Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

未来部・躍進の春 伸びよ大らかにまっすぐに

2006.4.1 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  歌え 朗らかに 春の曲
 舞え 軽やかに 春の舞
 伸びよ おおらかに
       真っ直ぐに
 春は 四月は 
      我らのものだ
 この躍動する詩の作者は、誰であろうか。
 我らの師・戸田城聖先生であった。
 数学の天才であられた先生が残された、数少ない詩の一つである。進級、進学の春四月を迎える子どもたちのためにと、書かれたものだ。
 私もまた、この先生と同じ心で、未来部の友が、めぐりくる春ごとに、希望に燃えて、真っ直ぐに伸びゆくことを、祈り続けている。
 この詩は、戦時中、先生が創刊された児童誌『小学生日本』の、一九四〇年(昭和十五年)四月号の巻頭言に掲げられた。
 一九四〇年といえば、日本の軍国主義は中国大陸に戦火を広げ、国内でも戦時下の暗澹たる生活が深まっていた。学校の現場でも、戦争を美化する、狂った軍国教育が強まっていた渦中であった。
 それだけに、この詩には、平和が破壊されゆく濁流の時代にあって、子どもの″伸びゆく生命″を断じて守らんとする、深い決意と祈りが凝結しているのだ。
2  当時、戸田先生は″不惑″の四十歳であった。
 狂気の時流にあっても、いささかも惑うことなく、師・牧口常三郎先生の創価教育の理念のままに、未来を担いゆく子どもたちを厳護し、育成しようとされていた。
 先生は、毎号の児童誌で、必ず巻頭言を執筆し、子どもたちに語りかけておられる。
 たとえば、一九四〇年十月号では、「度量の広い人」がテーマであった。
 先生は、すぐに怒ったり、怨んだり、嫉んだり、悪口を言ったりする狭い心を、こう戒められている。
 「これは、すべての事業や企てを破壊する原因で、人柄の小さい度量の狭い人です。したがって、こんな人とはとても大事な事を共にすることは出来ません」
 その通りである。
 自分は努力もせず、優れた人を嫉妬して、足を引っ張り、陥れるような連中が、昔も今も、なんと多いことか。
 青年の真剣な挑戦を愚弄し、冷笑したり、新しい力の台頭を邪魔するような、陰険な保身の輩も少なくない。
 また、女性の健気にして正しい行動や意見を、威張りくさって抑えつけるような、時代遅れの愚劣漢も、今なお数多い。
 情けないことではないか。そんな卑しい人間などに、絶対に負けてはならない!
 戸田先生は、「度量の狭いこと」が、島国根性の「最大の欠点」と喝破された。
 先生は、若い君たちが、大きな広々とした心で、日本を変えていけ! 新しい時代を創れ! と、限りない期待を寄せられていたのである。
3  さらに戸田先生は、「師の愛に報ゆるの道」(一九四〇年八月号)と題して、こう記されたこともあった。
 「師(先生)と弟子(生徒)の交わりは、水と魚のように切っても切れない深いものであります。師は弟子を愛し導き、弟子は師を敬い慕う――これほど世にうるわしい情愛がまたとありましょうか」
 そして、美しき師弟愛を讃えながら、誇らかに呼びかけられている。
 「皆さんは、将来、立派な人物となって、先生の徳を世に現し、その高く深い愛に報ゆるところがなくてはなりません。そして、このような愉快な立派な報恩の道がまたとありましょうか」
 恩を知る人になれ! 力をつけて、師の恩に報いよ!
 その人が、人間として偉大である。最も晴れやかな人生なのだ。
 それは、牧口先生と戸田先生との麗しき師弟の姿そのものであったといってよい。
 ああ、こうやって、未来を担う子どもたちに、一番大事な人生の真髄を伝えておられたのか――と、私は師の一文に感涙を禁じ得なかった。

1
1