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日蓮大聖人・池田大作

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「勤行」は勝利の源泉 元初の太陽よわが胸中に昇れ!

2006.2.10 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  「人の信仰の強さ弱さは、人の知識よりはむしろ勇気に左右される」(ヴォーヴナルグ『省察と箴言』内藤濯訳、創元社)
 この箴言は、ある多宝会の婦人の方から送られてきた手紙の中にあったものだ。
 全く、その通りである。
 年齢のことを言うと、少々失礼かも知れないが、年老いた婦人の方のすばらしい行動を、皆が賞讃し、手本としているようだ。
 私は、スイスの思想家ヒルティの言葉を思い出した。
 "常に前を見て"生き抜いていくならば――
 「老年はふたたび、それの本来の姿、すなわち行動と成熟と収穫の時、実を結ぶ時となり、くりかえして言えば、この人生全体の最善の部分(なぜなら最も完成された部分であるから)となるであろう」(「老年について」高橋三郎訳、『ヒルティ著作集』10所収、白水社)と。
2  一九六〇年(昭和三十五年)七月、私は、男子部の精鋭グループ「水滸会」とともに、太平洋を望む千葉県・銚子の犬吠埼を訪れていた。
 いまだに忘れ得ぬ、懐かしい天地である。あの水平線の彼方に、赫々として昇りゆく太陽を思い描く時、私の胸は常に躍る。
 その日、恩師・戸田先生は、私たちの前に姿を見せることはなかった。
 先生は、生涯の願業を成就され、二年前に、五十八歳で逝去されたのだ。
 しかし、弟子である私の胸中には、生き生きと、恩師の指揮とる姿、弟子を励ます力強い声が、いつも、またいつも、「師弟不二」の実像として輝いていた。
 先生がいらっしゃらない「水滸会」は、本当に寂しかった。
 けれども私は、広宣流布の「真の後継者の道」、創価の「真の師弟の道」をば、決然と、また正々堂々と歩みゆく「水滸会」の成長を祈り念じ、その訓練を、絶対に忘れたことはなかった。
 この中から、ありとあらゆる分野で広宣流布のために指揮をとり、厳然と活躍しゆく「人材」が立ち上がり、誇り高く、また力強く生き抜いていくと確信していたからだ。
 ここに、学会の「希望」があった。
 ここに、同志の「希望」があった。
 ここに、未来の勝利の「希望」があった。
3  わが"旭日の千葉"の有志が、太平洋に昇る「初日の出」の写真を送ってくださった。私たち夫妻は、いつも嬉しく拝見している。
 銚子に生まれた明治の作家・国木田独歩に、「日の出」という短編がある。私は、この名文に心をひかれて、何冊も独歩の本を読んだものだ。
 その「日の出」には――
 オックスフォード大学やハーバード大学などの名門校を出た七、八人が集った折のこと、初顔の一青年の出身校に話題が及んだ。
 どこの名門出かと聞けば、「大島小学校」という無名の私立小学校である。皆が嘲りの色を浮かべると、青年は、毅然として、また厳然として反撃したのである。
 彼の母校の小学校長は大島伸一といい、創立者は池上権蔵といった。
 この権蔵は若き日、人生に絶望し、死ぬ覚悟で海岸に出たことがあった。そこへ老人が一人近づいて言った。
 「日が今昇るのを見なさい」――それは、神々しき初日の出であった。
 この日の出を忘れるな!
 毎朝、昇る太陽を仰げるように強く生きよ!
 大島仁蔵というその老人との出会いが、池上権蔵の人生を変えた。
 彼は、「日の出を見よ」を励みに猛然と働き、農業で財を成す。大島老人が亡くなると、恩返しとして、私財をなげうち、村に「大島小学校」を創立。その校長となったのが、大島老人の子息の伸一だったのである。
 そして、「日の出を見よ」という言葉は、母校の目標、モットーとなって厳然と生きている――と、かの青年は、堂々と語ったのである。
 今回は、短編の一部だけを紹介させていただいた。(国木田独歩『運命』岩波文庫より引用・参照)

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