟子たちは、「自分は日蓮の弟子ではない」と裏切り、次々、脱落していった。「千人のうち九百九十九人は退転した」とさえ言われたのである。
 だが迫害に屈せず、「わが師は大聖人なり」と叫び抜いた弟子たちは、七百数十年後の今まで、真実の偉大な門下として不朽の名を残した。
 仏法の因果は峻厳であり、苦難の嵐は、本物と偽物を明確に峻別した。
 真実の弟子と、忘恩の裏切り者、邪悪な迫害者どもの、勝敗は明白である。
 極善は不滅の太陽と輝き、極悪は無間の堕獄の末路を晒した。
 ともあれ、一九五一年(昭和二十六年)五月三日、戸田先生が第二代会長に就任されてより、この五十五年間も、学会が真実であるがゆえに、経文通り、御書通りに三障四魔、三類の強敵を呼び出してきた。
 「暴力宗教」だの「ファッショ」だの、学会はあらゆる悪名のレッテルを投げつけられた。
 私も、無量の誹謗中傷の集中砲火を受けてきた。
 しかし、何を恐れることがあろうか。
 大聖人は仰せである。
 「過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり
 我らは、甚深の宿縁ありて師弟となり、広宣流布の庭に集った同志である。
 尊い地涌の菩薩の使命を覚知すれば、受難もすべて正義の誉れである。
 創価学会が、そして三代にわたる会長が、大聖人直結の「法華経の行者」である証なのだ。
 文豪ゾラは、自らの"分身"といわれる作中人物に、こう語らせている。
 「ぼくは、世間から浴びせられる侮辱なんて問題にしない。それはぼくを不快にするどころか、むしろいい刺激だ。よく見れば、世間には、攻撃されると完全にまいってしまう連中、そして、共感を得ようと汲々としている連中が多くいるものだ」
 「だがな、非難・中傷というものは、けっこういい薬だ。いわば人をたくましくする学校だ。ばか者どもの野次以上に人を強壮にする薬はないよ」(『制作』下、清水正和訳、岩波文庫)
 ちょっと叩かれたぐらいで「まいってしまう」、信念なき弱虫など必要ない。学会は最強の師子王なのだ。

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